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アルプスの旅 2

ベルナー・オーバーラント

   六日目

鉄道でラウターブルンネンへ移動し、アンメルトフーベルの花畑を歩く
 
 氷河急行      ツェルマット発          八時十分  
           ブリーク着         九時三十三分
  SBB      ブリーク発         十時 
(インターシティ特急)シュピーツ着        十一時三分    
  SBB      シュピーツ発        十一時五分 
           インターラーケン・オスト着 十一時二十五分
  BOB      インターラーケン・オスト発 十一時三十五分
           ラウターブルンネン着    十一時五十五分
 ケーブルカー    ラウターブルンネン発    十三時三十二分 
登山電車を乗り継ぎ  ミューレン着        十四時
 ケーブルカー    ミューレン発        十四時三十分
           アルメントフーベル着    十四時四十五分
アルメントフーベルの花畑を歩きミューレンに戻る  十七時三十分
 登山電車      ミューレン発        十八時 
ケーブルカーを乗り継ぎ
           ラウターブルンネン着    十八時三十分

六時過ぎにホテルから道路を隔てたツェルマットの駅に行き、その日以降に利用する乗り物の切符を買った。
この旅行では、まだ七回の移動があり、その上一回の移動に何度も乗り継ぎする。ツェルマットからラウターブルンネンへ行くには四回乗り換える。
ヴェルビエやサース・フェーでは、ポストバスにも乗る。
乗車の度に切符を買うのは面倒な上に、地方の駅では言葉の上のトラブルも予想された。余裕があるとき、前もって切符を買う心づもりをしていた。
幸い、早朝の窓口は空いていた。
当直の若い駅員が、提示した雑なメモを見ながらコンピューターで最短ルートを選び、スイス国内とシャモニまでの全ての切符を作ってくれた
ホテルに戻り、地階の食堂へ下りると、数人の宿泊者が朝食をとっていた。中年の男性は電気レンジで煮物をつくりながら、一人で食事をしていた。奥のテーブルでは、若いカップルがフランスパンをスライスし、静かにコーヒーを飲んでいた。隅のほうでは、老齢の日本人女性が大きな皿の上に背を屈め、ホークを口に運んでいた。
我々は空いているレンジに鍋をかけ、昨日コープで買った大きなソーセージを茹で、日本から持ってきたコーヒーをドリップし、パンとチーズにトマトと果物を加え、特大のブレックファストを作った。
ホテル・バーンホフには、調理器や鍋、ケトル、食器類などの自炊用設備が完備されている。調味料は前に使った人の残りがあり、無くなると泊り客が補充するようだった。
駅前で地の利があり、ランドリーなどの設備も整い清潔である。しかも宿代が安く、若い山男でも気軽に泊れる。
窓からマッターホルンが見える特等地にあり、高級ホテルにした方が金銭的な見返りが多いと考えるのは、エコノミックアニマルのあさましさであろうか。我々の滞在中、いつもベランダに、雪山から帰ったばかりの大きな登山ブーツが幾つも並び、廊下で精気溢れる若者とすれ違った。
 鉄道は、少し奮発して一等車にした。お蔭で席取りの心配がなく、氷河急行の発車時刻寸前まで、ホテルの部屋でゆっくりできた。
ラウターブルンネンまでは、BVZ、SBB、BOBという三つの鉄道を乗り継ぐので、連絡が悪く、定刻でも待ち時間が多い。

登山電車BOBのヴィーダスヴィル駅

そのときは、ベルンからの特急が遅れたのか、シュピーツで一つ前の乗り継ぎ列車に間に合い、予定より一時間早くラウターブルンネンに着いた。
ラウターブルンネンはベルナー・オーバーラント三山、ユングフラウ、メンヒ、アイガーの正面に座るメンリッヒェンの山を隔て、グリンデルワルトの反対側にある静かな田舎町である。

