虚無の味で殴る暴力性
「この店のお肉、マジで美味しいからさ!ちょっと値は張るけど、ぜひ食べてみてほしい!」偶然というのは偶然連続したりするもので、そうやってグルメ通の友人らから飲食店を立て続けに勧められた。いつも僕の相手をしてくれることには感謝しているのだけど、こうも食事の話づくしだと辟易してしまう。流行りのポップスを聴きトレンディドラマを観ていた中学校のクラスメイトたちも大人になり、話題の中心はグルメや家族、知人の近況などへと移り変わった。
僕は食べ物の話で盛り上がれるほど健常な大人ではないが、スナック菓子やジャンクフードはよく口にする。マクドナルドが、大好きさ。しかし「美味い!美味い!」と思って食べているわけではない。今の僕は美味しいという感覚がいまいち分からない。味に対する感受性がひどく鈍化しているのだ。
ではなぜ菓子やジャンクフードを食べるのか。口が寂しいから、というのも理由の1つだろう。ただ、どうも僕は心が荒んだ時にそれらを食べる傾向がある。心を落ち着けるために、濃い味付けの施された高カロリーな塊を爆食するのである。
ストレスが溜まって散財したり、暴飲暴食をしたり、ヤケ酒を煽ったりするのは、一種の自傷ではないかと思う。自傷行為というとリスカのイメージが強いけれど、何も自身に外傷を与えることだけが自傷ではないだろう。行為に至る理屈はきっと同じで、もっと言えば「僕なんてどうせ…」という自虐さえも自傷の一環だ。五蘊盛苦に苛まれるも、他者を攻撃する勇気はないし、スポーツや他人との交流で浄化するという健常な手段も持ち合わせていない。行き場を失った負の感情は刃となり、その矛先は自分自身へと向くのである。
SNSに手首を切った画像をアップすれば、それは過激な投稿として通報の対象になる。自殺を仄めかすのと同類だと判断されているようだ。かと思えば「これが大人の力だぜ」という文言とともに、大量のジャンクフードが並べられた画像には沢山のいいねが付き、たまにバズっているものもある。リスカもODもジャンクフードの暴食も、概要は同じように感じるんだけどなあ。ドカ食い気絶が話題になり、ようやくその危険性に気づいたなんて呑気なことを言わないでくれよ。
要は程度の問題なのでしょう。なんでもやり過ぎは良くない。適度、中庸、程々。言い方は色々あるが、大人たちの好きな”ちょうどいい”ってやつの範囲内で、節度をもって楽しめばいいのだろう。発達障害云々以前に、自傷をしてしまうような精神状態でそんなルールを守れるわけがないだろう。仮にカロリー0のジャンクフード(矛盾)があったとしても、そもそもの目的が自身を傷つけることなのだから代替品にはならない。高カロリーで体に悪くてナンボなんだ。ダメージを与えられなきゃ気持ちは発散されないんだ。そして行き着く先の1つが破滅願望なのだろう。僕はまだまだ冒険の途中のようだ。