ストイカ2号公開 小川和久氏寄稿
中国は「第一列島線」を防衛できない
小川 和久
軍事アナリスト
静岡県立大学グローバル地域センター特任教授
国際変動研究所理事長
・「空母キラー」DF21 ‒Dは、移動目標への実射実験がなく、米空母に命中させられない。
・「張り子のトラ」ではなくなりつつあるが、R&Dでもアメリカに大差。
・日本は韓国と違い、アメリカの戦略的根拠地なので、撤兵などはありえない。
中国の海洋での基本戦略は一般にA2AD(接近阻止・領域拒否)とよばれる。これは有事の際、南西諸島、台湾、フィリピン、ボルネオと続く第一列島線の内側にアメリカ軍を立ち入らせず、小笠原諸島、マリアナ諸島の第二列島線の内側でその行動を規制することを目指したものだ。
1996年、台湾海峡危機の際、海峡内に米空母2隻が侵入しても、為す術もなかった経験が、中国がこの概念を明確にした動機と思われる。第一列島線内は台湾だけでなく、西沙諸島、南沙諸島など、中国の「核心的利益」となる紛争地域を抱え、また経済大国となった中国にとって重要このうえないシーレーンでもある。
日本国内には、中国が有事の際にA2AD防衛能力を発揮するのは不可避で、それは米軍が東アジアから引く要因になり得ると、強い警戒感が存在している。
だが、基本的に今の中国の軍事力では、第一列島線の中だけでも防衛することができないというのが現実だ。
この戦略のために中国が近年、力を入れて整備を続けているのが、対艦弾道ミサイルDF 21-D(東風21D)、攻撃型航空母艦、ステルス戦闘機などである。これらの個々の兵器に対しメディアなどは騒ぎ立てているが、実際にはどれも完成度は低く、良くて60%というところだろう。しかも兵器を評価するポイントはハードそのものだけでなく、そのシステムにある。この点では、ほとんど機能しておらず、しかも将来を考えた場合、アメリカとの格差は開くばかりというのが中国の軍事力の実態なのである。
ゴビ砂漠の実験以外は洋上試射なし
例えば、「空母キラー」と呼ばれて、A2ADの象徴のように扱われているDF21-Dは、機動式再突入弾頭を搭載し射程は約1500キロメートルとされる。しかし、ゴビ砂漠に空母を模した標的を置いて、撃ち込む訓練をしたことはあるものの、登場してから10年以上経つのに、洋上の移動目標に対しては1回も試射を行っていない。
理屈の上では、目標が静止している時に撃つという方法もあるだろう。以前、横須賀基地の実物大模型をゴビ砂漠の射爆場に置いたことが日本のメディアでも話題になったが、偵察衛星にわざと見せて威嚇するためのものと考えればいい。
横須賀に本当に弾道ミサイルを撃ち込んだら、確実に核兵器で反撃される。米国の早期警戒情報(SEW)は、弾道ミサイルが発射されてから着弾点を算出するまで、だいたい1分。それから弾着までの間に艦船などはキロ単位で退避してしまう。
しかもシステムの面では、いくら近代化を追求しても、アメリカとの差は開く一方だ。一例は、データ中継衛星だ。偵察衛星やレーダーなどのセンサー類が得た大容量の情報通信を可能とするデータ中継衛星がなければ、全地球規模で高度にハイテク化された軍事力を機能させることはできない。このデータ中継衛星を、中国は必要最小限の機数とされる3機しか保有していないが、アメリカは専用機だけで13機、援用可能な衛星まで含めると30機を備える。
このように、データ中継衛星という一点を見ただけでも、ハイテク化されるほどに中国の軍事システムが機能不全気味に推移することが判るはずだ。むろん、現状ではDF 21-Dは高密度のミサイル防衛システムに守られて移動中の米空母に命中させることなど不可能に近い。
中国がアメリカに決定的な差をつけられているのはR&D(研究開発)だ。アメリカの国防研究開発予算は日本の防衛予算を上回るほど巨額で、その部分で中国との差が広がっている。アメリカは、軍事力の規模を維持する予算こそ窮屈な状態にあるが、R&D予算は固く維持している。中国とアメリカの差はR&Dの面で開く一方といってよい。
このような現状を自覚した中国は、建国100周年の2049年までにアメリカと肩を並べることを目標に、できることを着実に実現する手堅い歩みを見せている。
現実には無理でも体裁を整える
