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ワンダフルスイス
スイス旅行
40年間の勤めを終えた退職記念はスイスへ、真っ先に思い浮かんだのは憧れのアルプス、40年前には夢想だにしなかった旅が手に届く。
2000年秋、阪神航空社ワンダフルスイス10日間のツアーを申し込みスイスへ行った。
学生時代、月に一度は山に登り、泊まった山小屋は100指を超えた。
働き盛りは山を封印していたが、50を過ぎた富山勤務の折、晴れた日間近に現れる剣や大日に刺激され登山を再開、単身赴任の3年間、春から秋にかけての休日は近くの山を訪れた。
登山を始めた頃に出会った本、「スイスの山」は、昭和38年(1963)保育社から出版された文庫本で、当時では珍しいカラー写真がたくさん載っていた。不鮮明な印刷だったがアルプスの急峻な岩壁と鋭い峰、豊かな純白の氷河、可憐な高山植物は、別世界を見るようで、国土地理院5万分の一の地図を頼りに山に登った時代の稀少な情報源だった。
物が豊富になって本もたくさん出版され、日頃は串田孫一や深田久弥などの本で日本の山々を読み巡っていたが、夢はアルプス、時にウインパーの「マッターホルン登攀記」やガストン・レ・ビュファーの「雪・氷・岩」を読み耽った。
日本のアルピニズム発祥はウエストンによると言われているが、その起源はヨーロッパアルプスである。
何故山に行くのか、山の精気に触れたものでないと理解できない。拠りどころで癒し主の山、その聖地がアルプスである。
ツエルマット、グリンデルワルト、シャモニ、サンモリッツに泊まり、マッターホルン、アイガー、ユングフラウ、モンブランを間近にし、氷河特急にも乗れる、アルプスをちりばめたツアーを選び、二人分75万円を阪神交通社に支払った。
フィルムカメラを持参し、30本に及ぶ写真を撮った。5年後の7月に、3週間をかけてツエルマット、ラウターブレンネン、シャモニを巡ったが、9月に出掛けたこの年のような天候に恵まれなかった。
我々にとって、ツエルマット、サンモリッツ、モンブラン、グリンデルワルトの山岳写真はこのとき限りのものであり、初めての景色に息をのみ感動した記念である。
実質7日間の行動日で天気が悪かったのは一度だけ、ブリエンツ湖畔に着いた時小雨に遭い、SLでロートホルン山頂に向かう途中の景色にガスがかかった。
ツアーは2台のバスに分乗し、アルプスを巡った。ツアーメンバーで記憶に残るのは、名古屋から参加された帽子屋さんのご夫妻、山慣れた様子の若いカップル、新人類とおぼしき異色な夫婦、彼らの名字が違うので奇異に感じたものだ。
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2000年9月7日8時40分、成田空港第二ターミナルJALカウンターに集合、添乗員1名。スイス航空SR―9671便にて11時10分出発。
16時40分チューリッヒ到着、バスでAirport Hiltonへ移動、部屋割り後解散。
まだ日は高くホテル周辺を散策した。
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9月8日(金)朝食後専用バスでリヒテンシュタインからマインフェルト経由でサンモリッツへ
チューリッヒから東南へ、氷河によって形成されたチューリッヒ湖沿いに
約100km先のリヒテンシュタインに向かう。
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リヒテンシュタインでは首都ファドゥーツの街を散策した。
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リヒテンシュタインはスイスとオーストリアに挟まれたヨーロッパ第4の小国、高度な印刷技術による美しいデザインの切手は世界中に有名である。
平凡な街並みは閑散としていた。ここでレストランに入り団体昼食、
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切手博物館見学、土産物屋に入り小物を物色、カウベルを買う。
ファドゥーツから15km南のハイジの里マインフェルトに向かった。
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バスはハイジの泉で休憩し、そこから100km南のサンモリッツに向かった。
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マインフェルトからサンモリッツまで約100km、バスは途中ユリア峠
標高は2284mを越える。ここで小休止した。この峠はローマ時代からイタリアとスイスを結ぶ交通の要所だったという。高度のせいか寒かった。
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サンモリッツに近づき、ランドヴァッサー橋で下車・見物・写真撮影、この橋は翌日サンモリッツから乗車する氷河急行の観光名所である。
