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アイルランドの旅 1 後編
バレン、モハーの断崖、アラン島遠望、ダブリン
7月1日水曜日
今日の予定は、N59を北に遡り、Leenaneで東にR336からR345へ、コネマラの台地をドライブ。
Congで修道院、アッシュフォード城を見物し、南に向かいR334からN84に出て、Galwayまで下り、N6に入り東に、Oranmoreから南にN18からN67を経て、バレンのGreganse Castle Hotelに到る。
複雑な順路で心配したが、GPSにGreganse Castle Hotelがすんなりインプットされた。
レンタカーを以前に使った人が利用したらしい。助かった。
後日、レンタカーを返却した際分かったのだが、搭載していたGPSに地図メモリー・チップが挿入されていなかった。従って過去に使用したポイントしかインプット出来なかった。
Roseleague Mannorを出てN59を北に、昨日見物したカイルモアー修道院を左に過ごし、LeenaneからR336に入る。
GPSが音声ガイドしてくれる。450m、ターンライト。直前で、30m、ターンライト。右折すると、ストレート15km。
いまでのガイド嬢の音声が耳に残る。
Galway地方の道路地図
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暫くコネマラの景色が続く。
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無人の教会があった
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R345に移り、Congに近づくと羊が草を食み穏やかな景色になってきた。
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Cong通過。
GPSに従って順調に進んできた。人家が多くなり、街が近づいてきた。コングではジョンウエイン主演Quiet Manの舞台、修道院、アッシュフォード城などを見物予定だったが、気がつくと街を外れ、N84に至る道を走っていた。
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GPSが目的地までの最短ルートをガイドしたらしい。
本来は戻るべきだったが、先を急ぐ気持ちが勝り、道路沿いに見かけたレストランに入り昼にした。
N84を南下すると、田園風景が消え、ありふれた田舎の光景が続き、車の数が増えゴールウエイが近いことが分かる。
気がつくとゴールウエイの北を通る片側2車線の国道N6を走っていた。いくつものラウンドアバウトを通過して進む。
ラウンドアバウトは信号のないロータリー式交差点である。日本では見かけたことがない。
ロータリーに入る時は、左にハンドルを切り時計回りに周回して行先の道へ進む。
ロータリーに入る時、右から周回してくる車が見えたら停止して先に行かせる。つまり、右側優先が原則である。ロータリーから出る時はサインを出し左折する。
車は多いが、信号がないので停止することなくスムーズに走れる。これは正にエコドライブである。
GPSは、450m・ラウンドアバウト、交差点の直前で、ランドアバウト・セカンドイクシット・ターンレフト、とガイドする。一応、標識を見て確認しながら進むのだが、実にスムーズである。
N6からN18に入り、KilcolganでN67に分岐し西に進む。この辺りの道路が入り組んでいてGPSなしでは手に負えない。
Ballyvaghanで海岸線を走りDoolinに到るR477を右に、街中を進む。
この分岐点で一旦停止、休憩した。
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ゴールウエイ湾南の入江、Ballyvaughan Bayの波止場。
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この先は殆ど標識がなく、林道のような道を行く。最高制限速度100km、時々対向車があった。
Greganse Castle
突然GPSにGreganse Castleと表示が出て、左に門が見えたので停まると、門の横に500m先と標示があった。
その先、左に分岐するアプローチが現れ、目的地であった。
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色とりどりの花で囲まれた庭園
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ホテルの前庭に続く牧草地、ゴールウエイ湾が遠望される。
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数キロ先のバレン台地から望むGreganse Castle Hotel
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ブルーブックによるGreganse Castleの紹介、
無数の植物と考古学的、文化的な貴重品に囲まれ、ゴールウエイ湾を望む息をのむような景色、視覚的に美しくてユニークなバレンの石灰石の風景。
