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第77葉, 水とか 容器とか 本を読む人とか

こんにちは、yasu59 です。
「昔日の客」からの流れで、野呂邦暢 著「愛についてのデッサン」を読んでいます。小説はめったに読まない / 読めないジャンルなのですが、自分でも不思議なくらい 滞りなく読めております。

河出書房新社から出ている「こぽこぽ、珈琲」(※単行本の方)の一番初めのエッセイを書いたのが、野呂邦暢であるらしい。いい文章を書かれるし、文章を読むかぎり 喫茶店好きのようだ。

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有難い事に お声掛けして頂き、先日 絵を観に行きました。
3枚の絵が展示されており、”器” や "水" がいずれにも描いてあった。それらの絵をみて、「あぁ、やっぱり 水は感情なんだ」というのを改めて感じた。停滞する事なく湧き出て、流れてくる水。それらを堰き止めてはいけない。少なくとも、それらが循環してゆくように努めなければいけない。

水が感情であるのならば、氷や蒸気は一体 何なんだろうか?
3枚ある絵のうち、一つは黒を背景として 中央にはグラスが描かれていた。そして、そのグラスの中には 何か判然としないものがあった。自分には それは氷のように見えたが、だとしたら… 果たして 氷とは、、、

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自分は、昔から 言いたいことが即座には言えない。
いつも、「あの時に こう言えていたら…」と後悔する。思考がまとまらない、口が上手く回らない、しっくりくる言い回しが思いつかない、、、どれも 少し違う気がするのだが… とどのつまり 考えるスピードが、話す速さに追いつかないのだ。

もしかすると、そういう中で(?) 先送りにしてしまった / せざるを得なかった感情が 凍っていってしまうのかもしれない。その場では言えなかったそれらを、時間をかけて 融かしていく必要があるように思う。

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私は 欲望には淘汰されていってしまう部分がある、と常々思う。

(久々に言及するが)性的マイノリティの人たちは、状況的に 凍らせないとやっていけない感情が人よりも多いのではないかと思う。とりわけ、それは些細なことではなくて 本音に近いものだと推察する。アイデンティティにもなり得る、感情の湧水点に近いものだ。

あなたの中を、感情は 滞りなく流れているだろうか?

以下もまた 絵を観てからの気づきなのだが、その人の中を流れる水の清濁が垣間見える身体の一部分がある。その箇所は きっと目だ。目から伝わってくる情報量は存外 多いと、私は思っている。

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最後に、その3枚の絵の作者は 「本を読んでいる人は 祈っているように見える。美しいと思う。」と話されていた。その感性や情緒が、私は美しいと思う。そして また、本を読んでいる人を描きたいが、まだ力不足だ とも言われていた。

また、励まされた。有難い、頑張ろうと思える。

最近は、 "自分の幸福を小さく見積もる事は、いけない / 可哀想なコトなのだろうか?" と よく考えている。それから、野呂邦暢の本の中に出てきた 以下の3冊が気になっている。

・植村達男 著「本のある風景」
・吉岡実 詩集「僧侶」
・庄野潤三 著「クロッカスの花」

目下、氷解中である (と思いたい)。

ー筆おきー


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