ウォール・マリア、武蔵野線。
俺が日本を2つに分けるなら武蔵野線の内側と外側でわけるね。
GoogleMapの航空写真で見れば一発でわかるが、武蔵野線の内側にはびっしり面で住宅が詰まっているが、外側になると鉄道路線の付近のみに線で住宅地が形成されるようになっている。この違いはデカい。
武蔵野線の内側はもう「東京」なんだよな。特に北東方面では顕著で、市川と船橋、松戸と柏、草加と越谷、みたいに「前者は完全に東京都心の一部だけど、後者はなんか独立したイメージ」が自分の中にある。絶対に越えられない壁、まるでウォール・マリア。通行可能だけど。
武蔵野線がガチ、ウォール・マリアだったら。
まるでウォール・マリアの武蔵野線が、ガチでウォール・マリアになったら。三ヶ月ぐらい前からこういう妄想をしてる。内側は福祉や警備の行き届いた理想郷で、外側は荒廃したディストピア。スチームパンクだといいな。そんな「武蔵野線SF」ちょっと深掘りしていこう。
まず、「東京」が果てしなく遠くなった船橋や越谷に価値はあるのか。船橋の人口62万人、大体静岡市で70万人だから、地方の政令指定都市ぐらいの人口があるわけだけど、船橋にそこまでの凄みはないんだよな。さっき独立してるって言ったけど、静岡より独立してはいないんだよな。船橋。
てか価値がなくなって静岡とかに人が流れたあと荒廃した船橋がいいのか。いいな。でっけー建物はいっぱいあるけど人がいないのがスチームパンクのいいところだしな。残ったのは「東京」じゃなくて船橋がガチで好きな変わり者か(船橋の皆さんごめんなさい)引っ越す金がない人達が残ったディストピア・船橋。なんかおもろい話になりそう。
武蔵野線の外側の僕。
話をリアルの世界に戻そう。自分は10歳のときまで川崎に住んでいたのだが、引っ越しをして武蔵野線の外側の住民になった。このとき川崎が武蔵野線の内側か外側かは置いておいて、その時の絶望感はめちゃくちゃデカかったのを今でも覚えている。川崎にはぶっちゃけなんでもあった。駅前デカいし電車に15分も乗れば東京。治安以外完璧すぎる街だった。てか治安も別に慣れれば悪くはなかった。
それが武蔵野線の外側はどうだろうか。武蔵野線の外側あるあるだが、「あるけどない」。ココスあるけどガストない、とかプラモデル屋は何故かあるけど鉄道模型のお店はない、とか。あと「あるけど遠い」ってのもある。楽器店まで車で30分とか、そうそう武蔵野線のちょうど外側から車が必要になってくるよな。越谷レイクタウンとか、新三郷のIKEAとか、車前提のまちづくりになってる。また脱線した。
要は武蔵野線の外側は青春を送るのに微妙すぎる。って言いたい。君の名はの三葉みたいな田舎の高校生活があるわけでもなければ、瀧くんみたいな都会の高校生活ができるわけでもない。僕のコンプレックス。武蔵野線の外側の僕が嫌いだ。
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