定期的に再燃するガロ系熱
カルト的な人気を誇るいわゆるガロ系漫画。大衆娯楽としての漫画とは一線を画す過激な作品や実験的な作品が多い。それゆえ雑誌としての売れ行きは芳しくなく、2002年頃に廃刊を余儀なくされる。それでも未だに根強いファンは一定数いるはずだ。
僕がガロ系の漫画に出会ったのは高校生の頃だ。うろ覚えだが、ネットで何かしらの漫画のレビューを見ていた時のこと。そのレビューには、文脈こそ覚えていないが「この漫画を読んで刺激が足りないとか言ってるような奴は駕籠真太郎でも読んでおけばいい」というような事が書かれていた。全く聞いたことのない作家名だった。僕はすぐにネットで駕籠真太郎について調べた。彼は月刊ガロで漫画を連載していたわけではないが、ガロ「系」の作家だ。画像検索に切り替えると、彼の描いた漫画の表紙がズラリと表示された。僕が今まで読んできた少年誌、青年誌の漫画とは明らかに様子が違う。異質だった。好奇心を抑えきれず、僕はすぐに書店へ駆け込んだが、店内で駕籠真太郎の名前は見当たらなかった。そもそも、ガロ系の漫画は一般的な書店には置かれていない。ヴィレッジヴァンガードなど、一風変わった書店に行く必要がある。しょうがないので、僕はAmazonで注文し、漫画が届くまで数日待つことになった。初めて読んだのは『輝け!大東亜共栄圏』だったと思う。タイトルがもう、捻くれた男子高校生にはブッ刺さるそれだ。ページを捲らずとも、これは親の前で読んではいけないものだと察していた僕は、家族が寝静まった夜にこっそりと読むことにした。僕は取り憑かれたように読んだが、読了後、ドッと疲れが押し寄せてきた。この後、別のガロ系の作家の漫画も読んでみよう!とはならず、僕は一度あのアバンギャルドな世界を頭の片隅に仕舞い込んだ。しかし、確実に僕の価値観に大きな影響を与えたし、そのくらい魅了されていた。だから僕は定期的にガロ系の漫画熱が再燃する。恐らく、多くの人がそうなのではないかと思う。ガロ系の作品は刺激が強く、継続的に読み続けるのはなかなか難しい。刺激が強いとはいっても、ただグロテスクな表現があるとか、描写がえげつないとか、それだけではない。それだけなら嫌悪感を抱いて2度と関わろうとはしないのだから。
僕から注意点をあげるとするならば、心が弱っている時には決して読むべきではない。本来、見なくていいというか、見るべきではないものがそこには描かれている。抽象的な表現で申し訳ないが、人間が本能的に見て見ぬふりをしたり、普通に社会生活を送っていると気付くことはない、でも確実に存在はする不気味な何か。哲学的ともいえる、どこか核心をついたようなエグ味がそこにはある。だから、心にゆとりがあって、少し刺激が足りない時のお供に、1冊だけ手に取ってみてはいかがだろうか。
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