きょうだい児の憩いの場
こんばんは。
暑い日が続いていますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
最近あるTweetを見つけて、”きょうだい児”にも色々な悩み、葛藤があることを改めて実感しました。なので、漠然と抱いている私の考えをつらつらと書いてみようと思います。
同じ悩み
高校3年生の進路相談でのこと。
担任の先生との2者面談をしていました。
「あなたの将来の夢はなに?」
「兄が自由にやりたいことができる手伝いをしたいです。
兄は翻訳がやりたいと言っています。
なら、私がマネジメントをして兄が活躍する場所を作りたいです。」
そんなやりとりをしました。
何の知識もない高校生が何を言ってるんだ、という話ですが(笑)
すると、先生が泣き出して。
「私の息子も同じことを言うの。」と。
話を聞けば先生のお子さんも長女がASD、長男(弟)がきょうだい児という家庭。そして歳の差も我が家と同じ2歳差。
進路の話を息子さんとした時に「教師になろうと思う。俺は地元(地名は伏せます)に残るよ。」と話したそう。
息子に「好きなことやっていいんだよ」と言うと「俺は教師になりたいからいいんだよ。地元に残るのがやっぱいいかなって。」と返ってきたらしい。
当時、私はドラムをやっていて、積極的に校内イベントや他校との交流イベントを行なっていた。自分で言うことではないけど、期待されていた。多分、誰もが音楽の道に進むんだろうと思い込むくらいにはドラムに全力だったしのめり込んでいた。
そんな矢先、「卒業したらドラムはやりません」なんて言うものだから(笑)
「本当にそれが自分のしたいことなの?」と涙ぐみながら聞いてくる。
「はい」と答えた気持ちには嘘はなくて、ただ、それが最善策だと思っていた。
今思えば、最善策だ、と思っている時点で自分の気持ちではなかったのかもしれない。
多分、潜在的に、将来は私が責任を持たなければならないと思っていのだろうと思う。そしてそれは先生の息子もそう。
きょうだいのために何かをしたい気持ちに嘘はなくて、その結果、自然と自分を後回しにする癖がついてしまっていることに気付くのはまだ先の話。
先生のことば
涙ぐみながら先生が
「親として本当に情けないし、申し訳ないことをしているって思っているの」と。
手のかからない(と言ったら語弊があるかもしれないが)目を離しても大丈夫な方が放置されがちになるのは至って普通のことだろう。結果、良い子で居ようとしてしまう。良い子にしていれば褒めてもらえるから嬉しかったのかな。
家でも出先でも、白い目で見られたり大変な思いをしている母親を近くで見ていて迷惑なんてかける気にもならないでしょう。当時はそんなこと考えてないけどね。
「たくさん我慢させてきてごめん」と母に言われたことを思い出した。
親は親なりに、子は子なりにどうにかしようと足掻いてるわけで。謝られるようなことではない。と思う反面、だからか、と腑に落ちることもあった。
「あなたはどうなの?」「あなたはどうしたいの?」
自分というベクトルで物事を考えることが非常に、非常に苦手。頭が真っ白になって、言葉が出てこない。ひどいときは涙を我慢できない。
あと、間違えることや怒られることが非常に苦手。
社会人になった今、これが結構厄介。ミーティングとかすっごく苦手(笑)
おわりに
私の話を長々としてきたけど、同じような気持ちを持つ人はきっと居ると思う。そんな人たちと繋がって、話を聞いて、協力しあって、新しいことを始める勇気をもらったり、現在進行形で悩む人たちの支えになったり、新しい自分を探したり、どんな小さなことでも良いからポジティブな影響を与えられる、そんな場所を作りたい。そう考えています。
具体的な案はなにもありません。
ただ漠然とそう考えていて。
いつか必ず、と思っている野望の一つ。
拙い文章、ここまで読んでくれてありがとうございます。
一緒にやりましょう!もしできたら参加します!歓迎です。
輪をつなげていきたいですね。
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