中国がいま行っているのは、A2ADの防衛は現実にはまだ無理としても、スーパーパワーとしての体裁を整えるのに必要な装備品を備えること。例えば航空母艦にしても、ウクライナから買ったオンボロの中古品を艤装し直した「遼寧」であろうと、運用面では若葉マークだろうと、初歩から着実に運用能力を備える歩みを進めている。ステルス機も同様だ。昨年、J 20を実戦配備したが、アメリカのF35のようにNCW (ネットワーク中心の戦い)の重要プラットホームとして位置づけられたものではなく、ひたすらレーダーに映りにくい機体という点だけを追求している。
このような中国は、実は強がりを言わなくなった分だけ侮り難くなった。できることを着実に実現し、できないことはやらない。間違いなく、張り子の虎ではなくなりつつある。これは肝に銘じておかなければならない。
アメリカの中でも、このような中国の現状を理解する向きは少ない。特に中国のA2ADがクローズアップされてから、「対艦弾道ミサイルの脅威の前に航空母艦の部隊をさらすのでは、コストとリスクのバランスがとれない」「その危険性が高い北東アジアに軸足を置くよりも、インド洋のほうが将来の経済的成長も期待できるので、米軍の配置を南にシフトすべし」といった議論が頭をもたげたりした。
それと軌を一にするかのように、トランプ大統領の登場によってアメリカの世論が対外関与に否定的であることが明らかになった。実際、トランプ大統領はシリアなどからの撤兵を実行に移した。また、韓国との間もGS
OMIA(日韓包括的軍事情報保護協定)や駐留経費負担問題が浮上し、トランプ大統領は持論である在韓米軍撤退の可能性をちらつかせている。
「カリフォルニア並みの重要度」
しかし、仮に韓国から米軍が撤退しても、そのことと日本からの撤退、つまり日米同盟の解消とは、アメリカにとって意味が全く違うことを理解しておくべきだ。安全保障の世界に安心していいという言葉はないが、アメリカからみた日韓の違いについては知っておかなければならないだろう。
アメリカの安全保障政策を考える上で必須の研究者にトーマス・シェリングがいる。ゲーム理論の大家でノーベル経済学賞に輝いた。そのシェリングは1966年に出した Arms and Influence という著書で、「同盟国に対する抑止力を高めるためには、その同盟国がアメリカにとってカリフォルニアと同じほど重要だということを仮想敵国に伝え続けなければならない」と述べている。カリフォルニアを攻撃すればアメリカとの全面戦争になるから、どの国も手出しをためらう。まさにこのカリフォルニアに相当する重要な同盟国が日本なのである。
日本の戦略的重要性については、出撃機能ばかりでなく、それを支えるロジスティクス(兵站)、インテリジェンス(情報)の3本柱がアメリカ本国並みにあることを見れば判るはずだ。地理的に見て、中国、ロシアの太平洋方面への展開を日本列島が阻んでいるだけではない。戦力投射根拠地(パワープロジェクション・プラットホーム)としての日本列島がなければ、アメリカはアフリカ南端の喜望峰までの範囲で軍事力を支えることができなくなるし、日本に取って代われる同盟国はない。
このように重要な日本である。アメリカはオバマ政権下でも2回、習近平に警告を発している。1回目はパネッタ国防長官が12年9月、副主席時代の習近平に「尖閣諸島といえどもアメリカの国益であることをお忘れなく」と迫った。無人島の尖閣であろうとも、手を出せばアメリカの縄張りを荒らしたことになり、容赦しないということだ。
13年6月には、オバマ大統領が主席就任直後の習近平に「中国はアメリカと日本が特別な関係であることを理解すべきだ」とアメリカにとっての日本の戦略的重要性を告げた。そのことを知らないのは日本の政府と国民だけで、中国はこの現実を肝に銘じている。むろん、大統領就任後のトランプもそのくらいのことは理解している。
ミサイルを巡る米中のせめぎ合いと日本、ということで言えば、配備予定のイージスアショアについては、考え方としては悪くないと受けとめるべきだろう。2基で日本列島をカバーできるということだけでも費用対効果に優れている。同じ能力を持つと言ってもイージス艦は高価で、保有隻数が限られてくる。ほかの任務もあるから日本列島のミサイル防衛に貼り付けておくわけにはいかない。艦船を動かすには人手もかかり、運用コストが高い。その点、イージスアショアはミサイル防衛だけが任務で、しかも少人数の陸上自衛隊の部隊による運用で済むメリットがある。
