学歴の意味

日本では基本的に多くの人間が大学受験を経験することになる。推薦などの一部を除き、基本的にはペーパーテスト一発勝負。
しかし早慶、旧帝国大学以上の難関とされる大学に入学できるのは上位数〜10%程度にすぎない。相対評価なので当たり前だけど。

尊敬する人が仰っていた。
「学歴は社会に出る時の発射台のようなもの。学歴によって発射台の高さが決まってしまう。学歴がいいほど、より高度を稼げる。
でもその発射台に立ったら、それ以降は学歴は直接的には意味を持たない。
それ以降は、また別のルールの世界になる。」と。

正装が必要なパーティに参加するにはネクタイは必須だけれど、いざパーティに参加し始めたらもうネクタイは役に立たない(使う場面がない)のと同じようなイメージ。

僕は学歴について上記のように考えていた。
しかし社会に出て数年、色々な人と話してみて、学歴に対する考え方が少し変わってきた。

多くの人は言う。
「子供の頃に戻ったら、たくさん勉強していい大学に入っていい会社に入って、そこで働くんだ。親に勉強しろと言われても無視していたけど、それは間違いだった」と。
この言葉の裏には、学歴がないため望んだ待遇を得られなかったという思いがある。

そしてふと思った。学歴とは、
「多くの(望んだ学歴を得られなかった)人間が、
「自分は学歴がないからこの待遇なんだ。だから仕方がないんだ。」
と思って自分を納得させる」
ためのものなのでは?」と。

日本社会を主に動かしているのは日本の学歴最高峰の東大理科三類ではないし、東大や京大卒の人間たちが世の中の中心にいるわけではない。
難関大学を卒業からといって、望んだ待遇を必ず得られるわけではないし、人生が保障されるわけではない。

資本主義社会では資本家という圧倒的強者がいて、学歴があろうがなかろうが多くの人間はその下で労働することになる。学歴によって資本家と労働者の差が生まれるわけではない。これが紛れもない真実だろう。

でも学歴は、そういう真実から多くの人の目を逸らし、今の社会構造やシステムを維持するためのものとしては、うまく機能しているのかもしれない。



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