第68葉, 補助線とか 万年筆とか
少し前 麦秋のはしりの頃の写真だが、改めて 空が広いなと思う。
何だかんだで 越してきて良かった。
こんにちは、yasu59 です。
先日 声をかけてもらって、社会学の研究をされている方の講演を聴きにいく機会がありました。そこでの話が すごく良かったです。
曰く… 社会運動論 という学問のジャンルがあって、今までは 女性とか、ハンセン病患者とか、水俣病だとか 周縁に追いやられている人々を可視化・強調するような手法を採ってきたとの事。いわば 新しい線を引くことで、認知してもらう / 広く知ってもらうタイプが主流だった。
けれど、今は その引かれた線を消すタイプの社会運動が出てきた。
その一つの例が、レインボープライド。
補助線を引くタイプの社会運動は、内部格差 や それによる内輪揉めのような事が起こりうる。その上、配慮してもらう / 尊重してもらう という構図が根本的に解決されないとも思う。
ならいっそ、その補助線を無くしてしまおう。
きっと、はじめから 無かった線だし。
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時々 私には、「あれ、どうして 〇〇 なんだっけ?」と思うことがある。
この前 noteにも書いたが、自分の事なのに 不意に分からなくなる。
でも、そもそも 本当に解っていたのかな… とも思う。
何のための 性”別”だったのか?
何を目的とした ジェンダー”区分”だったのか?
その区別の有用性は どこまでなら通用し、どこからは意味を為さないのか。
あぁ、、なるほど。有用な区分が (その有効な範囲を超えて) 孫引きされた時、それは差別に変わってしまうんだ。いつでも 前提に立ち返る用意をしておきたい、と切に思う。
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手紙を書きたい と、最近 よく思います。
引っ越しをしてから 縁遠くなってしまう人がいる。物理的に当然のことだが、少し寂しい。直接 会って話すのが早いと思うが、種々の兼ね合いで 儘ならない。そんな中で、どうにかこうにか その縁を僅かばかり保たせてくれる… それを可能にしうるのが 手紙なのかもな、、、と考える。
しかしながら、いざ 万年筆を手に取ってみると… 上手く書けない。
ちょっと前に 人から教えてもらって、書けるようになったと思ってたのに。
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結構 いい本を読めている気がする、今日この頃。
島田潤一郎 『長い読書』、唐木順三 『朴の木』、秋峰善 『夏葉社日記』
次は 長編がいいかもしれないな。
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折坂悠太さんのアルバム『呪文』がリリースされましたね。
「正気」、「人人」、「ハチス」、「夜香木」… 良きです。
ー筆おきー