
パートのおばちゃんが最強かもしれない
漫画やアニメのキャラクターになりたかった小中学生の頃。憧れていたキャラクターの喋り方や仕草を真似するなど、自分の中にペルソナを宿らせていた。その時々でハマっているキャラクターは変わるし、先週までは埴之塚光邦だったものが、次の週には球磨川禊になっていたりする。いやしかし、具体的なキャラクター名を挙げると恥ずかしいな。
とは言っても、きっと周囲の人たちは僕のキャラ変には気づいていない。学校の友人たちだって、きっと僕と同じように憧れの存在の真似事をしていたはずだ。けれど「こいつ…昨日とはまるで別人…!」なんて思ったこと、僕は一度もない。周りへの関心など、その程度のものだ。
ところで、今の僕が憧れる存在といえばパートのおばちゃんだ。昔と違って架空のキャラクターを挙げない辺り、その切実さが見て取れますね。
これまで色々なバイトをしてきましたが、どのバイト先にも大体パートのおばちゃんがいた。当たり前のことですが、人間とは一人ひとり違う存在です。出自も性格も思想も千差万別。なのにどういう訳か、パートのおばちゃんは皆共通してエネルギッシュなのだ。あまりに元気、元気そのもの。元気の権化と言っていい。
きっと何かカラクリがあるはずだ。「鶏が先か、卵が先か」すなわち「パートのおばちゃんだから元気」なのか「元気だからパートのおばちゃん」なのか、一体どっちなのだろう。
偏見ですが、小売業やサービス業のパートタイマーという時点で、ある程度は家計にゆとりがあるのではないかと思う。稼ぎ頭の夫がおり、その傍らパートの稼ぎを家計の足しにしているのではないか。僕の出会ってきたパートのおばちゃんも、ほとんどがそのタイプであった。なんだ、単純なことだったんだ。安定した生活がある程度保証されているなら、そりゃあ元気なのも納得だ。
けれど、もちろん例外だってある。
大学生の頃、近所の24時間営業スーパーによく通っていた。そこで働く夜勤のおばちゃんがいて、初めは軽く挨拶をするくらいだったのが、次第に色々と言葉を交わすようになった。聞くに、そのおばちゃんはスーパーの夜勤を終えた後、自宅そばの倉庫で品出しのバイトをしているのだそう。Wワーカーだ。夫は失踪、娘は発狂して蒸発、ゆえにアパートで一人暮らしだという。言葉にするとなかなか凄絶ですが、これを笑い話のようにあっけらかんと言ってのけるのだ。
「あたしはバカだからね、あんたが勉強しているような事は分からないけど。大学生なんでしょ?未来があるんだから、頑張んなさいよ!」
塩を振った米ばかり食べているとは思えない、活気に満ちた激励を送ってくれたおばちゃん。ごめんね。今の僕は、そんなに頑張れていないかもしれない。
浅はかだった。「鶏が先か、卵が先か」なんて、まるで的が外れている。重要なのはそのメンタリティなのだ。加齢とともに男性ホルモンが増加し、少年のように屈託のない笑顔と肉体労働をこなせる精神性を持つ。大学へ行ったからといって、おばちゃんのような屈強なメンタルを学べるわけではない。どれだけ苦しくても、泣きたくても、ササラモサラにされようとも、笑い飛ばせるようにならなければ。僕がいま心に宿すべきは、やっぱりパートのおばちゃんなのです。
いいなと思ったら応援しよう!
