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閉店時の断末魔

 僕の地元に大型の中古ショップがあった。コミック、ゲームに玩具に古着、ホビー全般なんでも扱う店だった。
僕が中高生の頃はフリマアプリは存在しないし、遠くのグッズショップに出向く手段も持ち合わせていない。なので、自転車で片道20分の距離にある中古ショップは重宝した。田舎の中高生オタクにとってオアシスだった。

 その店が先月末に潰れた。
 知人から閉店の噂を聞いた時は耳を疑った。都内のラーメン激戦区にオープンした新店が半年で店を畳むのとは訳が違う。それはそれで悲しいんだけども。
長きに渡り国道沿いで地元民を見守り、そして地元民に愛されてきた名店が潰れるのだ。これは一大ニュースである。

 確かに、店舗そのものは見るからに老朽化していたし(僕が中高生の頃からオンボロだった)、昨今の中古グッズ市場を鑑みても無理のない話だ。秋葉原からも中古グッズ店が次々と撤退し、その主戦場はフリマアプリやオークションサイトに移った。さも太客かのように大口を叩いている僕でさえ、最近は物見遊山と洒落込む程度で、実際に買い物をする機会はほとんど無かった。

 先日地元の友人と会った際、この新聞1面レベルの話題を取り上げてみた。僕が説明するまでもなく、もちろん彼もこの件については把握していた。
 聞くところによると、彼は母親とともに最終営業日に例の中古ショップへ買い物に行ったのだという。僕は最終営業日を知ってこそいたが、当日に店へ行くことはできなかった。他に予定があったとかではなく、心理的な問題。
 こういうのが苦手なのだ。有名店の最終営業日にファンが押し寄せて1つのイベントみたいになっている様子を、ニュースなんかでたまに見る。その時の「最終日だね、悲しいね、今までありがとうね、俺たちはこの店のことを忘れないぜ」という、まるで今生の別れかのような雰囲気を生で味わうと、胸がいっぱいになってしまう。最も辛い瞬間から目を背けたいのでしょうね。だから、僕はあえて最終日の2週間くらい前に店を訪れ、自分にとっての最終日として心に刻んだ。

 友人とその母親は、最終日にずいぶんと買い物をしたらしい。なんでも、店内に並んでいる古着がどれも90%オフなど大幅な値引きをされていて、数百円で購入できたのだとか。彼は得意気に言ってみせたが、僕はひどく心を抉られる思いであった。

 古着に同情した、とでも言うのが適当だろうか。
 古着とて、90%オフで叩き売りされるなんて本望ではなかろう。けれど、古着たちは最後の最後まで、どれだけ低価格になっても売り物であろうとした。商品としての尊厳はズタボロに切り刻まれ、まさに出血大サービス。
 鎧も剣も砕け散った戦士が、己のプライドだけを纏い丸腰で殴りかかってきているかのようだ。この場において同情するなど、かえって死よりも惨い辱めを与えることになるのだろう。ならばいっそ、友人のように潔く爆買いをしてやったほうが、古着たちの商品としてのプライドも保たれるというもの。

 しかし僕にはできない。できなかった。
 本来は桁が一つ違うような古着たちを、いったいどんな気持ちで買えばいいというのだ。
「可哀想だ」と、思ってしまう。買わずに立ち去る方が、よほど薄情なのに。相手を憐れみながら、自分が傷つくことを恐れている。

 これだけ熱く思いを語っただけに、実に虚しい。結局のところ、僕は店が営業している時はおろか、よもや最終日までも「客」ではなかったのである。

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