このホテルは究極的贅沢さをもつ隠れ家である。
バスルーム、化粧室、居室の奧に美しい庭が見えるベッドルームがあった。
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庭からの眺めも素晴らしいが、泥炭の燃える暖炉、キャンドルライトのバーも心癒す。
ここでは、アフタヌーンティーの代わりにギネスを飲んだ。
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ディナーはバラの庭園を眺めながら大きなディナールームで、フルコースを心おきなく平らげた。
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アイルランドの忘れがたいディナーの1つであった。
ここでは給仕がつき、料理について詳しい説明があった。チップ15e。
宿代235e、ディナー130e、ワイン33e、バー10e、合計408e。
バレン
7月2日木曜日、
今日はバレン高原をドライブした後、モハーの断崖へ、ドーリンの村に戻ってAran View Hotelに泊まる。
昨夜のディナーで世話になったボーイから、バレンの見所を勧められ、パンフレットをもらった。
ゴールウエイ湾から南に拡がるカルスト台地、ザ・バレン、標高300m以下の丘が360平方kmにも連なる。石灰岩が水に浸食され、何千もの洞窟があるが、唯一Aillwee Caveが公開されている。
N67を北に少し戻り、R480から南下すると標識があり、施設の駐車場にはたくさん車が停まっていた。バレン観光名所の一つである。
バレンは秋吉台のカルスト台地より規模は大きいが、秋芳洞の見事な造形を見ている日本人には飽き足りない。しかしながら、洞窟を覆っている丘の上から眺めたバレンの景色は素晴らしかった。
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Aillwee Cavenの丘の上から、バレンの先に遠くゴールウエイ湾を望む
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バレンのカルスト台地を彩る花々
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バレンの丘陵を望む。
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R480をさらに南下すると、Poulnabrone Dolmenがある。
自然石の墓石(ドルメン)は紀元前3世紀の遺跡である。ここにも観光バスが数台駐車し、見物客が押し寄せていた。我々はドルメン観光の入口を覗き早々に引き上げた。
いま思うに、ほんの少し辛抱して、実物を見ておけば良かったと悔やまれる。
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バレンはゲール語で「石ころだらけの台地」という。この台地を縦断する全長45kmの道がある。
この一部をウオーキングする予定だったのだが。
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車で、しばらく南下すると、道はR476に突き当たり、右に転じKilfenora村を通り、モハーの断崖を目指した。
Kilfenoraから海岸に向かう分岐点では、道路標識が見当たらず通り過ぎた。
GPSがしきりとキャルキュレートを繰り返すので、後戻りして車を停め確認すると、行先標示が植え込みに隠れていた。
モハーの断崖
モハーの断崖は、海面からの高さ200mの断崖絶壁が、ゴールウエイの南、クレア県ハグス岬からドゥーラン村まで8kmにわたって大西洋に突き出ている。
モハーはゲール語で「廃墟になった崖」を意味し、かつては要塞として使われたが、18世紀に破壊された。
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オブライアン塔と海鳥が生息している島が見える
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モハーの断崖は、西海岸クレア県Lahinchから北のDoolinに至る8kmにわたって大西洋に突き出た海面から高さ200mにおよぶ断崖絶壁で、息をのむようなすさまじさだ。
19世紀末、シングがアラン島に滞在したとき、島の古老から聞いたモハーの断崖にまつわる話。
クレア州に二人の農夫がおりました。片方には息子、もう片方の裕福な者には娘がおりました。
若者は娘を嫁にもらいたいとおもいました。
若者はあり金を袋に詰め、娘の父の農場へ行って、主人に袋を見せましたが、なかみが少なかったので断られました。
オコーナーはお金を得るため、旅に出ました。
オコーナーが歩いていると、ちっぽけな男に出会いました。
「おまえさんがほしいのはもしかして金子かい」とちっぽけな男。
「そうさ、そのとおり」とオコーナー。
「ほしいものはおまえさんにやろうか。一年後、おまえさんはおいらに借りた金子を返す。もし返せないときゃ、おまえさんの肉を五ポンド切り取っておいらがもらう。こういうとりきめでどうだ」