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サンモリッツでは、いきなり宿泊ホテルPOST HOTELの前にバスが横付けになったので、街の様子がよく分からなかった。バスはそのまま駐車場に向かい、翌朝再び現れた。このバスはツアー中ずっと我々と行動を共にしたのである。 ホテルのロビーで部屋割り後解散、夕食までたっぷり時間があり、ツアー客は三々五々街に出た。
我々はベルニナ山群を間近に見るためにコルバッチ展望台に行くことにした。市内からバスも通っているようであったが、夕食までの短い時間でコルバッチを往復するためにタクシーを利用した。
タクシーを呼び、サンモリッツ湖から流れ出るイン川に沿って南西に下りスールレイにあるロープウエイ駅に向かった。タクシー代、チップ込みで30SF。そのままサンモリッツに引き返す運転手に2時間後の迎えを頼んだのだが、これが後になって大変な目に遭うことになる。
空中ケーブルを乗り継いでコルバッチ山頂駅に登る途中、眼下の景色は素晴らしいものだった。
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山頂展望台からの眺めは筆述に尽くしがたし、これぞ夢に見てきたアルプスであった。
北に2つの湖を隔てピッツネイルなどのエンガディンの山々を望み、目を南に向けるとベルニナアルプスが迫ってきた。
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展望台から北を望む、シルヴァプラーナ湖のくびれている所がスールレイの橋、右手の奥に僅かに見えるサンモリッツ湖とサンモリッツの街。
展望台から南に目を転じてベルニナ山塊を望む。
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奥中央がピッツ・ベルニナ(4049m)、その右の尖ったピークがピッツ・シェルシェン(3971m)、その後方はピッツ・ロゼッタ(3937m)、右にジルメス、ラ・セア、ベルニナの左後方にピッツ・バリュー(3905m)、その左前はピッツ・モルテラッチ(3751m)、一番左にピークはピッツ・チエルヴァ(3545m)、3500mクラスの峰々が並ぶ
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展望台から続く尾根は踏み後もありアイゼンを付ければピッツ・ムルテル頂上まで簡単に登れそうであった。そこからのベルニナ山塊の眺めはいかばかりか。
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正面のピークがピッツ・ムルテル(3433m)右奥にピッツ・コルバッチ(3451m)
見飽きぬアルプスの絶景を後に空中ケーブルを下りて外に出ると頼んでおいたタクシーがいない。約束の時間が過ぎてもいっこうに現れないタクシーを諦め、歩いてスールレイに向かった。坂道の折り返しにレストランがあったので、しばし休憩して待つも、タクシーが登ってくる気配はなかった。
湖畔まで下りると、往きには気付かなかった立派な邸宅が並んでいた。後で聞くとイギリス王室の別荘もあるリゾート・エリアだそうだ。大きな橋を渡りタクシーに乗ってきた道をサンモリッツまで引き返した。
距離にして7,8kmもあろうか、ホテルに辿り着くまでどのくらい時間がかかるのか見当もつかなかった。 1時間が経ち、夕食の集合時間は過ぎてしまった。右手下にサンモリッツ湖が見えたが街は遙かに遠く林の先には何も見えなかった。時々車が通る。意を決してヒッチハイクすることにした。相棒が道路に出て手を挙げ合図したが何台か通り過ぎた。諦めずに続けると、やっと小さな車が止まった。亭主が現れホテルの名前をいう、乗れとの合図、助かった。一息ついて話しかけるが、英語が分からないとの身振り、車の主は地元の農夫のようだった。暫く走ると見覚えのある街が現れ、ホテルの前に着いた。
礼を言ってお金を差し出すが、受け取ってくれなかった。下り際に重ねて礼を言い、紙に包んだ50SFを置いてきた。ホテルでの夕食は始まっていたが、我々もかろうじてありつくことができた。
翌早朝、ホテルを出てサンモリッツ湖に向かって散歩をした。別荘風の落ち着いた邸宅が建ち並び、湖や山々など自然の景色に調和していた。
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朝食をすませ、バスでサンモリッツ駅へ、
9時半の氷河特急に乗りアンデルマットまで乗車。
昼は食堂車でランチ、名物の傾いたワイングラスで乾杯、値段の割にはありきたりの食事だった。
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アンデルマットで下車、バスが待っていた。
フルカ峠を越えてローヌ氷河見学、1982年フルカトンネルが開通し、それまでは冬期積雪により運休していた列車は通年運行が可能となった。
しかしながら「氷河急行」の由来であったローヌ氷河を眺めるルートは廃止になり、氷河急行は名ばかりの列車になってしまった。観光ルートはバスでローヌ氷河へ行くのが常道になっている。ローヌ氷河の入り口にある売店で初めて有料トイレなるものに入った