ラウターブレンネン駅構内

駅前の坂を上がったホテル、シルバーホーンにチェックインし、一息ついて、三階のベランダから見渡すと、すぐ側にケーブル乗り場が見えた。
まだ時間が早く、手軽に行けそうで、翌日に予定していたアルメントフーベルの高山植物を見に出かけた。先ず、ケーブルと登山電車を乗り継ぎ、ミューレンの駅に着いた。
駅から、ミューレンの街中まで歩き、年代もののケーブルに乗ってアルメントフーベルに上がった。山の上も、小雨が降っていた。
ケーブルの降り場から、幾つかのハイキングコースがある。高山植物の咲く一番短いコースを選び、道標の分岐を左にミューレンの町に下った。
谷に沿って北に下り、南に折り返すと、斜面一帯にキンポウゲの黄色い花が満開で、圧倒された。

アンメルトフレーベルのお花畑

晴れていれば、ユングフラウが正面に見えるはずであるが、雨で視界が狭い分だけ近くの花に集中できた。集落に近づくと道は急になり、ミューレンの町を見下ろしながら大斜面の中腹を歩く。ラウターブルンネンを通る川は、ユングフラウ西側の山塊を発し、古代期に氷河が削り取った大渓谷の底を流れる。その源の奥には、いまも氷河に囲まれたラウターブルンネン・ブライトホルンが聳えている。
ミューレンは、ラウターブルンネンの上流、大渓谷の崖の上にある。
ミューレンから見下ろす深く大きな谷は壮観で、晴れれば、その先にベルナー・オーバーラントの三山、ユングフラウ、メンヒ、アイガーが望めるはずである。

ミューレンからベルナー・オーバーラント三山を望む


登山電車の駅まで戻り、帰りの時刻を確認してから、ミューレンの町を散策した。広場から大通りには、土産物を売る小さな店や色褪せたホテルが並び、辺鄙な観光地といった趣である。十五分も歩くと、町外れの、シルトホルン展望台に行くロープウェイ乗り場に行きついた。

のどかなミューレン村

登山電車とロープウェイを乗り継ぎ、ホテルに帰ったのは夕方七時近かった。この日は、二日分の行程をこなしたので、疲れた。
夕食は、泊っていたシルバーホーン・ホテルのレストランで鹿肉の料理を食べた。

 七日目

ヴェンゲンの町を散策し、シーニゲプラッテ植物園を訪れる
 WAB       ラウターブルンネン発   十時十分  
           ヴェンゲン着       十時二十四分
           ヴェンゲン発       十二時七分 
           ラウターブルンネン着   十二時二十五分 
 BOB        ラウターブルンネン発   十三時五分
            ヴィルダースウィル着   十三時二十一分
ケーブルカー      ヴィルダースウィル発   十三時四十五分
            シーニゲプラッテ着    十四時三十七分
            シーニゲプラッテ発         十六時四十一分
            ヴィルダースウィル着   十七時三十三分         BOB        ヴィルダースウィル発   十七時四十分
           ラウターブルンネン着    十七時五十五分