イージス艦だけでなく、イージスアショアは、特に射程2000キロ以上のSM-3ブロックⅡBの導入によって東アジア、西太平洋のかなりの範囲、つまり日本の領域だけでなく、朝鮮半島など大陸部分や、ハワイ、グワムといった米軍の根拠地を目標とする弾道ミサイルを撃破できるようになる。防衛省が犯したミスは、イージスアショアを北朝鮮の弾道ミサイルへの備えとして説明したことで、北朝鮮の姿勢の軟化によっては不要説が浮上してくるのは避けがたい。ロシア、中国などの弾道ミサイルを念頭に、「世界から弾道ミサイルの脅威がなくならない限り、日本列島の防衛に必要」と説明しておけば、論理的破綻は避けられたはずだ。
韓国は米中の角逐の場所
そうした中国とアメリカの角逐については、意外かも知れないが、焦点となるのはミサイルをめぐる韓国情勢かもしれない。
中国は韓国という存在を、北朝鮮とは違う意味で戦略的にバッファ(緩衝地帯)にしようとしており、何かにつけて圧力をかけ、韓国を御しやすくしようとしている。
韓国にアメリカのTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)とXバンドレーダーが配備されるとき、中国は猛烈な圧力をかけ、韓国商品のボイコットまでして反対した。Xバンドレーダーは、北朝鮮だけではなく、台湾を狙う中国の短距離弾道ミサイルをすべて捕捉できる。このように敏感な問題で韓国がアメリカの言うとおりに行動したことに、中国が危機感を抱くのは当然のことだろう。
また19年秋に破棄が回避されたGSOMIAについても、ミサイルの問題がついて回る。19年5月以降、北朝鮮が短距離弾道ミサイル(ロシアのイスカンデルの北朝鮮版)の実験を続けたが、実を言えば韓国は同じイスカンデルの韓国版を「玄武2B」として保有している。南北朝鮮は、それぞれ別ルートでイスカンデルとその技術をロシアから導入した。韓国は北朝鮮のミサイルや核による攻撃の兆候を察知した際、先制攻撃する「キルチェーン」を展開し、巡航ミサイルや玄武2Bなど約1000発を配備している。この2年ぐらいで2000発に持って行く計画だ。
GSOMIAを破棄しようとした韓国にアメリカが猛烈な圧力をかけたのは、単に日米韓の軍事的連携の一画が崩れたというメッセージを北朝鮮、中国、ロシアに発することになるからだけではない。キルチェーンという対北朝鮮抑止力が機能しなくなることに危機感を抱き、強い不快感のもとに強硬な姿勢で韓国に迫ったことは疑いない。
日本のメディアが騒いでいるように、南北朝鮮の統一などによって「38度線が対馬海峡まで下がって」きたところで、それは日米同盟にとってうろたえなければならないほどの事態ではない。アメリカは韓国という同盟国があった方が望ましいのは当然として、あまり面倒な存在になったら切り捨ててもよいという立場だ。先に述べたように、アメリカにとって不可欠の戦略的根拠地を提供している日本は、韓国と同じ位置づけにはない。中国にせよ、北朝鮮にせよ、その脅威や軍事的動向を論じるに当たっては、アメリカにとっての日本の戦略的価値を理解したうえの議論でなければならない。
(敬称略)
小川和久(おがわ・かずひさ)
1945年熊本県生まれ。陸上自衛隊生徒教育隊・航空学校修了。同志社大学神学部中退。地方新聞記者、週刊誌記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立。外交・安全保障・危機管理の分野で政府の政策立案に関わり、国家安全保障に関する官邸機能強化会議議員などを歴任。2012年4月から、川勝平太静岡県知事の要請で静岡県立大学特任教授に就任。2011年3月に、シンクタンク・国際変動研究所を設立、ホームページでメールマガジン『NEWSを疑え!』を配信している。2020年3月に文藝春秋から『フテンマ戦記』を出版予定。
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https://note.com/stoica_0110/n/n4ef4199ca704
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