二人のあいだに交渉が成立して、ちっぽけな男はオコーナーに金袋をくれました。オコーナーはこの金子のおかげで首尾よく娘を嫁にもらうことができたのです。
オコーナーは裕福な娘と結婚し、クレアの断崖のうえにお城をたてました。
二人が、お城の窓から荒海を眺めていると、一艘の船が岩礁めがけて近づき見る間に座礁しました。
二人は座礁船まで下りていきました。積み荷の絹を見たレディー・オコーナーは、あら、これでドレスを仕立てたらすてきだわ、とおもい、絹を買い、船長を城に招きました。
船長がお城にやってきて、みごとな晩餐のあとにはお酒もたっぷりのみました。
酒宴がまだおわらぬうちにオコーナーが手紙で呼び出され留守をすることになりました。
「だんなが旅でお留守のあいだ奥方が男を誰一人近寄らせねえってことに、二十ギニー賭けるってのはどうです」と船長はもちかけ、オコーナーは話に乗りました。
さて、お城の近くの道ばたでこまごましたものを商いしている醜い老婆がおりました。
レディ・オコーナーは自分の寝室のなかにおいてある大きな長持ちを、この老婆の寝台代わりにつかうことを許可しておったと。船長は道ばたの老婆のところへ寄っていきました。
「おい、いくら出したらおまえさんの長持ちののなかで俺を一晩寝かしてくれる」と尋ねました。
「十ギニーでどうだ」と船長。
「十ギニーじゃいかん」と老婆。
「十五ギニーならどうだ」と船長。
「十五ギニーならさせてやるよ」と老婆は言いました。
そして、船長を寝室に連れて行き、長持ちの中に隠れさせてやったわけです。夜もふけてレディ・オコーナーが寝室に上がってきて、指輪を外し枕元におき、服を脱いで、シュミーズはだかになって寝床にもぐりこみ、ぐっすり寝込みました。
それを見た船長は、長持ちから出て、レディには気づかれぬよう、もちろん悪さもいたしませんで、枕元の指輪をとり、ふたたび長持ちの中に隠れたというわけ。
オコーナーが旅から帰ってくると船長が会いにやってきて、あたしは一晩だんなの奥方のお部屋におじゃましましたぜ、と言いながら指輪を渡しました。
オコーナーは、掛け金の二十ギニーを船長に渡しました。そして、お城にのぼり、妻を、窓から断崖の下の海に突き落とし、どこやら田舎に姿を消しました。
一命を取りとめたレディ・オコーナーは、ある農場で働いている夫を捜し出し、街道筋で馬を調達し、お城に戻っていきました。
その途中、オコーナーが例のちっぽけな男に出会った場所にやってくると、ちっぽけな男が二人の前に立ちはだかって、こう言いました。
「おいらの金子は持ってきたかい」
「いや、持ってこなかった」とオコーナー。
「それじゃ、おまえさんの身体の肉で支払ってもらわにゃならんぞ」とちっぽけな男は言いました。
三人はそこいらの一軒の家に入り、刃物が取り出され、オコーナーはテーブルの上に寝かされました。
ちっぽけな男が乱切り刀をとってオコーナーの身体へずいっと切り込もうとしたとき、レディ・オコーナーが割り込んできて、
「たしか五ポンドの肉を切り取るって約束をしたんでしたね」と言いました。
「そうですよ。五ポンドの肉だ」とちっぽけな男。
「血についてのとりきめはしたのかしら」とレディ。
「血のことは決めちゃいねえ」とちっぽけな男。
「わかった、さあ、肉を切り取りなさい。ただし、このひとの血を一滴でも流すようなことをしたら、おまえの頭にこいつを撃ち込んでやるからね」こう言って、レディは男のこめかみにピストルを突きつけたと。
ちっぽけな男はすごすごと立ち去りました。
お城に帰り着いた二人は立派な晩餐会を開いて、例の船長と、醜い老婆を招待しました。
レディ・オコーナーは、皆のまえで自分の疑いを晴らし、彼らに罠にかけた老婆をピストルで撃ち殺し断崖の下の海に投げ込んだということ。
大西洋上の濡れた岩にはりついて暮らす、読み書きもしたことのない島人の口から、こんなにも豊かな連想にあふれた物語が語られるのを聞いて、僕は不思議な感慨を覚えた。(J.M.シングの「アラン島」より)
モハーの断崖を見渡すオブライアン塔
クレアの沿岸、アラン島、ケリーやコネマラが見渡せる。
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路傍でアイリッシュミュージックを奏でるTina、CDを買った。
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モハーの断崖は船で海から眺める方が迫力あると聞いていていたので、
Doolinまで戻り、フェリー乗場に向かう。
Doolinはアラン島の対岸にあるクレア県の小さな村で、村外れに港がある。
Doolinからアラン東島、イニシィアまでの直線距離8km、イニシィアを経由し、イニシュモアまでフェリーが出ている。
大西洋に面する海岸は荒波や強風に曝されるせいか、人家は海岸から数百メートル離れた高台にある。R479に沿って、細長く延びた村の中央にパブが3軒あり、付近の道路には車が駐車していた。
モハーの断崖ツアーの最終便は、17時出港と聞き、反対側の村外れにあるAran View Hotelにチェックインした。
チケットを買いに事務所に入ると、日本語で挨拶された。
小柄なアイリッシュ嬢は、6年前ECCの教師として神戸にいたという。
お刺身の味が忘れられず、お金が出来たら再訪したい、彼がフェリーの船長をしている と言っていた。