朝、ホテルの前を車が通り、道路の水をはねる音で目が覚めた。昨日からの雨が夜通し降り続いていた。遠くで、一番電車がホームに入る音がした。
音を立てぬよう部屋を抜け、一人で町に出た。
シルバーホーン・ホテルは、氷河がえぐり取った大きな谷の中腹にある。
谷の底を流れる川の両岸に沿って、ラウターブルンネンの町が延びている。ホテルから下り、ホテルや店が並ぶ通りを、十五分も遡ると家並みが途絶えた。町外れの教会を過ぎ、川にかかる橋を渡り、少し坂を上がり、小さな家が並ぶ住宅街に入る。まだ薄暗い道にを、仕事にでる人たちが足早に駅へ向かっていた。
再び、川を跨いで町を一周すると、駅裏に出た。大きな駐車場があり、通勤者が利用しているようだ。インターラーケン行きの二番電車は、通勤客で満員だった。駅前の公衆電話から、自宅に電話した。
日本は、台風襲来とのこと。うつつの旅から、少し現実に帰った。
 バイキングの朝食は、盛りだくさんあり、それぞれのメニューに惹かれ、端から順に一つ一つこなしたので、結局、二食分を腹に詰め込んだ。ここでも、チーズとリンゴが特別に美味しかった。
雨は止んでいたが、メンヒ登頂を明日に延ばし、ヴェンゲンの町を見物してから、シーニゲプラッテの高山植物園へ行くことにした。
ヴェンゲンは、メンリッヒェンの山裾がラウターブルンネン渓谷に落ち込む急峻な山腹にある。
ラウターブルンネンから見上げる千メートルを越える断崖は、人を寄せつけぬ様だが、派手なクリーム地に赤とグリーンのストライプで化粧されたWAB登山電車は、ゆっくりとジグザグにメンリッヒェンの山を登っていく。
やがて、視界が開け、明るい台地に出た。その高原がヴェンゲンである。
駅をでると、大通りに高級ホテルが並んでいる。駅前にはコープがあり、長期滞在用のアパートも多いようだ。
町の真中から、メンリッヒェンに上がるロープウェイが出ている。通りを外れると、大きな病院があり、路地の角には洒落た雑貨屋やパン屋が並んでいた。

ヴェンゲンからラウターブレンネンの谷を見下ろす

台地の端からラウターブルンネンの谷を見下ろすと、遥か先に玩具のような家が点在していた。そこ此処で立ち止まりファインダーを覗くと、枠の中は絵葉書の世界であった。ヴェンゲンは、高級リゾート地である。

ラウターブルンネンに戻り、インターラーケン行きのBOBに、さらにヴィルダースヴィルでシーニゲプラッテへ行く登山電車に乗り換えた。二両編成の小さなアブト式登山電車は、九十九折の軌道をカタカタと音を立てながら、ゆっくり登っていった。車窓から、山腹で草を食む牛の群れの遥か先にインターラーケンの町が見えた。
シーニゲプラッテ駅の上には、ホテルとレストランがあった。
ホテルにテディベアの展示室があり、ちょっと覗いたあと、ホテルのレストランで、ビールとビザの軽いランチをとった。 時々降っていた小雨が上がり、広大な視界の先に、青い空と純白のユングフラウが姿を現した。
シーニゲプラッテから、ベルナー・オーバーラントが一望にできる。西からユングフラウ、メンヒ、アイガーの三山が並び、その左にシュレックホルンとヴェッターホルンが聳え立つ。これらの山々を、グリンデルワルトの黒い谷とラウターブルンネンの白い谷が取り囲み、氷河を発する二つの濁流がヴィルダースヴィルの手前で合流し、インターラーケンのブリエンツ湖に注がれている。四千メートル級の峰々の臍にあたる部分に、標高二千二百四十メートルのメンリッヒェンが腰を据え、白と黒の二つの大渓谷をあくまでも隔てていた。
高山植物園は駅の裏にあった。自然の生息地に人工的な栽培を施し、アルプスの植物五百種類を蒐集し、それぞれの植物に俗称と立派な学術名を記した名札を掲げ、園内の遊歩道から観察できる。訪問時が、花のベストシーズンであった。

