【小説】運動っていいな
僕は運動が嫌いだ。
わざわざ自ら進んで疲れることをする理由を見出せない。
社会人3年目を迎えた僕は会社から帰ると油物がおかずの8割を占めているお弁当とカップ麺をあっという間に食べきり、満足に達するにはまだすこしスペースを残している胃袋を埋めるためにポテチを片手にオンラインゲームを楽しんでいる。
もう予想はついたと思うが、、、僕は体が大きい。自分で言いたくはないんだが、もっと簡単な言葉に変換すると、デブだ。
だから僕は運動が嫌いだ。
小学校卒業時には体重は65キロあった。まぁクラスに一人いるデブってところだ。力持ちで、優しくて、みんなの人気者。この説明はあながち間違っていないだろう。運動会の綱引きは決まって一番後ろで体に綱を巻き付けて、岩のように地面に足をめり込ませて踏ん張る。あの時の僕は確かに輝いているかもしれない、でもそれも1試合目まで。2試合目からは完全に心だけが独走態勢。必死に綱を引いているつもりだが、トラックの外側から必死に応援するお母さんのビデオカメラには、尻もちをついて、舌を出し、まるで口から気力を悪魔に抜かれているような表情の僕が映り込み、1試合目の勇姿なんて完全に上書きされてしまっている。
そんなこんなで運動会が終われば次はマラソン大会が待ち受ける。マラソン大会と聞くと本番だけが苦しいように聞こえるが、実際には本番二週間前から「マラソン週間」という地獄の日々が始まる。この二週間だけは朝に食欲がなくなって、胸の奥がキュッと締め付けられるような嫌な緊張感を抱えながら、体操服で登校し、そのままグラウンドに集合。15分の長距離走が始まるんだ。少しでも楽しく走ってもらおうと先生たちはPOPな音楽をかけてくれる。
平井堅の「POP STAR」
今でも嫌いなのは言うまでもない。息苦しく、足を動かすことだけに体中の余力全てを注ぎ込み、普通に歩くほうが速いんじゃないかと思われるような限界状態の僕にはあの透き通るような軽やかな声は「お前も走ってみろよコノヤロー」と自然に怒りが込み上げてきたほどだった。
まぁこんな風に僕はとにかく運動が嫌いだった。ただ運動にはいつも困難や嫌な思い出が付きまとうこんな僕でも「運動っていいな」と思える瞬間がやってきた。それは小学6年生の春のことだった。僕の小学校では6年生の春に毎年クラス対抗キックベースボール大会が開かれるのだ。各クラス男女混合で3チームを作り、トーナメント戦を行って学年チャンピオンを決定する。決勝戦ともなると、6年生全てのクラスの友達が見守る中でプレーができるのでホームランでも打つものなら、学年のヒーローへの階段を何段も飛ばして頂点に立つことができる。そんな一瞬でヒーローになれるチャンスが目の前にあるのだから地元のサッカーチームに入っている友達の気合の入りようは一目瞭然だった。
僕のクラスの作戦としてはサッカー経験者や運動神経の良いメンバーを集めたいわゆるAチームを作り学年優勝を狙う。そして残りのメンバーがB、Cチームになるというものだった。今考えると運動ヒエラルキー丸出しのなかなか残酷な分け方だ。実際嫌な思いをしてしまった友達も何人かいただろう。ただ他のクラスもそういう分け方をすると知ってしまった以上は僕たちのクラスもそうするしかなかった。
チーム決めの際もちろん僕はCチームに入るつもりだった。Cチームのライトを守り、打順も最後、守備の間にボールが飛んでくることはなく、1度だけまわってきた打席ではちょこんとボールを蹴って3割くらいの力で一塁まで走る。チームも惨敗し、あっけなく僕のキックベースボール大会は終わる。そんな夢も希望もない未来予想図を描きながら、机に全体重を乗せてもたれかかり、盛り上がっているみんなを眺めていた。
するとある一言が僕の耳に入ってきた。
「ケンジは一発あるからAチームやな」
クラスのリーダー的存在でサッカーチームにも入っているマサルだった。うん?僕がAチーム?
「いやいやおかしいやろ!」とでも突っ込もうと思ったが、様子がおかしい。もう黒板にはAチームのところに僕の名前が書かれている。冗談じゃなさそうだ。とりあえず「僕サッカーしたことないし、、、」とサッカー漫画の主人公が一話目でいいそうなテンプレート的セリフを言ってみたが、よく考えればそれはクラスの全員が百も承知だ。それでも僕はAチームなのだ。
力持ちで、優しくて、みんなの人気者。
これがまさかの仇になってしまったようだ。半ばノリのような形でAチーム入りが決定してしまった。運動能力だけで言えば完全にBチームかCチームだった僕だが、人気者だったがゆえにキャラクターでAチーム入りを果たしてしまったのだ。「4番はケンジやな」マジなのか冗談なのかわからないような声が遠くから聞こえてきた。全体重を机に乗せていた僕の背筋は知らない間に伸びきっていた。
チーム決めが終わり、各チームでの作戦会議が始まった。僕はAチームなんだ。優勝しか見えていないチームの一員なんだ。そんなチームなら本番までにありあまる気合をぶつけるものがある。そうそれは、、、
練習。まさかの練習。
「今日から放課後はみんなで練習しようぜ!」チームで練習。。。練習?体育以外で運動?
