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常識を疑えば真実が見えてくる

高校生の頃は制服があったんですけど、小山はみんなが同じ服を着るということに納得がいかず私服で登校し、校門でチェックをしている教師にその場で殴られたこともあるし、弁当を持たない日は、学校近くの飲食店に出かけて昼食を取っていました。

学校からしたら、規則を守らない生徒というイメージだったと思いますが、ルールばかり作って守らせようとする学校が間違っているのに、でもまだ昭和の頃は従うしかないという空気感だったので、非常に息苦しい思いをしたことを思い出します。

会社もそうですね。出社時間が決められていて、12時になるとみんな昼食を取り、決まった時間に仕事を終えるっておかしくないですか?
まぁ最近はフレックスタイム制が導入されたり、コロナが蔓延したことにより、出社義務がなくなったり在宅勤務がOKになったケースもありますが、それまではみんな一緒というのが当たり前で、そのことに疑問をもたないことが不思議でした。

レコード会社にいたある時に、機材搬入のため機材車で早朝にスタジオに行き、ビルの前でスタジオのスタッフが来るのを待っていたことがあるんですけど、ちょうど一般的な会社の出社時間だったので、駅の改札を出て仕事先に向かう会社員の人たちをボ〜ッと見ていたのですが、みんな辛そうな顔をしてセカセカと歩く姿は、まるで監獄に収容される犯罪者か、奴隷のような印象でした。

自分は仕事といっても遊んでいるような感覚だったし、好きなことしかやってこなかったので、なんでみんなこんなに辛そうにしてるのか、不思議でならなかったし、それが本当に異常な光景に見えたのです。

中学三年生の時に、全科目の点数がバランスよく取れないと進学できないという理不尽さに気づき、高校一年生の時に流行はメディアが作っていることを知り、その頃からこの世の中はおかしいと感じ始めましたが、その疑問は社会人になっても変わらず、ほとんどの人はそれが当たり前だと思っていて、疑問も抱かず学校の先生や会社の上司の言いなりになっている姿が滑稽でなりませんでした。

当時は自分が間違っているのか、または社会的不適合者なのかと思ったこともありましたけど、今思えばその感覚は全く間違ってないし、ずっとブレなかった自分を褒めてあげたいです 笑

政治家や芸能人など、世の中には有名な人がたくさんいますけど、ほとんどの人は今までの仕組みの中で地位を得て、ある意味ラッキーだったかもですが、これからは人間性が評価の基準となるので、ほとんどの人が失脚していくはずです。有名=人格者じゃないし、人の上に立つレベルじゃない人間が国政を預かっているのも変な話です。マジで狂ってるとしか思えません。

今までのものが終わるということは、今までの仕組みの中で地位を得た人も消えていくということだし、何もかも全てのものが根底から変わるということは、生やさしいことではないのです。私たち一人一人も覚悟しなくてはならないし、何のために生まれたのか、何をするために地球にやってきたのかを思い出さねばなりません。

常識なんて時代とともに変化していくものなので、自分ルールで生きていけばいいです。周りから変な人だと思われていいし、もう無理して周りに合わせる必要もないです。意図されて作られたこの狂った世界でどう生きていくかではなく、自分自身が創造する世界に変換してください。違う世界線にシフトするタイミングが今まさに来てるんですからね。


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