シーニゲ・プラッテ植物園
広さ8300m²、園内は高低差があり階段が付けられている
植物の説明がある表示板

登山電車とBOBを乗り継いで、日暮れ前にラウターブルンネンに戻った。ホテルでとった昨夕のディナーが美味しかったので、その日もテラスのテーブルを予約した。
このホテルのレストランは、地元でも評判がよいらしく、その夕べも込み合っていた。泊り客の数より遥かに多いテーブルの席が満ちて、それぞれ一家団欒を楽しんでいるようだった。老夫婦に、若夫婦とその子どもたちが大きなテーブルを囲み、賑やかに食事をしていた。それぞれ慎ましく好みの一品ずつを取り、ワインだけは家長の主が決めて、最後の勘定もおじいちゃんの財布を当てにしているようだった。そのテーブルに赤ん坊を連れた、弟夫婦らしいカップルが割り込み、おばあちゃんを中心に話が弾んでいた。
我々のメニューは、鹿肉の燻製に香草を添えた前菜、ピーマンやセロリなどの野菜がたくさん入ったトマトのスープ、ラウターブルンネンの川で取れた白身魚(ピーチ?)にスライスアーモンドをまぶしたフライ、これにフランス風ソースがよく合った。ワインはシャルドネのボトル、さらに、数種類のサラダをバイキングし、コーヒーが付いて、二人分のお値段は百十スイスフラン(九千三百円)であった。
メインディッシュのフライがとても香ばしく、ベルナー・オーバーラントの白が良かった。
 テーブルの料理が終わる頃、女将が挨拶にきた。連日、ディナーに百フランを使う我々は上客なのか、料理の出来やサービスに不満はないかと、商売物の愛想顔を落としていった。
個人経営のホテルは、日本の宿と同じように、女将が表を取り仕切っているようだ。中年を過ぎた彼女たちは、おしなべて背が高く細身で、銀髪混じるショートカットが似合い、眼光鋭い。

 八日目

ユングフラウヨッホからメンヒ登山へ                        

 WAB     ラウターブルンネン発     七時八分  
         ユングフラウヨッホ着     八時五十三分 
         ユングフラウヨッホ出発    九時三十分   
         メンヒ登山口         十一時 
         雨量計通過          十二時     
         東稜との合流地点到達     十三時 
         メンヒスヨッホ小屋到着    十四時
         メンヒスヨッホ小屋出発    十五時    
         ユングフラウヨッホ着     十六時三十分
         ユングフラウヨッホ発     十七時十分   
         ラウターブルンネン着     十八時五十分

雨が上がり、この日はユングフラウヨッホからメンヒを目指すことにした。前日、フロントに早朝の食事を頼んだが、ロビーに下りるとラップされたサンドイッチとコーヒーポットが置かれてあった。温かいコーヒーで朝食をとり、六時半にホテルを出て一番のWABに乗った。
クライネ・シャイデックで登山電車を乗り換え、アイガーの下から長いトンネルを抜け、ユングフラウとメンヒに挟まれたユングフラウヨッホ駅に着いた。構内の洞窟を歩き、アレッチ氷河に続く雪原に出ると、濃いガスがかかっていた。
クライネ・シャイデックはベルナー・オーバーラント三山の北側にあり、ユングフラウヨッホとメンヒ登山口は、アイガーとメンヒの大きな胎内を通り抜けた裏手の南側にある。北斜面にあるクライネシャデックは緑の草原の囲まれているが、南斜面は麓まで一面の銀世界である。洞窟の出口でスパッツとアイゼンを付け歩き始めたのが九時半であった。
高度障害を恐れゆっくり歩いたので、南東面を巻いた雪道を進みメンヒ南稜登山口に着いたのは十一時だった。視界は十メートルもないが、時々ガスが切れ見通しがきく。洞窟出口から登山口近くのメンヒスヨッホ小屋へ向かう広い雪道を、大勢の観光客が歩いていた。雪道を外れ、雪の斜面を横切り、スラブの稜に取り付き暫らく登ると、上からガイドに伴われアンザイレンした若いカップルが下りてきた。
手がかりを捜し、ピッケルを使いながら南稜を登ったが、切立った岩稜が続き、ザイル確保しないまま、これ以上登り続けるのは危険と判断し、雨量計の手前の岩陰に相棒を残し、一人で先へ進んだ。
水平な狭い稜線を進み三千九百メートル付近で東稜と合流し、さらに急な登りを過ぎると青氷の斜面になった。
氷の斜面を登った後、メンヒ頂上までは雪庇が張り出した狭い稜線を三百メートルほど進まねばならない。青氷に足がすくみ、立ち止まった。
時刻は十三時、これ以上進むのは時間的にも無理と判断し、引き返した。
戻る途中、頂上を目指す熟達者らしい女性二人連れと、初心者の若者を連れた壮年男性に出会った。彼らの登攀スピードなら最終電車に間に合うのであろうか。
登攀用ピッケルを両手にした女性のパーティーは、平地を歩むかのごとく、いとも軽々と岩を越え、瞬く間に見えなくなってしまった。かつては登山に没頭した様子が窺える壮年の男性は、後に続く幼さが残る若者に、手がかりを一つ一つ指し示し、巧みにザイルをさばきながら着実に登っていった。
親子なのであろう。山を登る男が、いちどは夢見る息子との関係である。
岩稜は、下りの方が危険である。手がかりを確かめ、腰を下ろしながら足を運び、相棒を残してきた雨量計の下にたどり着き、一安心した。
相棒は岩陰で待つうち、濃いガスの切れ間にアイガーの北壁が間近に現れ、そのシルエットがノースフェースのロゴと全く同じだったと、えらく感動していた。また、先ほど通った熟練女性二人連れに、ご主人が上がった場所まで一緒に登ろうと誘われたと、感激していた。
霧のヴェールが二つに裂け、その間からほんの一瞬だけ、たった一つの尖峰が見え、またあっという間に消えてしまうような眺めこそ、じつは一番印象的なのである。というのも、この場合は、目というレンズで写された映像が重なってぼやけてしまうことがなく、充分に焼き付けられて残るからである。(アルプス登攀記・ウインパー)
二人は、岩陰に腰を下ろし、濃い霧の中でランチをすませ、それから慎重に岩稜を下り、雪原を横切り、メンヒスヨッホ小屋に着いた。

