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アルプス モン・ブランを巡る旅 1 

モン・ブランを巡る旅 Ⅰ

 プライベートな海外旅行など夢想だにしなかったときも、アルプス登山にはあこがれていた。
ウインパーのアルプス登攀記やガストン・レビュファーの氷と雪と岩を何度読み返したことか。果たせぬ思いをカレンダーの写真に託し、いつも机の側にはアルプスの風景が載っていた。 

 40年の会社生活を終え、初めての海外旅行はアルプスを巡るツアーであった。この時目の当たりにしたエンガディンの山々、マッターホルンをはじめとするヴァリス山群、グリンデルワルト周辺のアイガー・メンヒ・ユングフラウ、シャモニのエギュード・ミディ展望台から望んだモン・ブラン、車窓から眺めるスイスの山村や牧草地には鮮烈な印象が残った。

 帰って早速装備を調え2シーズンの雪山トレーニングを経て、その2年後にアルプスの山々を巡る旅をした。
ツエルマット、ラウターブレンネン、シャモニ、サース・フェーを拠点とし、マッターホルン、ブライトホルン、メンヒ、モン・ブラン、アラリンホルンを目指し、登山の合間にはハイキングを、残雪豊富な、高山植物が咲き競う時期を選んでアルプスに出かけた。
 存分に思いを果たし、アルプスの余韻に浸るうち、次はアルプスのエリアを限定した旅をしたく、先ずはモン・ブランを巡る計画を立てたのだが。
その後の健康診断で大動脈弁不全が見つかり、2年後の2005年に心臓弁置換手術をした。その翌年には心内膜炎を発症し、2ヶ月の入院。
体力の回復に努め、やっと一年後の2007年7月モン・ブラン周遊の旅に出ることができた。

モン・ブランを巡る旅の行程表
エギュード・ミディから望むモン・ブラン

 エギュード・ミディから初めて見たモン・ブランに惹かれ2年後の2002年夏再訪した。
この時、モンブランには西側のグーテ小屋から登り、頂上付近の稜線から南に落ち込む黒い絶壁を見た。北東40km隔てたモン・フォールからは夕日に沈むモンブランを遠望した。     
モンブラン山群を周回する壮大なトレッキングとしてツール・ド・モン・ブラン(TMB)がある。しかしこのコースは途中で乗り物を使っても1週間はかかる。山小屋を泊まり継ぐ一日の行程も、年齢的にきつい。せめてそのエッセンスだけでも味わえればと計画を立てた。
TMBの中間部クールマイユールからシェクルイ・コルを経てエリザベッタ小屋までと最尾部ル・トウールからバルムのコルまでのトレッキングを試みた。それに加え、プラリオンとラックプランの山岳ホテルに泊まり、モン・ブランの雄大な昇日と夕日を眺めたい。シャモニの谷を挟んでモン・ブランを望むプレヴァンの展望台も日程に入れた。
出発は7月18日、ジュネーブ2泊、シャモニ2泊、クールマイユール2泊、ラックプランとプラリオンの山岳ホテル1泊、機内2泊で、KLMの航空券はHIS津田沼で購入した。
 今度の旅行もかなり欲張ったスケジュールで、大病後の体には無理があった。
シュクルイのコルまではクールマイユールからゴンドラとリフトを使う予定だったが、客が少なく両者とも休業、人力で登る元気は出なかった。また旅の後半に予定していたラックプラン往復は、長距離を歩く気力がなくなり、プレヴァン展望台からモンブランを眺めてプランプラまで下る短いコースに切り替えた。
この旅のハイライト、モン・ブラン南面を望むエルブロンネン展望台は生憎の曇天で濃いガスの中だった。
不本意なことが多かったなかで、コル・シュクルイの代わりに出かけたクールマイユールの裏山プラン・ゴレは素晴らしいところだった。森林のハイキングコースで、標識が完備され絨毯を敷き詰めたような足に優しい道は人影が少なく、クールマイユールを隔て雲間に浮かぶモン・チェティフの特徴ある山頂が見えた。快晴ならば、その先にモン・ブランが聳えていたのだが。