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小柄なアイリッシュ孃の彼が操舵するモハーの断崖クルーズ観光船
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見上げると、先ほど上ったオブライアン塔が見えた。
断崖から離れ、細長い島があった。
岩肌には泥板岩と砂岩が層をなし、岩棚にウミガラスやウミバトが巣を作っていた。
付近の海には豊富な餌があるのか、海鳥の数は夥しかった。
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1時間のクルーズを終え、ホテルに戻った。
ルームサービスで、スープ、サーモン、サラダ、ギネスの夕食。
アラン島・イニシィアとモハーの断崖が、それぞれ数km先にかすんで見えた。
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翌朝早く、車を駆って海岸に向かう。
人家も人気もない荒れた草原が続き、すぐに車道が途絶え、草むらを歩いて砂浜に出た。
波打ち際は穏やかで、石ころだらけ浜が細長く続いていた。
今朝も、数km先に、アラン島・イニシィアが見えた。
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宿代110e、2スープ11e、サーモン14e、サラダ8e、2パイント・ギネス
8e、合計151e。
7月3日金曜日、
旅も終わりに近づいた。
今日は、Doolinを発ちバレンを北上しN6へ、Dublinまで200kmを走り、レンタカーを返す。
GPSに Avis Stationを入力して出発。
Ballyvaghanまで海岸沿いの道R477を北に向かう予定だったが、最短距離を選ぶナビはN67に入り北東に進路をとった。
DoolinからR479を北に向かう。
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N67からの雄大なバレンの眺め
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Vallyvaghanから西にR477を戻りGalway湾の景色を見る。
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絵本から抜け出たような可愛らしい農家
R477沿
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N67国道に牛を追う牛飼い
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N67国道沿いで見かけた教会
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VallyvaghanからKilcolganに向かう途中で見かけた砦。
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その近くで休憩に立ち寄った教会。
シンプルな作りの教会で大きな駐車場には車がなかった。
周囲には、まばらに家が見られ、静かな村だった。
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教会の正面にあった集合住宅。
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Kilcolgan付近のガソリンスタンドで給油、ペットボトルの水を買う32e。
トイレを借りようとしたがなかった。
ナビはKilcoganから間道を抜け最短距離をとって、N6に誘導。Oranmoreよりもかなり東の地点でN6に入った。
所用のため、国道際にレストランを見つけ、ソフトアイスを買い、トイレを借りた。
SligoからのN4に合流、さらにM4に入り、高速料金2.90eを投入、往路で間違った分岐ポイント7を通過し、ダブリン市内に入るN4へ、そこからはナビの指示に従い車線変更とターンを繰り返しながら進むと市内巡回道路に、その後は見覚えのある一方通行を選び、Gate Lodge Houseに着いた。
近くのコインパーキングに駐車し、ホテルのチェックインを済ませ、ふたたび車に戻り、ガソリンを満タンにして17e、午後4時、車をAvisに返した。
8日間をともにしたトヨタ・アベンシス、初日のトラブル以外は何事もなく軽快に旅をサポートしてくれた。
Avisでは引き渡し時の担当者もいたが、別の係が車を点検し、OK。初日に捲れあがった、バンパー下の保護板には目もくれなかった。
Avis ステーションから歩いてホテルに戻った。
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駅裏からAvisまでの通り。
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右手に折れると住宅街が
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住宅街の先にあったこの狭い路地を下りるとAvisへの近道があった
