おじさんの顔はグレー
雨のしとしと降る日々だった。その日、私は学校が終わると、お気に入りの赤い傘をさして、帰り道をひとり歩いて帰った。
途中にある公園のブランコで、そのおじさんは傘もささずにうつむいていた。
最初のうちはあやしくて見なかったふりをしていたけれど、おじさんはとても悲しい顔をして少しうつむいてブランコに座っていた。
それは、そんじょそこらの悲しい顔じゃなかった。まるで、世界の暗闇が、ろーとかなにかをうまくつかっておじさんの首筋にでも注がれてるんじゃないかと思うほどだった。
だから私はちょっとだけ立ち止まって、おじさんを見た。
おじさんの顔はグレーだった。
ブランコの後ろの花壇には、薄紫色のあじさいが咲いていた。あじさいの花にはカタツムリとアマガエルがいて、どちらも顔を見合わせていた。たぶん、おじさんが心配なんだ。
私はびっくりするより前に、おじさんが心配になって、意を決して話しかけた。「おじさん、顔色わるいよ」って。
そうしたら、グレーの顔をしたおじさんは、ゆっくりと(体調悪そうに)顔をあげて、「あぁありがとう」とつぶやいた。
私は「大丈夫?どうしたの?」と続けて聞いた。おじさんは、つっかえつっかえ小さな低い声で返事をした。その声はいまにも泣いてしまいそうな弱々しい声だけど、どこかずっと地中の下の方にいるモグラのボスみたいに低くしゃがれていた。
おじさんはどうやらリストラされたらしい。詳しい話は私にはわからなかったけど、金融会社のなんかが変わって、新しくきた外国人の社長に「もういらない」と言われたらしい。おじさんはずっとその会社に勤めてきたから、あまりにショックで落ち込んで、そしたら黒い雲が空を覆って、雨まで降ってきたものだから、顔色までグレーになってしまったのだそうだ。
社長が新しくくるっていうのが私にはよくわからなかったけど、ただごとじゃないのは顔色でわかった。何しろグレーなのだ。
グレーのおじさん。
私はちょっとかわいそうになって、何もできないけど、赤い傘をおじさんにさしてあげた。おじさんはうつむいたまま、また「あぁありがとう」とモグラのボスみたいな低い声を出した。「おじさん、傘ないの?」と聞くと、やっぱり低い声で、「うん、会社に忘れてきちゃったよ」と言った。
私は決めた。おじさんが風邪をひくといけないので、この傘をあげることにした。
お気に入りの傘だからひとにあげるのなんて嫌だけど、おじさんがどうもかわいそうだ。こんなに雨に打たれて、リストラされて、顔もグレーで。放っておいたら首でもつっちゃいそうだし。それに、少し赤でも混ぜれば、おじさんのグレーもマシになるんじゃないかと思った。
赤い傘を渡されたおじさんは、少し慌てて「いらないいらない」と言ったが、すぐにまたうつむいてしまった。私はおじさんの家は近くかと聞いたけど、家には帰りたくない、ここにいたいというので、無理やりに傘だけ渡して帰ることにした。
「おじさん死んじゃだめだよ」
「大丈夫、、死なないよ、、。」
「傘、私のお気に入りなんだからねー」
「ごめんね、ありがとう」
その日、私は濡れて帰って、お母さんに怒られた。グレーのおじさんの話をすると、「知らない人には近づかないこと」と「お母さんに嘘つかないこと」という新しいルールができた。でも私はいいことしたと思っている。おじさんはたぶん私のおかげで助かったのだ。
雨の降る日々が終わって、私はまたあの公園をチラチラ見るようになった。おじさんはでもそこには現れなかった。
代わりに私の赤い傘だけ、私の家に丁寧に届けられた。私が家にいない間に、おじさんがお母さんに届けてくれたらしい。お礼にポンカンの洋菓子もついてきた。私はお母さんとそれを食べた。おじさんは恥ずかしいからと、私と顔をあわせるのを避けたらしい。
「あんたの言ってたこと、本当だったのねー」
「ね!おじさん、嘘じゃなかったでしょ?」
「うん、本当に顔がグレーなんだものびっくりしちゃった」
「おじさんまだ落ち込んでたの!?」
「いや笑ってたわよ」
おじさんの顔は本当にグレーだったのだ。私はグレーの顔をしたおじさんの笑う顔を想像してみたけど、うまくできなかった。でもまぁいいか、もらったお菓子はとっても美味しいし。
end.
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