なぜ自由を勝ち取ったはずの人間が同業を嵌め込むようになるのか
医師という信用を生かして不動産投資などで経済的自由を手に入れた人間が、同業の医師を嵌め込む行為(詐欺など)を行うというケースが時折みられる。
不動産投資などで(大成功とは言えないまでも)ある程度成功して経済的なゆとりを得たはずなのに、その結果が詐欺行為になるのはなぜか?
少し考えてみたので、書いていこうと思う。
その根本にあるのは、おそらく承認欲求。
社会的な存在であれば誰しも承認欲求を持っており、まして小学校から受験双六を勝ち進め、集団から外れまいと邁進してきた若手医師のような人間が、この承認欲求から逃れることはできない。
医療の世界の先行きの暗さから、医師免許を信用に借金を引いて不動産投資を行い、ある程度の手残りを得られるようになった。借金はまだ残っており次の投資のために手残りは残しておく必要がある(再投資)ためセレブ生活や贅沢などはもちろんできないが、本業からの給与収入だけに依存していた以前と比べると、余裕は出てきた。
それに伴い、本業へコミットする熱量はこれまでの自分や他の同僚と比べ、明らかに落ちてきた。モチベーションがない。もう第一線で活躍するための力量や覚悟はない。そんな未来はない。
かといって、他に熱量を持ってコミットできることは特にない。新しいことを始めるほどの覚悟もない。
細々と本業を慎ましく続けながら、不動産で得られる収入を返済に充てつつ時間をかけて少しずつ再投資して拡大していく。これが元々の基本戦略であるはずだが、本人にとっては想像以上に、これが圧倒的につまらないのである。これでは承認欲求を満たせない。
不自由ではあるが、本業を頑張っている同僚や先輩後輩たち。かたや、自由を手に入れたはずなのに心の中にポッカリと穴が空いたような、満たされない自分。本業では満たせなくなった承認欲求を、どこかで満たさないと、、「俺はこんなにすごいんだ」ってなりたいのに、、
そこで、今までのノウハウを活かして同業へアプローチをかける。
「本業(医療)の先行きは暗い、不透明であるがゆえに皆不安を持っているだろう。俺も昔はそうだった。けれど不動産投資を行うことで、今俺はこうして自由を手に入れてこんな生活をしている。お前もやってみないか?」と。
ここまでは別にいいのだが、(承認欲求の大きさゆえに)ノウハウを事業化して大きくしていこうと思うのである。承認欲求の大きさにビジネスモデルが(稚拙過ぎて)ともなっていないのだけど、それでも焦っているので突っ走ってしまう。
結局そうして残るのは、「同業を騙そうとする怪しい人」というレッテルなのだが。
こうならないための処方箋
こうならないための対策としては、
①経済的自由を手に入れたとしても、金はあくまでも金でしかない(全てが思い通りになるわけではない)という戒め
②経済的自由を手に入れた後も、自分の承認欲求を満たすことができるものを持っておく
の2つが重要ではないかと思う。
①については、金や自由という大きな力を手に入れたとしても、それによって自分という存在が変わるわけではないということ。金をたくさん手に入れたとしても、できるのは「金絡みの不安から解放されること」「金で解決できる問題を金で解決できるようになること」だけ。後半は進次郎構文のようになってしまったけど、これは本当。
金があることで来週の天気を自分の希望通り全て晴れにすることはできないし、時間を巻き戻して若返ることはできないし、他人の人生を思うようにコントロールすることもできない。(他人の時間を労働を通して「買う(雇う)」ことや「セックスを買う(売春)」はできるけど、他人の人生を自分の思うようにコントロールすることは絶対にできない)
これは考えてみれば当たり前の事実だと思うけど、かなりの権力者とかレベルになると、これを忘れてしまいがち。
②については、切実。経済的自由を手に入れた後も、本業にある程度はコミットしておくとか、あるいは別のことでも自分自身がコミットできることを事前に探しておくことが重要。
経済的自由までの道のりも重要だし自分もそこに向けてフルコミットしているけれど、その後も重要というお話でした。