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ヨーロッパ・スキー旅行 1

 アルプス・スキー

 この旅のきっかけは前年秋の尾瀬トレッキングだったが、それを遡ること4年前にそもそもの発端があった。
退職後、学生時代の親友O君と出会い、彼との山行きを再開した。その最初の山行きで、彼は会社の同僚だった3人の山仲間を紹介してくれた。
その時から一昨年までの10年余を一緒に山行したYさん、蓼科に別荘を持ち
5月の連休や夏冬の休みに快適な山荘を提供してくれたBさん、中年になってから山を始め山の虜になってしまった大阪在住のTさんである。
彼らとは年に4,5回の山行をしたが、冬になりスキーを誘われた。
スキーは学生時代にしばしば出かけたが、40年間のブランクもあり初心者同様であった。再度挑戦するには大きな目標があった方が良いと鼓舞され、ヨーロッパのゲレンデを目指した。
年一度の乗鞍高原合宿や志賀、湯沢、蔵王などのゲレンデを経験していたが、初志を忘れかけていた頃、尾瀬の帰りに東京駅地下の中華料理店で打ち上げをしていたとき、ヨーロッパのゲレンデを滑りたいと話が盛り上がり、早速スケジュールを立て航空券の手配をしたのである。

サンモリッツ・コルビグリアのゲレンデからベルニナ山群を望む

 オーストリアの西半分はドイツ、スイス、イタリアに囲まれている。
東側は、旧ハプスブルグ家の領地であったチェコ、スロバキア、ハンガリーそして南にスロベニアを配し、かつて権勢を誇ったウイーンがそれら国々の中心にあった。

オーストリア周辺地図

 ヨーロッパのゲレンデはどこがよいか。
OさんとYさんは、すでにシャモニーとツエルマットを経験していた。二人の助言で、サンモリッツとインスブルック、さらにインスブルックに近いザンクトアントンへ行くことにした。
 サンモリッツは初めて冬季オリンピックが開かれた高級スキー・リゾート地で、夏には行ったことがある。インスブルックも最近冬季オリンピックが開かれた都市である。
 ザンクトアントンはオーストリアでは一番人気のあるアルペン・リゾートの地だそうだ。 
 前年、Oさんはツアーでオーストリアに行き、ひとりウイーンをさまよったことがある。スキーの後にウイーンを加えたいという彼の強い意向でウイーンを中継地とすることにした。
航空券と宿の手配は例によって私が担当した。彼らによれば、私には宿を選ぶ才能があるという。
飛行機は当然のことながらオーストリア航空、成田からウイーン乗り継ぎでインスブルックまで、10万2千円は安かった。
オーストリアからスイス・サンモリッツまでは列車を乗り継ぐ便もあるが、SBBのオンラインタイムテーブルで検索し、オーストリアQBBの列車とポストバスでスイスへ、さらにシュクオルから電車でイン川に沿う最短ルートにした。結果として、この選択はベストであった。

 インスブルック3泊、サンモリッツ3泊、ウイーン3泊、プラス機内泊のスキー旅行で、宿の手配は、地球の歩き方をガイドに、インターネットとFAXで見積りを取り、宿への利便と価格で決めた。

  2005年2月25日《成田》
 念願のヨーロッパスキー旅行がやっと実現する。
定年退職後、学生時代の山仲間、Oさんらに勧められアルプスのゲレンデを目指しスキーを再開したのだが、メンバーの都合が揃わずそれから5年も経っていた。
 成田空港第2ターミナルビルの待ち合わせ場所には既にYさんがきていた。
Oさんは風邪を引いたとか、ぬいぐるみを付けたように着膨れて現れた。これから寒い国へ行くとはいえ、ちょっと大袈裟では。とにかく、かつての若人3人が無事集合した。
これからの12日間が楽しみだ。
 9時半、アクキカタコムから航空券を受け取り、チェックイン。出国免税店で旅行中にホテルで飲むブランディを3本購入した。
搭乗ゲートは空港端のB75、11時5分搭乗開始。
オーストリア航空52便・エアバスA320の機内は満席、若い個人旅行客と学生の卒業旅行らしき人たちが多かった。
われわれの席は中央列の真ん中で肩を寄せ合い、後部の通路も狭くエコノミー症候群防止の屈伸運動もままならず。 トイレの数が少なく自然要求時はいつも使用中の表示が出ていた。
2年振りの海外旅行で、ウイーンまでの13時間がとても長く感じられた。

