仕事、結婚以外の生き甲斐
心身ともに健やかに生きていくためには、生き甲斐ってやつが必要なんだろう。現代ではたいていの人が労働に従事していて、不本意ながらそれを生き甲斐にしているケースもあるでしょう。しかし、これはもっとも合理的だと思う。否が応でも強いられる仕事、健康に生きていくために必要な生き甲斐、そして1人の人間としての社会的責任、それらすべてを同時にクリアーできるのだから。なので、業界や職種、労働環境などひっくるめ、自分に合った仕事を見つけるのは処世術として大変コスパがよいと言える。
もう1つの王道パターンとしては、結婚して家庭を持つ、というのがある。今は「結婚はコスパ悪い」とか「子供は贅沢品」なんて言われてますが...。しかし、守るべきものができるというのは、間違いなく生き甲斐になるでしょう。僕は、結婚というのは「誰もが思い描く分かりやすい幸せ」を獲得する契りだと思っていた。平凡そうでいて、極めて難易度が高い。当たり前のことが最も難しい、という言葉を体現している。しかし、こちらも一度手にすれば仕事同様、大変にコスパがよい。当たり前の幸せを享受できて、家庭を守るという生きがいを得られ、子をつくれば社会にも貢献できる。こうした事実だけでも、自分は生きている価値があるのだと実感できるでしょう。
仕事にやりがいなんて無い、結婚はハードルも高いしコスパも悪い、自分の時間を大切にして趣味に没頭するのが1番だ、という人もいるでしょう。僕が思うに、これが最も茨の道である。僕自身、仕事に心を捧げるつもりはないし、結婚も絶望的なので、これは自戒の意もある。
熱意を持って趣味に没頭するというのは、年々厳しくなっていくでしょう。三十路の今ですらそれを感じている。自分は死ぬ間際までアニメに熱中できているのか...?甚だ疑問だ。自分の中で熱を燃やし、自分で自分を満足させる。この自給自足ウロボロスシステムは相当難易度が高い。かなりのモチベーションを必要とする。自分が何かを消費することで得られる幸福には天井があり、それはどんどん下がってくる。それを食い止めるだけのパワーを持った人はごく一部でしょう。選ばれた人のみが、生涯趣味に生きることができるんだ。
消費するだけの趣味生活では満足できず、自分がコンテンツを提供する側に回る人もいる。そうすれば、趣味が自分の中だけで完結することを防げる。他者をも巻き込み、自分の創作物が評価されれば社会的欲求を満たせる。自分が提供側に回るのは、趣味を生き甲斐にしていく可能性を広げることができる。というか、もはやこれしかない。仕事に打ち込めない、結婚もできない。であれば、せめて趣味を生き甲斐にできる形に昇華しなければ。僕には何ができる?今はひとまず、こうして文章をインターネットの海に投げ入れることしかできていません。何かを作らなければ、誰も僕のことを認識してくれなくなる。