起業で"豊かになる人/不幸になる人"の違い
起業家と経営者
定義は曖昧でよく同義として使われてるけど、僕は明確に違うと考えていて、世の中の人はこの概念を間違えて起業するから不幸になる
「起業家になるんだ!」と言いながら常に鬱状態の人はそこそこいた
逆に「起業するんや!」みたいな勢いはなくなんとなくビジネスを始めたら軌道に乗った人もいた
この違いはなんだろうとずっと考えていて、答えが出始めたので残しておこうと思う
・起業に適した人間であるのか。
・起業家と経営者の違い(アートとビジネスの違い)
・改めて、自分は起業するべき人間なのかの確認
起業するべき人間なのか
そもそも起業とは何か
多分起業したい人は何かやりたいことがあると思うがその「やりたいこと(起業)」と「お金稼ぎ(経営)」は別
やりたいことならお金関係なく今からやるべき
お金稼ぎがしたいなら金融の勉強してお金の使い方から変えればいい
やりたいことの先に株式会社が必要なら作ればいいだけで、そのやりたいことはわざわざ会社作ってまでやる必要性はあるのかというとこを考えるべき
やりたいこと(アート)と商売(ビジネス)を勘違いしているから全てが中途半端になってしまう
アートとビジネスをごっちゃにせずに「起業」という概念を見直すべき人は結構いると思う
これを理解せずそのまま突き進んだとしてもある程度までいけると思うが、ある程度成功した時点で「成功論」を語る老害になる
プロのアスリート目指してた人がその道を断念してどこかの学校でコーチをやってるような感じになる
別に金を持ったからと言って幸せになるわけではない。ここら辺の理屈を理解せずに起業家として突き進んだ先に幸福が必ず待ってるわけではない
ざっと起業という概念に触れたが起業には適性がある
mbtiみたいな性格診断的要素もあるけど、その人の過去や、どういう未来を描いていて、今人生の階段をどれくらい上っているのかのタイミングも重要になる
「起業をしたい」という言葉を使う人は「起業」という概念の理解とか、本当に自分が何をしたいのかを理解ができてないように見える
よくありがちなのは「こういう社会を作りたい!」みたいな人
こういう人の共通点は総じて教養がないことと育ちが良いこと。本人はこの共通項にすら気づかない。(教養がないことは悪いことではないが、「教養がない×見栄を張る」みたいな人が一番危ない)
東大や早慶出身の一部の人間が考えるビジネスはそこらへんの若者が考えつくビジネスとは構造から違う。逆にそれ以外の大学レベルの人が思いつくビジネスは驚くくらい似たり寄ったり。
そもそも教養がないから「社会を作れる」と思ってしまう。そういう社会を実現しようと失敗した人間が過去にいた可能性すら検討しなければ、社会がどのようにできたのかすら知らない人もいる(知らないことが有利に働くこともあるがほとんどの場合本人を死へと近づけてる)
理想とする社会が実現していないのはそれなりの理由があるからで大前提自分より賢い人間が必ず先に動いている
たいそうなビジョンを掲げることは素晴らしいが本気で社会を前進させたいのならそれなりの準備が必要
起業云々よりまずは人間としての強さが必要だがその最低条件すらも整っていなかったりする
育ちが良い人は基本鬱になって終わる。自分の身の回りの感謝すべき現象に気づいていないから。自分がいろんな人や環境に支えられて生きていることに気づいていないので1人で何かを成そうとするも、1人で何もできないことに気づくからだ。気づいてなお、適性がないので鬱になって消える
逆に、なぜか起業がうまく行くパターンの人はどんなかというと
「こういう社会を実現したい」という大義はなく、シンプルに社会で働けない性格かつ実家にいるのがしんどいから自分で稼ぐしかない状態ができてしまってる人。
この属性の人は生きるために起業しなきゃいけないので商売の本質が見えている。「稼がないと生きていけない」ので素直に稼ごうとする。簡単に聴こえるかもしれないが、起業を志す人で「稼ぐ」というベクトルがない人が本当にいる(さっき言ったように本当はアートをやりたいだけだったりするから)
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