大人的固定観念爆散 養老天命反転地
岐阜県に養老天命反転地という体験型の芸術庭園がある。荒川修作とマドリン・ギンズ、芸術家と詩人によるアート作品だ。存在を知ったのは中高生くらいの頃で、その名前と見た目のインパクトに気圧された。所在は岐阜県。僕の住む石川県からはそう遠くはないのだが、何かと制約の多い子どもの行動可能範囲からは大きく逸脱している。せいぜい隣の市に行くくらいが限度だ。高校を卒業して自由の翼を得るも、しかし大学生の僕は東京にいた。そんなわけで、この歳になるまで養老天命反転地に行く機会がないままだった。
先日、満を持して岐阜県養老町へと赴いた。むしろこの歳になってから訪れて良かったのかもしれない。園内敷地には平面がまったく使われておらず、言うなれば超アンチバリアフリーである。驚いたのは、走ったり飛び跳ねたりしているわけではないのに、デコボコした園内をただ歩いているだけで汗だくになる。普段歩いている舗装された道が、いかに身体への負荷を減らしているのかよく分かった。
交通インフラが整備された街々とは一転、常識がまったく異なるので、辺りを観察したり歩いたりするだけで何もかもが新鮮だ。これがなんとも楽しい。まるで、赤子としてこの世に生を受け、右も左もわからずよちよち歩きをしているような感覚になる。価値観や常識が凝り固まってきた大人の脳をぐにゃぐにゃとほぐしてくれる。ついでに運動不足の解消にも。
僕たちの身の回りのモノはほぼ全てに意味があり、計算され尽くしたデザイン設計になっている。なぜ?に対して「〜だから」という答えが確定している。だから、物体を見て何かを考えたり想像するスキがあまりないのだ。アート作品は、見るものに考えの余白を与えてくれる。答えは各々が導き出せばいい。養老天命反転地は、見るだけでなく体感できる作品だ。「あそこへ行くにはどういう道を辿ればいいんだろう」「あそこに行ったら何があるんだろう」オープンワールドゲームくらいでしか感じられなくなっていた、そんな純粋なワクワク感に胸が躍る。自分の目で見て決めた目的地へ向かって、自分の足で、身体で、大地を踏み締めいざ行かん。そこには自分だけの景色と答えが待っているぞ。