 《ウイーン》
 中継地ウイーンでオーストリア入国検査、乗継ぎターミナルへ移動し、途中のスタンドでビールを飲む。ヨーロッパは土地ごとにビールの味が違い、それぞれが美味しい。

 《インスブルック》
 2月25日金曜日、17時40分発のOS・901便はサラリーマン風の乗客が多かった。1時間のフライトでインスブルックへ。
手荷物受取場所で成田からの託送トランクを待つとき、大きな声がした。「日本人は行儀が悪い!」奇妙なアクセントの大阪弁だ。見ると、元気そうなおじさんが荷物ベルトコンベアの前に陣取る日本人団体客をたしなめていた。
チロルの山奥から出てきたと覚しきこのおじさん、先ほどのフライトで前の席に座っていた。大阪に嫁いだ娘の子どもが、一人旅の里帰りをしてきたので、ウイーン空港まで出迎えたらしい。緑と赤を基調としたチロリアンカラーの目立つ衣装を着たこのおじさん、小さな男の子と大阪弁で話していた。
巻き舌で妙な訛りの大阪弁が、後の席の傍耳こじ開け割り込んできたのだ。このおじさん、娘を訪ねた大阪では、電車に乗る時に大変な目にあったのだろう。
慎み深いヨーロッパ紳士は日本人の我勝ちな所為を苦々しく感じているのだと反省。
やっと出てきた自分の荷物をピックアップし外へ、荷物検査はフリー。
日暮れが早く、せわしないままリムジンバスの行先を確認する余裕なく、タクシーでホテルへ。
15分ほど走りインスブルック(大きな橋)を渡ると市内、目抜き通りを過ぎ、予約したツエントラル・ホテルに着いた。

インスブルック中心街


 日本に較べ街が暗い。明かりが暗いだけでなく、人目を引く赤や黄色の原色が少ないせいか、街全体が深く背景のようにたたずんでいる。名画「第三の男」を彷彿させるくすんだ色調がオーストリアの第一印象だった。
チェックインの際、朝食付き宿泊予約をスキーパス込みのハーフボードセット料金に変更。交渉はヒアリングの優れたYさんに立ち会ってもらった。 
ホテルのカフェでサンドイッチとビールの夕食。
部屋に入ると荷物も解かずベッドに倒れこんだ。

 2月26日 《インスブルック・アクサマーリツム》
 昨夜、ゲレンデに行くスキーバスの時刻を聞いていたので、余裕を持って朝食を済ませフロントでレンタルスキーショップへの連絡を頼むが、待つこと久し。
再度、別なスタッフに請うと直ぐ店の車が迎えに来た。
大慌てで靴とスキーを選び、店から歩いて3分ほどのところにあるスキーバス乗り場に急いだ。
インスブルックには6つのスキー場があるがゲレンデが広く定評あるアクサマーリツムに行くことにした。
アクサマーリツムはインスブルックの南方15kmに位置する。
スキー場までバスは曲がりくねった坂を登っていく。車酔いした。
チケット売り場でホテルのバーチャーを示しパスを受け取る。ここで足に合わぬスキー靴を履くのに苦労した。
 4人乗りリフトで高度差560m、距離1700mを延々と中腹まで上がっていく。
滑り始めは腰が引けた。雪質が重く滑りにくかった。
しかし目を移せば、とにかく四方八方が絶景、間近に雪を付けた荒々しい岩山、彼方の雲にかすむ白い峰々、アルプスの真っ只中でスキーをしている。
下まで滑らずに途中のリフトで再び中腹へ、スキーを外し四方八方の写真を撮った。