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ローヌ氷河はフルカ峠(2,431m)とグリムゼル峠(2,165m)に挟まれた谷に流れる氷河で、溶け出た水はレマン湖を経由してフランスに流れて行き、ローヌ川となる。
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ローヌ氷河見学をした後、バスは一路115km離れたツエルマットに向かった。ツエルマットの街はガソリン車乗り入れ禁止になっている。一つ手前の駅テェシュで電車に乗り換えツエルマットへ。
今夜の宿はゾンネ、駅前の大通りを西に上り、教会の袂から右に小路を上がると大きな四つ星ホテルがあった。
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ホテル・ゾンネは、清潔で良く整頓された室内、食事も団体客向きでそこそこ、日本人のツアー客にマッチした典型的なスイスの宿であった。
部屋割りをしてから夕食前のガイド付き散歩、山岳博物館などツエルマットの名所を見学した。宿に戻ると待ち構えていた女将が土産物の押し売り、素晴らしい景色とあこがれのスイスに酔っていた気分を損ねた。
9月10日早朝、マッターホルンが見えるという教会に下りて写真を撮った。大勢の観光客がシャッターを押していた。
大通りを遡り街はずれまでマッターホルンに近づく、このビューポイントから朝日に映える山頂が撮れた
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朝食後一番の登山電車でゴルナグラード展望台へ、進行方向右側にマッターホルンが現れ、ひたすらシャッターを押し続けていた。
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標高3130mのゴルナグラード駅に近づくにつれ山々は迫力を増し迫ってきた
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登山電車の終点ゴルナグラード駅から石段を上ってホテルの横を通り、さらに少し登るとホテルの裏に立つ、ここが標高3131m、アルプスで最も高い展望台である。
ここからヴァリスの山々が望める。
なんといっても一番目を引くのは、東にマッターホルン、そこから北にダン・ブラッシュ、オーバー・ガーベルホルン、チナール・ロートホルン、その右にひときわ鋭い形をしたワイスホルンが続く。
眼前の南にはブライトホルンとその右肩にクライン・マッターホルンが、その左にポリュックス、カストールと続き、広大なゴルナグラード氷河の奥にリスカムが聳える。さらに東にはスイスの最高峰モンテ・ローザがでんと座っていた。
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さらに右、北に目を転ずると
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南に目を転じると、マッターホルンの左にブライトホルンとその肩にクライン・マッターホルン、前方にブライトホルン氷河とシヴェルツェ氷河が見られた。
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奧のピークがスイスの最高峰デュフールシュピッツエ(4634m)
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ヴァリス州にはアルプス4000m峰の大半が集中している。
ゴルナグラード展望台から正面に見えるマッターホルンから連なる山々と、背後のオーバーロートホルンから東方に聳えるアラリンホルン、タッシュホルン、ドム、ナーデルホルンなどの4000m級9座が連なる山々、この二つの山塊に囲まれているのがツェルマットにいたるマッターフィスパ渓谷である。
ヴァイスホルン、チナールロートホルンの西にはウインパーのアルプス登攀記で有名なチナールの谷が形成されている。
一方、アラリンホルンの東側の谷はサースグランドにいたるサーサーフィスパ渓谷があり、それぞれの谷は氷河に削り取られてできた。
ゴルナグラードからの帰途、次の駅ローデンボーデンで登山電車を降り、ツェルマットまで歩いた。ハイキングコースは軌道に沿うようにつけられ、左手前方にマッターホルンを眺めながらのんびりと下れるゴールデンルートであった。
ゴルナグラード氷河を左下に見ながら下るハイキングコースは、氷河が削り取った砕石に覆われていた。やがて、そこここに草地が現れ、高山植物が咲いていた。
リッフェルゼーには小さな池があり、正面のマッターホルンを映していた。風がなければ美しい逆さマッターホルンが見られる。ここから道は草地の中を北に下り、リッフェルベルクに向かう。前方に、ヴァイスホルンをバックに瀟洒なホテルとレストランが見下ろせる。心躍らせながらのトレッキングを楽しんだ。
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ツアーメンバーの大半がここからツエルマットまでトレッキングした
