誰にもわからないボクのジレンマ
写真を撮ることが好きでカメラを持ってよく外に出る。
たくさんの写真を撮って、家に帰って現像するけど毎回ボクが撮った写真は「ボク」を超えていない事実を知らされて愕然とする。
そんなの当たり前じゃん
そんなことを言われるのもよくわかるんだ。だってその写真を撮ってるのはボクだから。
でも違うんだ。少しだけ聞いてほしい。ボクのジレンマを。
ボクはボクの好きな写真を撮る
写真を撮るのはボクなんだから、ボクはボクが好きな風景やシーンを手に持ったカメラのシャッターボタンを押すことでセンサーに記憶させていく。
はるか昔のお茶の世界で○○好みって表現される嗜好性があったみたいだけど、そんな高尚なものとは全く違ってボクが撮る写真は毎回ボク好みの写真になってしまう。
ボクは建築の設計を仕事としているからどうしても建築風景的な写真になってしまうのかもしれない。でもそれもボクが「いい」と思う写真だからボクはシャッターを押しているはずだから間違いではないんだと思うんだけど。
ボクはボクを超えていきたい
ここから先はうまく言葉にする自信がない。今キーボードを叩いているボク自身がアルコールで酩酊しているのも原因かもしれないけど。
ボクは目で見たままの世界を写したい”だけ”じゃなくて切り取りでもなんでもいいから、普通は気づかないようなシーンを写真という記憶媒体に残したい。
それは夕日を浴びる雑草を逆光で撮ってもいいし、街路樹の葉をハイキーに撮ってもいいかもしれない。多分撮れる(撮りたい)写真の雰囲気は頭の中には「ある」はず。でもボクはそれをカメラに記憶させることができない。
AではなくQを与える
昔「アリtoキリギリス」っていうお笑いコンビで活動していた石井正則さんが言ってた。
「自分が思い描く世界を写真という形でどうだ!って出すんじゃなくて、この写真見てどう思いますか?ってQ(クエスチョン)の形で出して、見た人の反応を確かめるのが楽しい」(正確な言葉ではなく雰囲気ね)
ボクはAを弾き出すことに拘っていたのかな?自分を追い込んでるのかな。
もっと簡単に考える
グダグダ考えているとこう言ってくる人がよくいる。
でもそれは多分、散々悩んで答えを出した人の意見だろうし、簡単に考えられないこともある気がする。そもそも答えを知っていれば簡単に考えられるだろうけど、答えに辿り着くための方程式が見つからなくてボクは四苦八苦してるんだ。
今日の夜は部屋の照明を付けずに間接照明だけで過ごしてる。こうしてるとカーテンを開けても部屋の中が見えにくいから開放的なんだ。
薄暗い中でボクは悶々と自答する。
でも心のどこかでこんなボクのジレンマも「必要なことなんだよ」って言ってる声が聞こえてくる。写真家でもないのにバカみたいだよね。
最後は自分にそう言い聞かせてそっと目を閉じる。