アクサマーリツムのゲレンデ
アルプスの峰々が間近に見える
急坂を登るケーブルカー

次は頂上目指し別のリフトを選ぶ。標高2340mの頂上はさらなる眺望。
頂上レストランで休憩。このレストランは大屋根型天井がガラス張りで食事をしながら雄大な山々を望むことができ、地震国日本では考えられない設計である。

頂上にあるガラス張りのレストラン
レストランの内部
今は亡きOさんとYさん

われわれは、ビールとシュニッツェルと大盛りポテトの特大昼飯を取った。
頂上から高度差770m、距離3100mのダウンヒルコースを下まで滑る。表示は初級コースだが最下部がかなりの傾斜、オリンピックバーンというケーブルで頂上へ、再びダウンヒルコースを滑る。
ケーブルカーで上るとき遥か下に岩が露出した急斜面を独り滑るスキーヤーを見た。
まるで007かトニーザイラーの映画を見ているようだった。コース外だがシュプールがあるので、あんな所を滑るスキーヤーも一人や二人でないのだろう。
 足が痛いのでひとりでケーブルカーを使って下りた。下のレストランで二人との待ち合わせ時間まで一時間あまりコーヒーブレーク。
子供連れの賑やかな家族、見つめあう恋人同士、静かな老夫婦、それぞれの客が思い思いの時間を過ごしていた。
 スキーバス乗り場に降りると日本人団体に会った。この人たちは大阪発のスキーツアーでインスブルックはすでに3日目とか、ツアーガイドから生のニュースを知らされていた。
土曜日で道路が渋滞しバスは大分遅れていること。また、大きな事故があったと言う。
我々が最初に乗ったリフトで、ワイヤーが滑車から外れ、4人乗りシートの一つが雪面に落下し負傷者が出たそうで、長大なリフト上に取り残された大勢のスキー客がヘリコプターで救助されたという。
そう言われれば、先ほどのレストランで救助隊員らしい人たちが頭を寄せ合っていたし、青い回転灯を付けた派手な色のワゴン車が2台止まっていた。スキーヤーで賑わうゲレンデをよく見ると、事故があったというリフトは静かに止まっていた。
こんな異常事態が起きても、言葉に不自由な個人旅行者は天下太平、知らぬまま取り残されていた。
 満足げにスキーを終えたOさんらと合流して無事宿に帰り、ハーフボードの夕食を食べる。バイキング形式で、ついつい料理を取りすぎ、後から胃にもたれて困った。

 2月27日 《インスブルック》
 スキーバスはホテルの横を7時45分に出る。この日は、朝食後ゆっくり準備ができ、1時間もせずにスキー場に着いた。
昨日事故を起こしたリフトは止まっていた。
それに加え日曜日で客が多くケーブルカーは異常に込んでいた。
頂上からダウンヒルコースを2本滑る。ゲレンデも込んでいた。
靴が小さく、くるぶしの痛さに耐えかねる。
スキーはギブアップして閉め具を緩め、O君とレストランで休憩。
その間にYさんはさらに2本滑った。
昼食をとり早めに一人で下りた。途中えらく遅いスキーヤーがいたのでよく見ると自分より下手模様。その横を滑走した。
バス乗り場ではこの日も大分待たされた。
シャトルバスの到着が遅れたので、停留場は他のスキーバスに占有され、自分らが乗るバスの所在が分からない。時間は過ぎる。たいそうな数のバスが群がる広い駐車場内を足の痛みも忘れ右往左往した。
やっと目的のバスを見つけホットしてホテルに戻り、苦しみのブーツを脱いだ。
 午後はインスブルック市内散策に出た。
インスブルックはハプスブルグ家の歴史が残る、こぢんまりとした美しい地方都市だ。
建物の高さが統一され家並みが揃った通りは5階建か6階建が多い、古い建物はワンフロアーの天井が高いのか4階建である。
先ずインフォメーションで明日のスキー場ザンクトアントンの案内を聞き、マクシミリアンホテルでバスチケットを購入。

