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1いいねの格差

SNS全般には「いいね」機能があり、ここnoteにもそれに該当する「スキ」がある。いつ何時もこのハートマークは偉大だ。そして、いいねをお知らせするベルマークも重要な役割を担っている。フォロワーが2桁の零細アカウントにとって、ベルマーク右上の1や2という数字がどれほどの温もりを持つことか。

ゾンビ臭のするSPAMや業者臭のする怪しげなアカウントを除き、基本的にいいねは誰から貰っても嬉しい。1いいねはいずれも等しく1いいねなのだ。しかし、数字の等しさはあくまで客観的に見た場合であって、私情が介入すると話は変わってくる。

投稿によって、このフォロワーからいいねが欲しい、あるいは、このフォロワーからいいねを貰いたくない、みたいな区別が自分の中にある。鍵垢でなければ、SNSは不特定多数に情報を発信する場だ。なのに、微かに宛先を狙いすまして投稿をすることもあるのだ。伝えたい事があれば相手に直接メッセージを送ればよいのですが、そこまで押し付けがましいことはしたくない。「あくまで何気なくTLに流した投稿よ、あなたにと〜どけっ♪」という気持ちで投稿ボタンをタップするのだ。わざわざ相手にメッセージを送ると、どうしても話を聞いてほしいかのような無駄な熱量を帯びてしまうし、相手に返信というタスクを課すことにもなる。いずれにしても少々重苦しいのだ。

逆に、このフォロワーには見て欲しくないなあ、と思うような投稿もある。例えば、Aさんと直接喋る機会があり、渾身のエピソードトークを披露したとしよう。その後、まったく同じ話をSNSに投稿しようと思った際、Aさんのことが頭にチラつく。Aさんには1度話した内容なのに、まるで初めて話すかのようなノリノリのテンションで投稿すると、Aさんに見られてしまった場合恥ずかしいな…などと考えるのである。Aさんとしても、一度聞いた話を「ねぇちょっと待ってwwwwwやばいんだけどwww」という調子で話している人を見るのは、いたたまれない気持ちになることだろう。

同じ1いいねであっても、狙い定めた相手から貰える1いいねには付加価値が付くし、見られたくない相手から貰ってしまった1いいねには負の付加価値がつく。

noteに日記を書いていると、自分の手応えに反してスキの数が少ないこともある。悲しい。それでも「この人から反応を貰えたからいっか」と、自分の中でスキの重みが強い人もいたりする。すみませんね、差別をしているようで。しかし、継続して読んでくれている人への感謝が積もり積もってゆくのは当然ですからね。いつも貴重な1スキをありがとうございます。

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