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ホテルは休業中であったが、中に入れて貰いトイレ休憩した。
正面にマッターホルン、遠くにヴァイスホルンなどヴァリスの山々を望める絶好の位置にあるこのホテルに泊まれたらと思わずため息が出た。
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後方はサースフェーのミシャベル山群に連なる
リップフィッシュホルン(4199m)とストラールホルン(4190m)
ここで、道は軌道を渡り、スネガとツエルマットとの分岐でスネガの標識を右手に、西に進むとフィンデルンを経てツェルマットに下る。
小さなフィンデルンの村は石板の瓦を葺いた家が寄り合い、放牧小屋が並び貧しげに見えた。ネズミ返しの柱をしつらえた小屋が珍しかった。
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フィンデルンを過ぎると樹林帯が続く。再び軌道を渡りツエルマットに近づくと祠があった。鉄橋を渡る登山鉄道を見上げ、さらに下るとツェルマットの街はずれに出た.
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この日の夕食は自由行動、我々は大きな墓地の先にあるピッツア・ローマのカウンターテーブルに座り、ハムサラダ、スープ、ピザ、イタリアの白ワインで舌鼓を打った。
ツェルマットはマッターフィスパ渓谷の上流に川に沿って発達した街である。渓谷の奥にマッターホルンが聳え、マッターホルンによって発展してきた。
アラリンホルン、タッシュホルン、ドムなどのミシャベル山群を擁するサーサーフィスパ渓谷の上流には観光客で賑わうサースフェーがある。
これに対し、ヴァイスホルンやチナールロートホルンなどの峰々を頂くチナールの谷はウインパーの時代と変わらぬ静けさを保っているように見える。
街の中央を流れるマッターフィスパ川の西側斜面には大きな家が並びホテルなども建設中であった。この斜面はチナールロートホルンに連なり、峰を越えるとチナールに達する。かつて、ウインパーはチナールからツェルマットにいたる山越えをしたという。
9月11日、朝食後、テッシュで待つ専用バスに乗りカンデルシュテークへ90km、途中バスごと列車に乗るカートレインを経験した。
カンデルシュテークでは美しいエッシネン湖を見に行った。
まず長いリフトに乗ってレーガーまで登り、峠を越え30分も歩くとエッシネン湖に着く。山懐にひっそりとたたずむエメラルドグリーンのエッシネン湖は、観光客がいなければ、まさに桃源郷である。
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たくさん写真を撮り、湖畔のレストランで昼食をとり、峠を越え、再びリフトに乗ってカンデルシュテークに下った。リフトからの眺め、眼前の山々の景色がまた格別だった。
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見上げる丘陵では羊が牧草を食んでいた、谷間の集落と山と牧草地、 ハイジの世界に迷い込んだような、スイスらしい景色
再びバスに乗り、インテーラーケンを経てグリンデルワルトへ70km。
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宿は駅前のKREUZ & POST、部屋に荷物を置きさっそく街を見学、直ぐに街はずれにいたる。
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9月12日、火曜日、早朝、ホテルを出て駅前をヴェッターホルンと反対側、北へ足を運んだ
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朝食後ホテルの前の駅、グリンデルワルトから登山電車BOBに乗ってユングフラウヨッホへ、途中クライネシャデックでWABに乗り換えた。
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クライネシャデック駅でラウターブレンネンから上ってきたWABに乗り換え、ユングフラウヨッホに向かう。
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登山電車は次の駅アイガークレッチャーからアイガーとメンヒの土手っ腹をくり抜いたトンネルに入る。
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恐ろしげなアイガー北壁をトンネル内アイスミアー駅の窓から見ることが出来る。アイガー北壁はグリンデルワルトの正面にあたり、遙か下の麓から望遠鏡で登攀中のクライマーが見えるそうだ。
