書籍「反省させると犯罪者になります」を読んで

タイトルはやや過激であるが、この本の趣旨は
「人が問題行動を引き起こした時、その行動をするに至った背景部分(多くはその人の心の内面)と向き合うことが重要で、それを行わずに安易に反省を促すことは問題解決にはならず「本音の抑圧」につながり、最終的に爆発して犯罪行為へ至る」と述べている。

犯罪を犯した受刑者の多く(特に男)は幼少期に不遇な環境を生きてきたことが多い。そしてその寂しさやストレスを克服するために、
「男らしく生きること」「負けてはいけない」という価値観を持つようになる。彼らにとって「弱音を吐くこと」「負けること」は、自分の弱さを露呈させ、それによって自分が他者から評価されなくなると考え、一種の恐怖を持っている。そんなことは絶対に許されないと考えている。「強い自分を見せること」によって周囲から承認を得られるのだ、と。
そうして自分を強くみせて他人に認められることで、十分に注いでもらうことのなかった愛情を埋め合わせようとする。

しかし根本的な部分(愛情の欠乏)の解決にはならない。そうした欠乏感を埋めるべく、彼らはますます「男らしさ」や「勝つこと(逃げないこと)」を自分自身に強いていく。だからあらゆる手段を用いてでも、負けずに勝とうとする。その最悪の結果が犯罪行為となる。

また受刑者の多くは素直に自分の気持ちを伝えることができないそうだ。今まで他人に対して自分の気持ちをストレートに表現した経験がないから。
素直に気持ちを表現することが難しい人間は上手に他人に頼ることができず、人間関係が長続きしない。そうして彼らは孤独に陥っていく。孤独が続き、そこで緊張の糸が切れてヤケクソ状態になると、犯罪行為へ走る確率は一気に高まる。

子供時代に子供っぽく素直に感情を外に表現することができていたら、ありのままの自分を出すことを通して他者と人間関係を構築することを練習できる。(そのためには、そうした子供っぽさや素直な感情を受け止めてくれる大人の存在が必要不可欠)

しかしそれができない子供は、常に子供っぽく素直に感情を表現することを抑制して「大人っぽく」振る舞おうとする。そうして「しんどさ」の発散ができず、抑圧がピークを超えると爆発してしまう。「しんどさ」が爆発しないように、適宜小さく発散することも必要なのだ。

自分はどうだろう?

自分も親から(特に厳格な父から)は「他人に迷惑をかけるな」「男なんだから」と言われて育ってきた。そのように育てられてきた今、「他人に弱さを見せてはいけない」と内心思っている。だからできることならなんでも自力で物事を解決しようとするし、他人に頼ることは迷惑になるのではないかと心のどこかで感じている節がある。だから他人に何かを聞いたり頼み事をするときに、負い目を感じてしまう。申し訳ないと思う。
気にしない人であれば、ためらわずにできることなのだろう。羨ましいと思う。そう考えると、自分自身も犯罪者とされた人間たちと心理状況は紙一重なのかもしれない。

しかしこの本を読んで気づかされた。
強い人間とは「強がろうとする人間」ではなく、「自分の弱さを認められる人間」であり、必要なときに他人に頼ることができる人間なのだ、と。

社会を回していくためには我慢が必要だ。ときには気の進まないことをしなければならないし、付き合いたくない人間と関わらないといけない時もある。人生は楽しいことよりも苦しいことの方がずっと多いのも事実。
ただ、社会をうまく回ためにも、自分の人生を進めていくためにも、我慢を続けることは良くない。
自分の本音を言える人を1人でもいいから見つけて、しんどいときに話を聞いてもらおう。内に溜め込まずに発散しよう。こうやって自分を大切にできない人間は、他人を大切にすることもできないのだから。


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