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狐のはなし【小説】



 猫が森のなかでお狐さまに行きあったことがありました。「きつねは、りこうで世慣よなれてる、世間せけんでたっとばれてる」と、こう考えたので、猫は、あいそうよく狐に話しかけました。
「おきつねさま、今日こんにちは! ごきげんいかがですか、ご景気けいきはいかがですか、せちがらい世の中になりましたが、おきつねさまは、どんなお生活くらしをなすっておいでですか」



 狐は、それはそれは威張いばりくさって、猫を、あたまのてっぺんから四足よつあしのさきまで、じろじろながめているだけで、なんとか返答へんとうをしてやったものかどうか、しばらくは見当けんとうがつきませんでした。やっとのことで狐の言うには、
「なにょう! きさまなんざ、ひげそうじのしみったれ野郎やろうの、斑ぶちの、阿呆たわけの、腹ぺこの、ねずみとりじゃねえか。なにょうかんげえたんでえ、このおれさまに向って、ごきげんいかがですかなんてぬかしゃがって、ふてえやつだ。きさま、なにをならった? きさまのできることは、いくつあるんだ?」
「わたくしにできることは、たった一つしかありません」と、猫は小さくなって答えました。
「どんなしわざだ?」と、狐がたずねました。
「犬どもがわたくしを追っかけてまいりますと、木の上へのぼって、じぶんを救うことができます」
「それっきりか」と、狐が言いました、「おれさまなんざ、できる事が百もある。そのうえ、おまけに智慧ちえのいっぱいはいった袋をもってる。かわいそうなやつだなあ、おれについてこい、犬どもから逃げだす法をきさまにおしえてやる」



 そのとき、かりゅうどが犬を四匹つれてやってきました。猫は、すばやく木の上へ跳びあがって、いく本もの太ふとい枝やこんもりした葉が自分のからだをすっかりかくしてくれる梢こずえへすわりこみました。
「ふくろの口をおほどきなさいな、ねえ、おきつねさま、ふくろの口をおほどきなさいな」と狐に呼びかけましたが、その時は、犬どもはもう狐をつかまえて、しっかりおさえつけていました。
「なんですねえ、おきつねさま」と、猫が大きな声をしました、「あなたは、おできになることが百もおありなのに、身うごきもできない。あなたがわたくしみたいに木のぼりがおできでしたら可惜あったら生命いのちをおとしなさることもなかったでござんしょう」

 狐は絶体絶命でした。犬の爪が食い込んだ腹からは血が流れていました。実は、狐は、友達がいませんでした。狐の中では尾が短く、不格好なためにいつもいじめられていました。先ほど猫に対してとった態度は、その裏返しだったのです。いつも馬鹿にされているからと、ここぞとばかりに威張って見せたのでした。もちろん狐にはできることなんて百もあるはずありませんし、智慧の袋など持っているはずもありませんでした。それどころか、自分になにができるかさえしりませんでした。

 狐の身体はもう限界でした。意識も遠のいていきます。狐は、考えました。いつも自分は嫌な思いばかりしてきた。ずっとそれに耐えてきた。今自分は死にそうだ。今ぐらい、周りが嫌がることをしてもいいんじゃないか。嫌がることはわかる。自分がされてきたことをすればいい。
 「犬さん、きいておくれ。おれはかわいそうな狐だ。やっとのことで獲物をとってきてもほかの狐にとられちまう。ここ3日もなにも食えていない。だからこんなに痩せちまった。おれをくったってうまくないぞ。」
 「それがどうした。おれたちは主人に言われた通りお前を殺すだけだ。」
 「犬さん、それでいいのか。あなたは結局かりゅうどに使われているだけだ。あなたがもしけがをしようと、看てくれたりしないだろう。新しい犬をまた飼うだけだ。そうじゃないか?」
 「何がいいたいのだ。」犬は、たしかにそうだと思いました。
 「犬さん、これはどうだい。おれたち、自由になるんだ。自分で好きなだけ獲物をとり、好きな時に好きなだけ食べるんだ。どこに行ってもいい。もう縛られる必要はないんだ。」
 犬は考えました。犬は、生まれながらの猟犬でした。だから、そんなことを考えたことがありませんでした。かりゅうどに言われるがまま獲物をとり、かりゅうどに与えられたえさを食べ、かりゅうどに従って生きていました。それも悪くはなかったのですが、犬は、自由になるのも良いなという気になりました。
 「狐、どうすればよいのだ。」
 「容易いことです。かりゅうどを一緒に殺しましょう。」
 「よし。」
犬は狐を襲うことをやめ、ひるがえってかりゅうどを襲いました。かりゅうどは食いちぎられて死んでしまいました。
 「これが自由か。確かによいものだな。」犬は興奮していました。
 「そうでしょう。あそこに猫がいます。木の上だ。今のままでは捕れません。おれにまかせてください。何とかおろして見せましょう。なにせ私は百の智慧をもつきつねですから…ちょっと道具をとってくるからここにいてください。おっと、猫のいうことをきいてはいけませんよ、猫はきっとあなた方をだますでしょうから。それでは…」
 というと、狐は向こうに行ってしまいました。犬は狐をずっと待ち続けましたが、とうとうあらわれることはなかったということです。

「やれやれ、とんでもないお狐さまに話しかけてしまったものだ。噂は本当だった。」猫は木の上でため息をつきました。


この物語は、『狐と猫』(グリム兄弟.青空文庫)に加筆する形で描かれました。

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