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アイガー、メンヒ、ユングフラウの北側にあるクライネシャデックから上ってきた登山電車はアイガーとメンヒの土手っ腹を抜け、メンヒとユングフラウの間にある小ピーク・ユングフラウヨッホの洞窟内終点ユングフラウヨッホ駅に到着し、乗客は展望台に続く大ドーム、ユングフラウヨッホに導かれる。
ユングフラウヨッホのドームは、トンネル入口北斜面の反対側、メンヒとユングフラウ間の小ピーク南斜面に顔を出している。
トンネルを突き抜けて、反対側にあるユングフラウヨッホに出た時、東西の方向感覚が分からなくなった。最上階にある展望台の右手にメンヒが、その先がアイガー、左手にユングフラウが位置し、この関係が北側にあるグリンデルワルトやクライネシャデックとは逆になる。
メンヒの西稜が真正面に、アイガーはメンヒに遮られ、ユングフラウは西側面があまりも間近く全貌をつかめない。ユングフラウヨッホから外に出て、南斜面の少し離れた広大な雪原に立つと、3峰全体を仰ぎ見ることができる。
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雪原の真正面にアレッチ氷河がある。ユングフラウヨッホから南に流れ出る長大な氷河は氷河急行の停車駅ブリークの近くまで達している。
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残念ながらこの位置ではアイガーはメンヒの影に隠れて見えない
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後方はフィッシャーホルンに連なる峰々
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久しぶりの雪の感触を楽しみ、ユングフラウヨッホを後にした。
帰途は、トンネルの入り口アイガークレッチャー駅で下車、アイガー氷河を見ながらクライネシャデックまで下り、駅裏からメンリヒェンにいたるコースを歩くことにした。
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アイガークレッチャー駅、駅舎の裏からハイキングコースが始まる。
駅舎の裏には放牧斜面があり、赤鼻の可愛らしい牛が草をはんでいた。
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アイガークレッチャー駅舎を出るとアイガー氷河が一望できる。氷河沿いにモーレン上につけられた尾根道を下る。道はやや急坂で右手には草原が、初夏には高山植物が咲き乱れている。左手には氷河に削り取られた岩場が広がる。
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さらに下ると軌道沿いに右に行くコースとの分岐があり、そのまま尾根道を下る。左手にユングフラウが迫り、正面奥の深いラウターブレンネンの谷を挟んでミューレンの町が見える
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標識にコースタイムが表示されているが、現地のハイカー基準、我々の足では表示タイムの略30%オーバーだった。
崩れ落ちる氷河、その瞬間は雷鳴のような響きをあげる
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クライネシャデックからメンリッフェンに抜けるコースをトレッキングした。 メンリッフェンはグリンデルワルトとラウターブレンネンの間に位置し、ベルナーオーバーランド山群の名峰、アイガー、メンヒ、ユングフラウに抱かれた高原の中央にある。
グリンデルワルトの谷とラウターブレンネンの谷は、その真ん中にメンリッフェンの高原を包み込み、ツヴァイリッチーネンで合流し、氷河を発した奔流はインターラーケンへ向かい、ブリエンツ湖に入る。
下流のヴィーダスヴィルから登山電車で上ったシーニゲ・プラッテ山頂からベルナーオーバーランド3山を望むと、その手前に大きく広がるなメンリッフェン高原が見える。
標高2061mのクライネシャデック駅の裏からメンリッフェン(2343m)に続く高原の道が続く。このハイキングコースは、二つの深い谷に囲まれて見晴らしが良く、特に3山の姿が適度の大きさで見える位置にあり、人気が高い。
インターラーケンから南上した登山電車は二つの谷の合流地ツヴァイリッチーネン(553m)で別れ、それぞれグリンデルワルト(1034m)とラウターブレンネン(796m)に向かう。
グリンデルワルトとラウターブレンネンから、それぞれクライネシャデック(2061m)へ上る登山電車があり、クライネシャデックで合流し、ユングフラウヨッホ(3454m)まで上がる。登山電車の軌道はメンリッフェンの高原を迂回して周環し、ユングフラウヨッホまで延びている
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メンリッヒェンからテレキャビンに乗りグラントまで40分の空中散歩を楽しんだ。
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グルントで登山電車に乗り換え、次の駅グリンデルワルトに到着。