 

モン・ブランを取り巻くトレッキングコ当初の計画当初の計画

1日目、ジュネーブからシャモニへ、郊外へハイキングしエギュー・デュ・ヴェルト針峰群やドリューを間近に見る。
クールマイユールに移り、
2日目、コル・シュクレイからTMBを逆回りでエリザベッタ小屋まで。
3日目、エルブロンネルの展望台へ、南からモンブランを望む。
シャモニへ戻り、
4日目、モン・ブランの西に位置するプラリオンからグーテの登山ルートを望み、山岳ホテル泊。
5日目、プランプラからプレヴァンの展望台に上り、ラックプランまでトレッキングし山小屋泊。
6日目はラ・トルールに下り、TMBの最尾部バルムのコルまで登り、東からモン・ブランを望む。
7日目、シャモニで一日休養し、ジュネーブに戻り街歩き。

モン・ブランとスイス地図

  モンブラン登山基地のシャモニはスイス南西部に近いフランス領にある。
最も近い国際空港はジュネーブである。シャモニまでレマン湖畔を経由する鉄道より、フランス領を通るバスを利用した方が便利で安い。
アムステルダム・スキポール空港からの乗り継ぎ便は定刻通り19時30分ジュネーブ空港着、スイス通関フリー、到着出口から200m程歩くと鉄道駅に入る。自動券売機でチケット購入。6分でジュネーブ中心部のコルナバン駅に到着。

ジュネーブ・コルナバン駅

 駅前の左手通りを下り2番目の路地を左に、路地の奥にその日の宿ホテル・アットホームがあった。

ホテル・アットホーム

 辺りにはスイスに珍しく黒人が多く見られ、モロッコ料理の店があった。   ホテルにしては小さな入口の奥に文字通りのフロントデスクがあり、体格のよいお兄さんが座っていた。
予約を確認し、パスポートを提示し、宿帳にサインした後、2階の部屋の鍵を渡された。
通りに面した部屋は狭いが清潔だった。荷物を広げて洗面道具やパジャマを取り出し、シャワーを浴びてベッドに入ったが、外が騒がしく寝付けない。エアコンがないので窓を開けていたのだ。窓から下を覗くと、向かいの歩道で数人の黒人がアフリカ系の音楽を歌っていた。
 翌朝早く目覚め、朝食前に街を散歩した。
コルナバン駅前の右通りをモンブラン橋に向かうとレマン湖に出た。
通勤の車が行き交う橋には弔旗のような黒丸の旗が掲げられていた。

モンブラン橋
ビジネス街
モンブラン公園のモニュメント
ビジネス街

 シャモニ行きのバスの便を確認するため、モンブラン広場を横切って観光バス乗り場を探す。中央郵便局の後ろに大きなバス乗り場があった。           駅前から一直線に延びる大通り、ビジネス・ビルが建ち並んでいる。 早朝で人通りは少なく、通勤のバイクや小型車が多かった。アットホームの朝食はフロント横の小さなカフェでコンチネンタル・ブレックファストを、先客が一組いた。トランクを転がして今朝見届けたバス乗り場まで15分、既にバスを待つ人たちがいた。

シャモニ行きSATバス停

 シャモニ行きのSAT定期バスは一日2便、ジュネーブ空港始発1便のバスはここでほぼ満席になり8時30分出発。
シャモニまではフランスの田舎道を走る。途中小さな町に立ち寄り、10時頃シャモニ駅前に着いた。
 
