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共感とは、理解のその先にあるもの?

「共感って、あなたがそう思うことを、私は理解できるということ。でも、私が同じように思うわけじゃない。」

この言葉を考えたとき、共感とは何かについて改めて立ち止まってしまいます。相手の気持ちや考えを理解すること、それが共感だとすれば、同じ気持ちを共有する必要は必ずしもない。でも、果たしてそれだけで十分でしょうか?

僕たちはよく「共感」を口にしますが、その意味を深く考えることは少ないかもしれません。共感とは一体、どこまでを指すのでしょう?その形には、大きく二つの側面があるように思います。

共感には二つの形がある?

共感という行為は、大きく分けて二つの形を持っています。それは「頭で想像する共感」と「心で感じ取る共感」です。

頭で想像する共感:理解する力

まずは、「頭で想像する共感」。これは、相手の立場を冷静に想像し、その感情や状況を理解する力です。

たとえば、友人が仕事で大きなミスをして落ち込んでいるとき。「それだけ頑張っていたら、悔しいと思うのは当然だよね」と、相手の状況を頭でイメージしてみる。これが「頭で想像する共感」です。同じ感情を抱くわけではないけれど、相手の心情を理解しようとすることがこの共感の形です。

このタイプの共感は、特に仕事の場面や議論で役立ちます。意見がぶつかる場面でも、相手の考え方を理解することで話し合いがスムーズになることが多いからです。

心で感じ取る共感:感じる力

もう一つは、「心で感じ取る共感」。これは、相手の感情がそのまま自分の中に流れ込んでくるような感覚です。

たとえば、親しい人が悲しい思いをしているとき、その悲しみに触れて胸が締め付けられるような経験をしたことはありませんか?相手が感じている喜びや悲しみを、まるで自分のことのように感じる。この瞬間が、「心で感じ取る共感」です。

ただ、ここで気をつけなければいけないのは、相手の感情を感じすぎると自分の心が疲れてしまうこと。相手の痛みに共感することは美しい行為ですが、自分の感情を守るバランス感覚も同じくらい重要です。

共感と自己表現のバランス

共感は大切な力ですが、それが自己表現を妨げることもあります。

たとえば、相手に寄り添いすぎて、自分の考えを押し殺してしまうこと。僕自身、相手の気持ちを優先しすぎて「自分が本当にどう感じているか」が分からなくなったことがあります。共感とは「自分を消す」ことではなく、「相手を受け入れる」ことであるべきだと感じています。

僕が以前「知られるとは何を意味するのか?」というテーマを考えたときにも気づいたことがあります。ただ相手に伝えるだけではなく、「響き合う」ことが重要だということです。共感が一方通行にならず、お互いの考えや感情を行き来させる。そのプロセスが本当の共感を育てるのではないでしょうか。

差分を楽しむ共感

さらに共感を深める視点として、「相手との違い=差分」を楽しむことが挙げられます。

僕たちは他者と違うからこそ、新しい発見や創造が生まれる。たとえば、異なる背景や価値観を持つ人との対話は、自分にはない視点を得るきっかけになります。共感とは、ただ同じ気持ちを共有するだけではなく、「相手と違うからこそ生まれる面白さ」を発見するものでもあるのです。

「共感しながらも違いを楽しむ」こと。それが本当に豊かな関係を築く鍵なのかもしれません。

共感のその先へ

共感とは、理解で終わるものではありません。それは、相手との関係を深め、自分自身の中に新しい視点を生むためのプロセスだと思います。そして、その揺れ動きや模索の中にこそ、僕たちが成長するためのヒントが隠されているのではないでしょうか。

最後にこんな問いを投げかけてみたいです。

「あなたにとって、共感とは何ですか?」

その問いを考える中で、自分自身の価値観や揺れ動きに気づくことができるかもしれません。そして、それが新しい共感への一歩になるのではないでしょうか。

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