マクシミリアンホテル
アンナ記念柱
インスブルック・メインストリート

マリアテレジア通りを下りアンナ記念柱へ、路面電車が走るこの広い通りは大きな店が並び、インスブルックのメインストリートである。
ふたたび旧市街の中心部に戻り軌道を越えると、クリスタル細工で有名なスワロフスキー・ハウスがあり、日曜日にもかかわらず店はオープン、混んでいた。

スワロフスキー・ハウス
黄金の小屋根

その正面に、マクシミリアン皇帝が広場で行われる行事を見学するために造らせた黄金の小屋根が見え、右に曲がると王宮へ。
王宮は日曜日で休館、中庭には雪が積もっていた。
壁はマリアテレジア・イェローで、この色はウイーンに行くと宮殿のそこここで見られた。
王宮の外面、壁は白色に塗り替えられていた。
旧王宮を改造した建物で、アパートになっている。
左側の1Fは高級レストランだが、敷居が高かった。

王宮
旧王宮を改造したアパート
旧王宮を改造したアパートのレストラン1F
聖ヤコブ教会大聖堂横の路地
聖ヤコブ教会
聖ヤコブ教会内部

王宮の先に聖ヤコブ教会(大聖堂)がある。大聖堂横の路地には小さな店が並び、洒落たカフェでひと休み。
O君が一服している間、近くの店で孫の土産にチロルの民族衣装を買った。王宮に隣接する聖ヤコブ教会に入った。18世紀初めに改築されたゴチック風の大聖堂である。中央祭壇には聖母マリアが。
インスブルック市内見物を堪能し、日暮れ前にホテルに戻った。

 2月28日 《インスブルック》
 ホテルの朝食は6時半オープンだが、定刻に下りると係りのおばさんに嫌な顔をされる。彼女たちの出勤時間が6時半なのだ。準備が整った頃を見計らいテーブルにつく。
コンチネンタルブレックファストは質素だが、パンとコーヒー、ハムとソーセージ、チーズがあり、ヨーグルトがある。旅行中の食事の中でこの朝食が一番口に合った。
例によって、昼用にオープンサンドを仕込み、部屋に上がってスキーの準備をした。
 7時半、大型バスがホテル前に迎えにきた。乗客はわれわれを含めて6人、マクシミリアンホテルを経由し、インス西駅あたりからアウトバーンに入った。

アウトバーン

道路巾は広くない、カーブも多い。途中、対面通行やロータリーなどの障害があるが、どの車も120、130kmで走っていた。時々150kmを超える車が右ウインカーを出しながら追越していく。
100kmの道程を1時間ほどでザンクトアントンに着いた。

 《ザンクトアントン》
 ヨーロッパの主要都市を結ぶ道路は古い時代から整備されていた。国土の三分の二を山岳地帯が占めるオーストリアでは大きな川や谷間に沿って高速道路と鉄道が延びている。
インスブルックから西に向かうアウトバーンとOEC幹線はランデックまでイン川に沿い、そこから南下するイン川と別れ、さらにチロルの山間部を西に進み、スイス国境を経てチューリッヒまで続いている。
 ザンクトアントンはランデックから西へ30km、世界中のスキーヤーが憧れるスキー・リゾートである。
大きなスキー場がザンクトアントン、ザンクトクリトフ、スチューベンの3箇所にある。

レンドルのスキーレンタルショップ

我々は、ロザンナ川を隔てザンクトアントンの対斜面にあり、バス駐車場から便のよい標高2100mにあるレンドルへロープウエイで上がった。
ロープウエイを下りたところがゲレンデの中心でレストランやレンタルスキーがあり、広大なゲレンデには5本のリフトがある。
スキーはここで調達した。大きめのブーツもあった。