清潔な午後のメンヒスヨッホ小屋

小屋で、オレンジジュースを飲み、体力の回復を待ちながら一時間休憩した。十五時に小屋を出たが、下り道にもかかわらず、ヨッホトンネルの入口まで一時間半もかかった。
二人とも疲れきり、最終一つ前の電車で、ラウターブルンネンに帰ってきた。
 登山ガイドブックに、メンヒは中級の山として紹介されている。岩登りはⅡのグレード、最大斜度は雪と氷のミックスで四十五度とある。南稜の雨量計下に、一ヶ所ピッケルがないと越せぬ岩塊があった。しかし、ルートを変えれば、素手で登れたかもしれない。青氷の斜面は、ピレイした方がよいが、なしでも、ステップを切り慎重に歩けば通過できるだろう。問題は、ルートファインディングである。穂高の大キレットを鉄梯子も固定鎖もなしに下るようなもので、ルートを誤れば立ち往生する。登り易いルート、安全な下山ルートを捜すのが登山の醍醐味であるが、初めてのメンヒでは時間がかかった。ガイドを付ければ登頂できたかも知れないが、貧乏旅行の我々にはガイド料が高すぎた。マッターホルンはいざ知らず、メンヒなら単独で大丈夫というおごりがあった。
せめて、前日はメンヒ小屋に泊る余裕をもつべきだった。
アルプスのハイキングコースには懇切丁寧な道路標識がついているが、登山コースには何の標識もなく、地図にもルート表示がない。登山ルートは、自分で捜すものなのだ。
ヨーロッパでは、登山とハイキングは明確に区分されている。日本の夏山は、彼の地のハイキングに相当するのだろう。登山は困難で危険を伴う分だけ、刺激的で悦びも大きい。登山は本来、若く体力の旺盛な者に適したスポーツである。筋力が衰え、指先は萎え、心肺機能が低下すれば、その能力に応じた行動をすべきなのだろう。

メンヒ南面(200年9月撮影)
この写真を見ると容易に登れそうな気がするが
スイス連邦公図 ヨッホからメンヒ登山ルート
スイス連邦公図 メンヒ




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