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2021年7月「選手村まで散歩して感じたこと」

連日、時間があればオリンピック中継を見ている。開催地が東京に決まった2012年から心待ちにしていた2020は、想像していたものとはまったく違うオリンピックとなった。こんなに近くで世界的大会が行われているのにどこか別の世界な気がする。

コロナ禍での大会実施や開会式直前のいざこざで賛否は大きいけれど、どうしても東京でオリンピックが開催されているという実感を持ちたかった。

金曜日の退勤後、ふと選手村を見たいと思った。

気分転換も兼ねて、少し、というかかなり遠いが歩いて晴海まで向かった。

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選手村から少し離れた人気の少ない川沿いを1人で警備する警察官の背中には“大阪府警”と描かれていた。選手村の方向から、たくさんのボランティアの方が帰路に着いていた。入り口となる道路には警察車両が配置され、大きなゲートができていた。警備する警察官や自衛官、明らかに普通の東京ではなかった。

選手村までは道路一本手前、意外と近くまで行けた。

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選手村付近には色々な人がいた。通行止めに遭い立ち尽くすUber Eatsの配達員、選手を乗せたバスの帰宅を待つ日本人。選手村の建物からは大音量の音楽と日本語じゃない言葉が聞こえてきた、人影が見てた。道路の向こう側に、世界各国の人たちが暮らしていると思うと不思議な感覚がした。

スーツ姿の男性が、自転車を飛ばしながら「オリンピックなんて邪魔だ!」と叫びながらボランティアや警備員を睨みつけ、走り去っていった。驚いて去っていく男性の背中を追ってしまったが、周りの人たちは振り向くことも話題にすることもなく帰宅を急いでいた。

もうだいぶ夜遅くだったが、遠方で競技を終えた選手たちを乗せたバスが帰ってきた。事前に今日の試合日程を調べていたであろう人たちがその国の国旗を振り、外からエールを送った。バスに乗っているどこかの国の選手たちも応える。お互いの声は聞こえていなくても、そこに交流が生まれていた。選手たちも声援を送る人たちも笑顔だった。

近くのコンビニに入ると、帰宅する関係者でやや混み合っていた。1人でレジに入っていた店員は少し気怠そうだった。

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誰かにとっては人生を掛けてきた大舞台で、誰かにとっては許し難い開催だったかもしれない。人の数だけ生活があり、事情がある。バスに乗って手を振っていたどこかの国のアスリートにとっては、すべてを犠牲にしてこの大会に懸けていたかもしれない。罵詈雑言を撒き散らしながら爆走していた男性は、実は飲食業を営んでいて度重なる時短要請にとても苦しんでいたのかもしれない。

SNSで、街で、オリンピックに対する意見をうんざりするほど浴びてきた。
大切にしているものは人それぞれだ。大切なものを守るために、それぞれが信じる正義がある。テレビで、全員が納得する答えなんてない。誰かにとっては正解であり、誰かにとっては間違いだ。

そんなことを思った夜散歩だった。

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