9月12日、夕食はクロイツ・ポストのレストランでオーダーメニュー、ベルナー・オーバーラントを満喫した1日が終わった。
9月13日、朝食後専用バスでインターラーケンを経て、湖畔の町ブリエンツで下りると小雨が降っていた。ブリエンツからミニSLでロートホルン山頂へ上がった。
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ブリエンツ湖畔の道路を渡ると、ロートホルンに上る登山鉄道の駅がある。この登山鉄道のミニSLは、蒸気機関車に牽引された2両の客車が標高2350mの山頂駅まで約1時間で急勾配を登る。
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軌道は急勾配をジグザグに上がり、車窓の左右に絶景が広がる。
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山頂駅からはベルナーオーバーランドの山々も遠望でき、360度の眺望は素晴らしいそうだが、あいにくのガスで視界は狭かった。ツアー7日間の周遊で、このポイントだけが唯一視界を限られた。
再び、ブリエンツの町に下り、団体昼食。
ブリエンツは熊の木彫りで有名、土産物屋を覗いたが、高価で手が出なかった
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途中で立ち寄ったインターラーケンは、お洒落な街だった。美智子皇太子妃(当時)が求められて有名になったチョコーレートを観光客は競って買っていた。
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昼食後バスは一路シャモニへ250km、宿はエギュード・ミディに上るロープウエイ乗り場近くのラ・プリエール。
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ロープウェイを乗り継いでエギュード・ミディへ
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右が北峰、➀がシャモニからのロープウエイ、②シャモニテラス、
橋を渡り中央峰へ、エレベーターで頂上テラス⑩へ、モンブランテラス⑭からモンブランが見える、
イタリア側のエルブロイネンに下るテレキャビン⑮
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右からグーテ(4304m)、モンブラン(4807m)、モンディ(4465m)、タキュール(4248m)
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手前がグラン・コンバン(4314m)
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エギュー・ド・ミディから再びシャモニに下り、昼食後バスでベルンへ169km
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ベルンは1197年要塞都市として築かれた。石造りの重厚な街は戦火を免れ、ほとんど無傷で中世の姿を伝えているという。人が多いせいか、街は薄汚れていた。ここに来るまで、美しい自然の中で過ごしてきたので特にそう感じたのかも知れない。
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クマはベルンの象徴として15世紀から飼われていた
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当初の予定ではベルン泊だったが急遽予定変更、チューリッヒに近いルツェルンまで足を伸ばした。
ルツェルンは清潔で明るい街だった。ワグナーが晩年を過ごした街であるが、文化の香り高く感じられた。再び訪れたい街である。暗くなって着いたので街の写真が殆ど残っていない。
宿は市内を流れるロイス川カベル橋の側、セントラルホテル、近くに2つ教会があった。最後のディナーはカペル橋袂のレストランで、親しくなった帽子屋さんご夫妻らと添乗員さんを誘ってこの旅を豪華に打ち上げた。
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翌朝早く、街に買い物に出て、感じよいおばさんの小さな店でコートや靴を買った。
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朝食後10時半、ホテルを出てチューリッヒ飛行場に向かい、14時発のスイス航空で日本へ。
翌9月16日、成田着、旅の興奮冷めやらぬまま帰宅した。
この10日間の旅が我々にいかに強い感動を与えたものか、2年後に出かけたアルプスの旅がそれを物語っている。
エギュードミディから見たモンブラン、ユングフラウ・ヨッホから間近に望んだメンヒ、4000m級の登山を目指してトレーニングすることになった。初冬の燕岳、冬の木曽駒、春の涸沢と奧穂、雪山の経験を踏まえ、2年後に再びアルプスの地を踏んだ。