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ダブリン・ヒューストン駅、西部地方への玄関口
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ダブリン最後の夜、パブに行くことにした。
市内最古のパブ、The Brazen Head に予約を入れ、7時半に宿を出て、リフティ川沿いの大通りをFr. Mathew bridgeまで歩いた。
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The Brazen Head
老舗のパブには、観光客が大勢つめかけていた。
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観光ガイドブックを片手に、1パイントのギネスを次々とお代わりする女性客の傍らで、我々もギネスを飲み、アイリッシュシチューを味わった。
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7月4日土曜日
今日はアイルランド旅行最終日、ダブリン市内見物後、夕方空港へ。明朝の出発便が早いので空港近くに宿を取った。
9時に食堂へ下りると、格好良い老紳士が、グッドモーニングと挨拶。
土日は若夫婦がお休みで、老夫婦の担当らしい。
部屋に戻る途中台所が見え、老婦人が盛りつけをしていた。
チェックアウトを済ませ110e、夕方まで荷物を預かってほしいと頼むと、こころよくOKの返事。
物腰だけでなく体型もスマートで、あんな風に齢を重ねられたらと思う。
Hop-on, Hop-offの順路に従い、まずライターズ・ミュージアムに向かった。
途中、マイケル・コリンズの映画に登場した、1916年イースター蜂起の現場、郵便局前を通った。
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オコンネル通り北の外れにある、ダブリン作家記念館は、18世紀に建てられた貴族の館を修復したもので、バーナード・ショウ、イエーツ、サミュエル・ベケット、シェイマス・ヒーニーら4人のノーベル賞受賞作家のほか、ジェイムス・ジョイス、オスカー・ワイルド、ジョナサン・スイフトらの初版本、手紙、愛用品が展示されている。ラフカディオ・ハーンの資料もあった。
そして、この旅のきっかけとなった、若いシングの写真もあった。
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朝ホテルを出たときは雨が降っていたが、オコンネル通りで、次の目的地に向かうバスを待つころには、雨も上がり傘をたたんだ。
ダブリン城、クライストチャーチ、聖パトリック大聖堂は、テンプルバーの南に隣接する一郭にある。まとめて見物する予定だった。
ダブリン城にいくと、見学について掲示があり、場内はガイドツアーでないと入れない。しかも、ガイド予定時間は3時間後であった。
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敷地内にガーダの詰め所があり、警官がたむろしているのが見えた。
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外回りを一巡しただけで、敷地内にあるチェスター・ビーティー・ライブラリーに足を運んだ。
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チェスター・ビーティー・ライブラリーは、アメリカ人実業家の寄贈による美術品が納められている。
西洋や東洋から集められた、2万点以上の収集品の中には、色鮮やかなコーランの写本、美しいアラビア語体の文献、シリア、エチオピア、アルメニアの聖書を題材とした資料が環境の整った薄暗い部屋に展示されていた。
2世紀から4世紀ごろ、パピルス紙に書かれた聖書は、貴重な文化財である。
図書館の中庭にレストランがあったので、ギネスとサラダのランチにした。
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ダブリン城を出てクライストチャーチに向かう途中、Fish&Chipsの看板が目に入った。
小ぎれいな店だったが、ランチを済ませたばかりで、通り過ぎた。
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そこから大通りに出ると、左側にクライストチャーチ大聖堂が見えた。
写真の奥はテンプルバーに続く大通りである。
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クライストチャーチ大聖堂は、ダブリン最古の建築物である。1038年に北欧系ディーン人により簡素な木造建築聖堂が建てられ、のちに1169年ダブリン大司教とノルマン騎士チャーチル・クレアによって石造りの大聖堂に建て替えられた。
礼拝堂の天井はノルマン調とゴシック調が融合した建築様式になっている。
地下には、1172年以降のアイルランドの歴史的聖宝やジェイムス2世の墓碑がある。
この教会はイギリス国教会に属し、アイルランド政府の援助は一切受けていないと明示され、教会の文化財維持のために献金を請われていた。