中心街に向かう大きな道路を5分も歩くと予約していた宿、ポイント・イザベルがあった。

ホテル・ポイント イザベル

ここはTさんがモンブランに登ったとき泊まった宿で、韓国人のオーナーが山に詳しいと推薦されたが、5年前モンブランに登るとき問い合わせたところ、シャモニで一週間滞在し高度順化をしなければ駄目だと、またガイドを付けなければ登れないと云われ敬遠したホテルだった。その時は中心街にある3星ホテル、クロア・ブランシェに泊まったが、この度は駅前のバス停に近く、宿代が安いポイント・イザベルを選んだ。二日後の予約を確認し、スーツケースのデポジットを頼むと、鍵のかかったトランクルームに案内され、身軽になった。この日はシャモニ郊外のレストラン・フローレまでのハイキング。繁華街を抜けプレヴァン展望台への標識を目印に進む、途中5年前に入った日本料理店さつきが見えた。街外れにあったパン屋の店先で軽いランチ。

パン屋の店先
プレヴァン展望台へのゴンドラ乗り場
レストラン・フローレへの分岐

 レストランは本日休業の看板が出ていた
雑木林のなかにつけられたハイキングコースはなだらかな登りで始まり、少しずつ傾斜を増しながら高度を上げていく。展望のない道をジグザグに登ると分岐に出る。樹林の切れ間からドリュの鋭い山容が迫り、谷間にはシャモニの町が見えた。

ドリュウ
シャモニの街

 標識のある十字路を過ぎると道は急になり展望が開けてきた。

ハイキングコースの標識

先ほどから相棒の靴底がはがれかけ歩きにくそうだったが、すっぽり取れてしまった。片足は保っているので何とか歩けたが、フローレのレストランも休業だしシャモニへ戻ることにした。
街で神田さんがいるスネルスポーツ店に行くと2時間半の昼休中であった。ホテルへの道筋に靴屋があったので覗くと手頃な登山靴があった。バーゲンで5,6千円だったと記憶する。
 まだ時間は早いが、楽しみにしていたクールマイユールのホテルドローネへ向かうことにした。
駅前からSAVDAの定期バスが出ている。ハイシーズンのこの時期は一日6便、15時にシャモニを発った。モンブラントンネルは通行規制があり入口で大分待たされたが、1時間ほどでクールマイユールのモンテ・ビアンコ広場に着いた。

クールマイユール  モンテ・ビアンコ広場


インフォメーションでコル・シェクルイへの便を聞くと、ゴンドラとリフトは休業中、5年前に2時間かけて下ったあの道を登る気力はなくTMBのトレッキングを断念した。代わりに明日はクールマイユールの裏手にあるプラン・ゴレの森に行くことにし乗り合いバスの時刻を問い合わせた。
広場からホテル・ドローネまでの勝手知った道を進むと懐かしい建物が現れた。

ドローネの入口、スーパーが見える
ドローネの雑貨店
ドローネの象徴、モン・チェティフ 2343m
初めてドローネに足を踏み入れたとき、道案内をしてくれたお婆さんが住んでいた可愛らしい家
街角から見えるグランド・ジョラス

 先年冬季五輪がトリノで開催され、クールマイユールはフィギヤースケートの会場になったそうで、辺りはすっかり垢抜けてしまった。田舎くさいドローネが魅力だったのに。
ホテル・ドローネから奥に続く路地はすっかり整えられ、ホテルの裏窓から見えた隣の襤褸家の洗濯物は消え、石屋根が整然と葺かれていた。

ホテル・ドローネから続く路地
ホテル・ドローネ
ホテル・ドローネ
ホテルの裏窓から

 同じ場所から撮った5年前の懐かしい写真

5年前のホテルの裏窓から 
ホテルの裏窓から見えるグランド・ジョラス

  モンブラン周遊2日目、クールマイユールからSAVDAの定期バスでエルミタージュまで、ジグザグに山を上がる途中に集落がある。別荘らしい屋敷が並び、1台の大きなフェラーリと数台のポルシェを垣間見た。ここは、北イタリアの高級避暑地なのであろうか。

エルミタージュのSAVDAバス終点

エルミタージュはクールマイユールから約15分の距離で、1時間に1便。
プラン・ゴレのハイキングコースには、そこかしこにコースNo.と行先を示す標識があり、森林のなか、絨毯を敷き詰めたような道を進む。