ロープウエイ駅とレストラン

初めてのゲレンデなので勝手が分からず、帰りのバスに乗り遅れぬよう、もっぱら近くの6人乗りリフトで2400mまで上りここから中級コースを滑った。

レンドルのゲレンデからザンクトアントンの眺望

このコースはレイアウトがよく、雪質がよく、景色がよく、申し分なかった。
正面にザンクトアントン、左手にザンンクトクリストフ、その奥にスチューベンの雄大なゲレンデが迫り、遠くチロルの山々を望み、白い雪とスカイブルーの得も言われぬコントラストが心に焼き付いている。
インスブルックのゲレンデは期待外れだったが、ここに来て本場のスキーを満喫した。

レストランのテラス
テラス前で雪遊びする子供たち

昼のレストランは混んでいたが、ゲレンデのスキーヤーはまばらでリフトはいつも空いていた。兎にも角にも自在に曲がれ、スキーが我が身と一体になった気分である。これぞスキーか。

レンドルのゲレンデ
Yさん
Oさん

3時過ぎに名残惜しくロープウエイを下ったが、ザンクトアントンには是非もう一度来たいものだ。
バスは4時半にザンクトアントンを発ち1時間でインスブルックに戻った。夕食のレストランが開くまでしばらくアーケード街を散策した。大型電気店には日本製品がたくさん並んでいた。
6時の開店を待ちかね、予約したにタイ料理屋に入った。広々として洒落た店は評判がよいのか直ぐに満席になった。
大勢のスタッフがてきぱきと動き、東洋系の女将が奥で指図していた。
選んだ焼き飯の味は上々だった。

 3月1日《インスブルック~サンモリッツ》 
 今日は移動日、チェックアウトを済ませ、仕事に急ぐ人波を避けながら、寒さのなか駅まで10分ほどトランクを転がして歩いた。

インスブルック駅ホーム

厚いガラス戸で囲われた駅構内は汗ばむ暑さ、定刻まで暖を取ってから吹きさらしのホームへ。

チューリッヒ行きQBB

チューリッヒ行きのOECに乗り1時間弱、慌ただしくランディック下車。駅前は閑散としてタクシーが2台いるだけ、そのタクシーの運転手に聞くと目の前がバス停で定刻にバスが現れた。

ランデック駅

ランデックからサンモリッツまでは高速道路もあるが、ポストバスは途中村々に立ち寄りながらイン川の渓谷沿いに進んでいく。
スイス上エンガディンの山々を源とする水量豊富なイン川は下エンガディンを縫ってランデック付近でいくつかの支流を合わせ、インスブルックから東北に進みハンガリーへ、ユーゴスラビアを通り、ブルガリアとルーマニアの国境を東に下り黒海に到る2800kmの旅をする。
このドナウ水系はウイーン、ブダペスト、ベオグラードと中欧の主要都市を結び、さらには中東イスタンブールに達する古くからの重要な交易路であった。
バスに乗り込んでくる村の人たちの破れた衣服、女性のボサボサ髪、肌荒れして黒ずんだ手、ポケットから小銭をつかみ出して切符を買うありさまを見るとオーストリア山村の貧しさがうかがわれた。
シュクオルまでの2時間はトイレ休憩がなく、朝ホテルで飲んだ多量の水分が悩ましかった。
シュクオルの手前の小さな村が国境で、ゲートに止まり拳銃を腰にした警官がパスポート検査に乗り込んできた。
途中の村々で大勢の乗客が乗り降りし、その都度運転手とやり取りしながらの切符の購入に手間取ったにもかかわらず、バスは定刻通りシュクオル駅に着いた。

シュクオル駅前

ここでの乗り継ぎ時間は8分間あり大丈夫と踏んでいたが、3人の生理的欲求を考慮に入れておらず、サメダン行きの予定の電車は目の前を出て行った。次の電車まで1時間、駅前の掘っ立て小屋のようなバーでビールの昼飯にした。