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礼拝堂で、しばらく椅子に座り、荘厳なオルガンの調べを聴いた。
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大聖堂と礼拝堂
あまりの大きさに、少し離れないと全景を撮ることができない
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ふたたび、Hop-on Hop-offに乗り、ギネス・ストアハウスに向かったが、見物客が多そうで、ギネスも食指気味であり、ここもパスし、ゲートロッジ・ハウスに戻った。
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朝預けた荷物を受け取り、老主人に礼を言い、駅前からエア・リンクで空港に向かった。
時刻は、6時半、空は青く、2階建てバスの上からダブリンの街に別れを告げた。
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ダブリン市街から少し離れた位置にある、Ulster Bank
この建物は、日本のテレビにも、アイルランド経済の象徴として登場した。
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ヒューストン駅を6時半に発ったエア・リンクは、中央バスステーションで時間調整し、空港に着いたのは7時半を過ぎていた。
日が長く、外はいつまでも明るいので、時間の感覚がない。
その夜の宿は空港近くのBewleys Hotel、シャトルバスは送迎者駐車場の一郭に待機しており、10分程でホテルに着いた。
明朝が早いので、チェックインの際に、宿泊の精算を済ませた。89e。
1階フロントの前に、まるで空港内施設のような雰囲気の、だだっ広いレストランがあり、大勢の人が利用していた。
エレベーターで宿泊階に上がると、とても長い廊下の両側に、たくさんの部屋があり、広い室内は、ぴかぴかに磨き上げられた立派な設備で整えられていた。アメリカ系のホテルであろうか。
大きなバスタブにゆっくり浸かり、温調のきいた部屋で、清潔なベッドに横たわり、久しぶりに最先端設備の心地よさを味わった。
7月5日 日曜日、
早朝7時半の便に乗るため、5時にホテルを出た。シャトルバスは4時半から運行していた。
自動チェックイン・モニターに予約番号を入れると、搭乗券が発行される。最近は、カウンターを利用する人が少ないようだ。
荷物も、自動チェックインできるが、ロンドンでの積替え時に、間違って行方不明になると困るので、カウンターを通して預けた。
スーツケースを手放し身軽になったので、まずは、サンドイッチの朝食をとり、買い物に走った。
ギネスのロング缶1ケースと台所用鍋つかみを購入、パートナーはお土産のチョコレートを買った。
ヒースローでは、ターミナル1からターミナル5へ、地下鉄を利用、歩行時間を含め15分あまりで移動できた。往きのバス利用に比べ、あまりの差に驚いた。
ターミナル5で通関検査、ビールは店の梱包と証明書でパス。
待ち時間が4時間余、残った現金を処分するための買い物をした。
このたびの旅行では、予算をだいぶ下回ったので、土産を少々張り込んだ。
ロンドン発BA5便、予定通り13時半に搭乗、エコノミー席の最前列、足を伸ばす余裕があり、往きに比べ楽だった。日本を発つ前日、事前チェックインができたお陰で、助かった。
いつものことだが、帰りの便は、時間が早く経ち、飛行11時間で、翌朝9時に成田着。
2週間ぶりの家に帰った。家の中は、はちゃめちゃに汚れていたが、留守番の猫と94歳の母は元気だった。
エピローグ
J.M.シングの著書アラン島を知ったきっかけは思い出せないが、そのみずみずしさは病んだ身に生命力を与えてくれた。
偶々手にした日記帳に載っていたアイルランドの風景には親しみを持っていたが、アイルランドの地理、歴史、文化を調べるにつれ、是非訪れたいと計画し旅をした。
ダブリン、ゴールウエイ、アラン島、コネラマ、バレン、モハーの美しい風景を鮮明に記録するには未熟で、平凡な写真しか撮れなかったが、心なごむ景色はしっかり脳裏に焼き付いている。
一方、宿と食事は期待以上のものであった。
ゲストハウスやマナーホテルのような規模の小さい宿を選んだせいか、家庭的な暖かさを感じ、こぢんまりとした部屋で味わう食事も素晴らしかった。
Currarevaghでは部屋にTVや電話がなく、鍵もないのには驚いた。
Ballynocken, Currarevagh, Gregans Castle のディナーは忘れがたい。
アラン島の牡蠣も美味しかった。
いつもボリュームあるアイリッシュ・ブレックファストをたいらげたせいか、昼食を抜くことが多かったが、Glendaloghに行く途中に立ち寄ったLaraghで食べたサラダの栄養分は身体の隅々にいきわたった。
J.M.シングのアラン島に惹かれて訪れたアイルランドであったが、かつて過酷な自然に対峙して力強く生きたアラン島の人々の面影はなく、大勢の人が集まる人気のある観光地になっていた。
一方、そちこちで今では殆ど無くなってしまった人の温もりに接した。
この暖かさに惹かれ翌年もアイルランドの旅をした。