トレッキング標識
森林浴をしながらのトレッキング
道端の高山植物
 標高は1000mあたり、エリアを示す標識
樹林間からクールマイユ-ルの方向にモン・チェティフが見える
クールマイユールの町とモン・チェティフ、彼方にはモンブランが見えるはず
小高い丘からフェレの谷を経てモンブランを望む
クールマイユールとドローネ近郊の山々

エルミタージュの終点から30分ほど登ったところに la Suiche の山小屋があった 

la Suiche の山小屋
小屋の裏手を登ると草原になる
至る所に高山植物が
小屋の裏手を登ると小高い丘がある
作業小屋があり山仕事の気配がした
その先の、朽ちた小屋と廃小屋

1999年7月16日に撮影された写真(山と渓谷)だが、このような幸運に恵まれることもあるのだ

モン・チェティフ山頂から望むモンブラン
モン・チェティフ山頂から見下ろすフェレの谷とグランド・ジョラス

 コースは下り森林の中に入る。こんなにのんびりとした山歩きは久しぶりであった。

下山路

エルミタージュに戻り再びバスでクールマイユールへ、例のピザ屋でピザを食べた。

クールマイユール中央通りにあるピザ屋

 この小さなピザ屋は、5年前駅前の立派なレストランでピザを注文したら、店主が彼処のピザが美味しいと教えてくれた店で、店の名前は5年前と同じだったがスタッフが変わり、若い売り子が出来合いのピザを焼いていた。
5年前に食べた、女将さんが生地を延ばし、親父さんが注文に応じた具を入れ焼いてくれたピザが懐かしい。

 3日目はエルブロンネルの展望台へ行く。
ホテル・ドローネをチェックアウトして荷物を預かってもらい、クールマイユールへ。
バスセンターからラ・パルド行きのバスに乗りゴンドラ乗り場へ向かう。

ラ・パルド ゴンドラ乗り場
ラ・パルドを見下ろす
中継駅

ゴンドラとロープウエイを乗り継いで標高3462mの展望台に向かう。
展望台では、とにかく真っ白で何も見えなかった。
展望台の一廓に十字架のキリストがあった。
腕時計の標高は3402m、視界があれば絵葉書のようなモンブランとグランド・ジョラスが見えたのだが。                    

エルブロンネルの展望台
十字架のキリスト像
標高3405m

晴天のエルブロンネルの展望台眺望(ラ・パルド ゴンドラ乗り場に掲示)

エルブロンネルの展望台からモンブラン
エルブロンネルの展望台からグランド・ジョラス

 濃いガスの中で、寒いだけの展望台を後にした。
ゴンドラでラ・パルドに下る途中、乗換駅に植物園があった。
大斜面に設えられた園内には付近の高山植物が整然と植えられていたが、あまりにも人工的である。暖かい日射しのもと、ベンチに腰を下ろし、ホテルから持参したパンとハム、チーズのランチを摂った。
 先ほど、エルブロンネルに上るゴンドラにピッケルにアイゼン、ザイルを肩にしたイタリア人の若いカップルが乗り込んできた。彼らは展望台に着くと別な出口から下りていったが、氷河歩きをするのだろうか。
モンブランのフランス側展望台エギュード・ミディとエルブロンネルを結ぶロープウエイがあるが、その下の氷河歩きをするコースもある。途中山小屋に一泊するが、さぞや魅力あるコースであろう。
クレバスが多いのでガイドが必要と聞いていたのだが、彼らは庭歩きをするような気軽さであった。
 ドローネのホテルに戻り、親父さんにSUVでバスセンターまで送ってもらった。トンネルを抜けてシャモニへ、ポイント・イザベルにチェックイン、トランクを引っ張り出して着替えと洗濯をした。
その夜の食事は記憶にない。恐らく、広場の先のスーパーでパンやハムなどを買いホテルの部屋ですませたと思う。

  

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