シュクオル駅構内
シュクオル駅前のスナックバー

 シュクオルからサンモリッツへ出るルートはエンガディン・エクスプレスと名付けられた景勝明美なところだ。
 シュクオルからサメダンまでは山間を抜けて電車が進み、町が拓かれたところに駅がある。どの町にも教会があり尖塔が立っている。玉ねぎの形をした塔も見かけた。

列車が止まる駅を中心に町があり尖塔が立つ
ロマンシュ古代遺跡
エンガディン・エクスプレスの停車場

イン川に沿ったこの下エンガディンの地はスイスでも古くから開けたところで、いまでは古語となったロマンシュ語を話す人たちもいるという。
 サメダンでもう一度クールから来る電車に乗り換えサンモリッツへ。
電車には垂れ流し式トイレがついていた。

 《サンモリッツ》
  駅前には客引きのタクシーが列をなしていた。その中に巨大なロールスロイスがいるには驚いた。歩道には雪が残っていた。
 坂の上に予約したホテル・シュタインボックが見え、そこから少し隔ててサンモリッツの中心街ドルフを望めた。

駅前のホテル・シュタインボック
駅前から望む中心街

街に向かう歩道は通る人が少ないのか、雪が残りところどころ凍っていた。雪道の坂をトランクを転がして登り、チェックイン。部屋に荷物を置き、早々に街へ出かけた。     

中心街ドルフに向かう
ドルフの一郭

ポスト(中央郵便局)を過ぎると直ぐ中心街ドルフだ。山の中腹に拓かれたこの街は、雛壇のように連なる幾条もの通りが石段と狭い坂道で結ばれ、高級小売店やホテル、レストランが所狭く立ち並び、まるで段々畑のように密集している。
粋なショーウインド・ディスプレイ、ゴージャスなたたずまいの五つ星ホテル、いろいろなタイプのレストランがあり、世界中からリゾート客が集まる。
五年前の夏にこのサンモリッツを訪れたとき、ハイシーズンは冬期、街はスキー客で賑わうと聞いていたが、ドルフの人混みは夏よりも遙かに多かった。
インフォメーションでスキー情報を入手、裏のレンタルショップで靴とスキーを予約した。
       

                 凍結したサンモリッツ湖   
                                                                                                                

 そのまま大通りを下り、もう一つの繁華街バードに足を向けた。
サンモリッツ湖は凍結し、湖上を散策している人たちがいた。湖畔に位置するバードは降り積もった雪と寒さが人影を消していた。時々小雪がぱらつく天気だが、標高1800mに位置するサンモリッツの空気は異常に冷たく
30分と外にいられない。スーパーに入り、コンビニに飛び込んで暖を取った。あんな恐ろしい寒さは最近経験したことがなかった。
ほうほうの体で循環バスに乗りホテルに戻った。
食事は外で手頃なレストランを探すという思惑は外れた。ホテル・シュタインボックのレストランは本格的なイタリア料理だったが値段も一流だった。

 3月2日 《サンモリッツ・コルビグリア》
 コルビグリアスキー場は中心街ドルフの裏からケーブルカーで上がっていく。さらに標高2486mのコルビグリアからゴンドラで3057mのピッツネイル頂上まで上がり、頂上を巻いて滑ることもできる。
ゴンドラの終点には展望台があり、南前方にはベルニナ山群、周囲には間近にネイル山群が迫る。
 

コルビグリアスキー場
コルビグリアスキー場

ゲレンデの中心はケーブルカーの終点から西に広がる南斜面である。3本の長いリフトがありゲレンデがあまりにも広いのでスキーヤーの姿は疎らであった。

コルビグリアのゲレンデ
コルビグリアのゲレンデ から見るベルニナ連峰


雪質はザンクトアントンと同じようにベスト、さらさらの粉雪が結晶化している。
スキーの板が雪を意識しない。それこそ自在にスキーを操れる感じである。初心者をこんなに喜ばせる雪に出会っただけでここに来た甲斐があったというもの。時を忘れ滑りに滑った。

