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Player with own “Prayer”

呼吸を忘れるとはまさにこの事であった。
見るもの全てに圧倒され、人々の息遣いをヒシと感じ、そしてやはりこの“都”が日本の中心なのだと実感させられる日だった。


2月11日、時刻は夕方5時半。
先日関東を覆った寒波の影も見せない穏やかで柔らかい風に頬を撫でられながら、東京駅舎前の広場でしばし脚を休める。
四方八方に脚を向ける人々もターミナルに進入するタクシーのヘッドライトに照らされ、その影は全く同じ方向に伸び石畳にユラユラ揺らしている。
行き交う人々、アタシと同じように足を止める人、おそらく誰かと電話している人などに耳を傾けながら、本日の鮮烈な記憶を頭の中でなぞっている。

昨年の9月に続いて、また東京に赴いた目的というのは、マチルダアパルトマンの作品を鑑賞することである。
そして今回足を運んだのは下北沢という街だった。
言わずと知れた「文化」の街で噂に聞いていた通り
未だ人生で体験したことのない人の数でその街は溢れかえっていた。
多種多様なコンセプトの洋服屋が軒を並べ、数え切れないほどの飲食店が騒がしく呼び込みの音源を繰り返し、数歩進むだけで刻々と匂いが変わっていく。また、日本語以外の言語も多数聞かれ「文化の街」の通称に違いない。
道ゆく人々が自らのアイデンティティやポリシーやらを見える形にしていながらも、それらは決して摩擦することなく、滑らかに調和していた。

人生で初めて電車の乗り継ぎも経験した。石川県に住んでいれば乗り継ぎなどしなくても大抵の用事は済ませられる。
石川県を走る七尾線や富山線と違い、椅子も横向きについてる。いや、我らが地元の鉄道も絶対にこのタイプの車両を採用するべきである。
駅構内では帰宅の時間と重なり恐らく1日の中でもかなりの人口密度であろう中を、人々はまるで団体行動でもしているかのようにぶつかることなくすり抜けていく。道を歩いていても、どこか無意識に左側歩行を徹底していたり。条例か何かで指導されているのか、それとも独自のコミュニティの中で歩き方を共有しあっているのか。でないとおかしい、あのスムーズさは。あの光景が成り上がっているのは。
奇跡です。

夕刻の中央線も印象的だった。
椅子に深く座りバッグに顔を埋めている人、絵本を一緒に読んでいる親子、何か楽しげに会話するカップル、吊り革に捕まりながらもう一本の手でスマホを操作する男性、横持ちにした画面に両親指を連打するお兄さん、広告をぼんやり見上げるお姉さん。
みんな同じ目的でこの車両を利用しているにも関わらず、そこに現れるのは十人十色な他人の人生だった。
車内が反射する車窓からぼんやり見えたガラス張りのビルは、明かりのついているフロアとそうでないフロアが点々としていて、それはなんだか美しかったような気がする。
帰宅ラッシュの時間帯にも働いている人がいるのだなって。この人たちがもしかしたら日本を支える大きな役割を担っているのかもしれないなって。
なんだかありきたりな発見かもしれないけど、これに気づくことができる人間でありたい。
きっとあのビルを作った人は夜になっても仕事している人の存在を、外から見上げる人々に気づかせるように設計したんだな。さいこう。


アマプラでダウンロードした映画を見ながら3時間弱新幹線が立てる轟音とサスペンションにふわふわ揺られ、金沢駅に着けば鼓門をくぐり、帰宅してからお土産のお菓子を少々つまみ、歯を磨いて8時間ほど睡眠するなど、たった24時間前と全く延長線上の行動をとっても、どこか頭の中はぼんやりしている。
それは、新幹線の浮遊感が抜けないせいか、初めて行った街に気圧されたせいか、興奮がさめやらぬせいか、またそれら全部か。この際それはどれでもいいのだが、旅行した後のこの感覚、嫌いではない。数時間前に観た景色、聴いた音、嗅いだ匂い、食した味、歩いた道、手に取ったモノ、それら全てが、アタシの体内の必要なもの、そうでないものの全てをリセットするよう促し、それは一種の感動という形で心のシワとなっていく。言い換えれば「思い出」じゃないかと思う。

9月に六本木という街を訪れた時も、似た感覚に抱かれた。
初めて1人で新幹線や地下鉄に乗ったこと、明るく騒がしい街に大きく見えた赤い東京タワー、ネオンで縁取られた看板、B1の小さなハコ、かき鳴らされる轟音、そこにあるもう一つの世界、大好きなちいこさんやぶんちゃん、神近さん、大垣さん、阿久津さん、Ayanoさんと同じ空間を共有したりお話しできたこと、おにぎりカフェでマスターやお客さんの方と仲良くなったこと、地下鉄の入り口がわからなくなったこと。
半年前だが、事細かにしかしどこか別の次元の記憶のように思い出せる。
それら一つひとつが朧げに輪郭を保ちながら、また頑張ろうと思える気力の一部になっていく。
無くなりもしない永遠の活力。
捨てちゃわないように、手放しちゃわないように
意識しなくちゃならない。

アタシにとって今のところ東京ってそんな場所なんだと思う。


思い出はいずれ忘れる。
否「思い出せなくなる」と表現するのが好きだ。
皺は無くならずとも、形は変わり続ける。
ただ、不意にその皺の由来を思い出すことがある。
そういう時に胸がキュッとなって、少し懐かしかったり悲しかったりする。
けどそれは全然苦しくないんだ。
そういうタイミングがこれからもありますように。
出来るだけ永く続きますように。

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