コルビグリアのゲレンデからベルニナ山群を望む

 南に目をやるとサンモリッツの街を隔て4000m級ベルニナ・アルプスの山々が聳え立ち、明日の予定であるコルバッチが右手に威容を誇っていた。スキーをレンタルショップに預け、ホテル・ハウザーのバーでコーヒーを、客は老若男女だが、どう見ても我々が最高齢だ。
洗練された人たち、女性はグラビアから抜け出たような人種、インスブルックとは大分違う。
サンモリッツ駅やこの街で見かけるちょっと洒落た年配の女性は例外なくと言っていいほどミンクのロングコートを羽織っていた。場所柄それがとてもよく似合う。

サンモリッツ湖から望むコルビグリアのゲレンデ

 3月3日 《サンモリッツ・コルバッチ》 
 夜半から雪が降っていた。ドルフのレンタルショップでブーツに履き替えスキー板をもって学校前広場からスキーバスに乗る。バスはサンモリッツ湖畔の中腹を走り15分でコルバッチ行きのゴンドラ乗り場に着いた。
標高2700mのゴンドラ中継駅で下車するスキーヤーが多かったが、3300mの展望台まで上った。
外に出ると吹雪で視界がなく雪面がクラスとしていた。五年前の夏、ここからベルニナ連峰が手に取るように見えたものだ。
一緒に上がってきたスキーヤーはいなくなりわれわれ3人だけが取り残されていた。
コースはコルバッチの稜線から南面に延びるイタリア側の氷河を滑り中継駅まで続いているはずだが、足下が見えず、雲の上を漂っている感じで腰が引け直ぐに斜面に突っ込んでしまう。あの慎重なO君が何度も転んだ。3人のスキーが全然はかどらない。声がするので見上げると、次のゴンドラが着いたらしくスキーヤーが次々と滑ってきた。
昨日のコルビグリアと違い、リーダーに引率されグループ毎に慎重に滑っている。何組かのパーティが通り過ぎていった。しばらくまた静寂が続き、次のゴンドラが着くと何組かのパーティが下りてくる。
いく度かやり過ごしているうちに子どもたちを連れたパーティが通り過ぎていった。
よく見ていると、慎重ではあるが彼らの滑り自体はゲレンデと変わりない。われわれが滑れないのは腰が引けているだけだと分かった。体を斜面の下に投げ出すと積雪の中でも曲がれた。遅々として滑らない二人を残して下に向った。視界は悪いが先月の奥志賀を経験しているのでさほど不安はなかった。
コースの標識も見えた。時々立ち止まり二人を待つうち次々とパーティが通り過ぎるが二人はいっこうに現れなかった。分岐地点でしばらく待ったが諦めて下降。
初心者の自分が迷惑をかけないよう行動しなければと判断し慎重に安全な場所を目指し、やがて目標のTバーリフトにたどり着いた。
このTバーでゴンドラ中継地点まで上るのだが、Tバーなるものに乗ったことがなく幾度もバーが外れ、大変な目にあった。やっとの思いでゴンドラ中継地にたどり着いて待つうち雪も小降りになり二人が現れホッとした。
スキー最後日だが、濃いガス中の浮遊とTバーリフトに翻弄されて、すっかりやる気喪失、サンモリッツに戻ることにした。
Yさんだけは下までスキーで、O君と二人はゴンドラで下りた。
レンタルショップにスキーを返しハウザーでサンドイッチの昼飯。
 ドルフの本屋でセガンティーニの絵葉書と孫に絵本を買った。
帰ってから、このドイツ語の絵本「月と王様」を苦労して翻訳し、当時一歳半だった孫に聞かせたところ、とても気に入ってくれた。
以来、主人公スーシーと風船プックの月への哲学的な旅物語は、私たち二人の嬉しい絆となっている。

スキーも終わり、あとはウイーンを見物して帰るだけ。
ウイーン到着を早めようと、予定より早く9時の電車でサンモリッツを発った。

 

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