帰宅、冷蔵庫見る、なんか食べて飲んでゲームといった、打席に立っているイチローにも引けを取らない揺らぐことのないルーティーンの上に成り立っていた僕の放課後人生が崩れる音が聞こえた。
大会まで2週間。早速チーム決めをした当日から練習が始まった。放課後練習するのはAチームのみ。B、Cチームの友達はいつも通りそそくさと帰ってしまい、僕は彼らの後姿を羨ましそうに見ながらグランドへと足を進めた。
するとグランドには他のクラスのAチームと思われる面々がすでに練習していた。案の定好きな教科は何ですか?の質問に対して問答無用で「体育です!」と答えるような、体育を授業ではなくご褒美と捉えているであろうメンバーが他のクラスでも集まっていた。
僕たちのクラスも早速練習を始めることにした。まずはキックの練習からだ。一人がキッカーボックスに入り、他のメンバーはそれぞれ守備位置についていく。僕は自ら進んで一番ボールが飛んでこないであろうライトの守備についた。その考えは吉とでたようで、メンバーに右利きが多いことと、そしてなんと言ってもわざと僕を狙うような意地悪がいなかったので守備は立っているだけでよかった。そしてついに僕の番が、、、
「ケンジ次キッカーやぞ!」
僕はライトから小走りでホームへと向かったが、ホームに着いた時点でもう息が上がっていた。この距離で息が上がってしまうのか、、、自分の体力のなさを改めて思い知り、頭が少しぼーっとした。
ピッチャーのマサルが転がしたボールは小さくバウンドをしながら僕の方に向かってくる。みんなが蹴ってきたようにすればいいだけだ、、、僕はボールに向かって小さく助走を始めた、、、あれ?、、、どっちの足から出すんだ???うん???あっ、、、
気づいた時にはボールは僕の前を通過していた。
想像していたよりもはるかに難しい、みんなのを見ながら「案外簡単そうだな」などと、僅かながらだが希望の光が宿っていた僕の右足は心なしかうつむいている気がする。これは僕が下手すぎるのか?いや、みんなが上手すぎるのか?そんなことを考えている間に2球目が来た。
2球目は何とかボールを蹴ることはできたが、僕のだけボーリングの玉なんじゃないかと思うくらいにピッチャーの前に力なく転がっていた。
そのボールを足で上手にひょいっと上に上げキャッチしたマサルは僕に「よし、個別のトレーニングやな、ピッチャー誰か変わってくれ!」と言い残し僕をグランドの隅へと連れて行った。そしてそこからマサルの僕への個人練習がスタートした。まずは置いているボールを蹴ることからスタートし、次に助走を入れて、そして転がっているボールを、といった順番で丁寧に教えてくれた。そんなこんなで僕の1日目の練習は幕を閉じた。もちろんすぐにホームランを打てるようなキック力を身に付けたわけではないが、最終的には転がってきたボールを内野の守備のところまでは飛ばせるようになった。1日目にしては上出来のような気がした。
それから毎日の練習は続き、4日目にはなんとヒットを打つことができたのだ。僕の蹴ったボールはピッチャーの横をすり抜け、ショートとセカンドの間を転がっていき、僕は1塁ベースを駆け抜けた。僕の右こぶしは自然と空へ掲げられていた。パワプロではたくさんあるホームランを打ってきた、ウイイレでもたくさんゴールを奪ってきた。でも今この一塁ベース上にいる、この瞬間の嬉しさはそんなものとは比べ物にならなかった。なにより嬉しかったのは周りのみんなも自分のことのように喜んでくれたことだった。初めてチームの一員になれた気がした。
喜んでくれた人はもう一人いたんだ。それは僕のお母さんだ。お母さんに初めに放課後に練習があることを伝えたときは、恐らく僕の顔には曇りしかなかったのだろう。ただ自分ではわからないけど、練習を繰り返すうちに僕の表情は明らかに変わっていっていたんだと思う。よっぽど嬉しかったのかパート帰りに僕たちが練習している運動場にお菓子を持ってきたこともあった。学校から帰ってきたら、ゲームばかりしていた僕が友達と一緒にグランドを駆けている。「運動をしなさい」などとは言ってこなかったお母さんだが、この光景はお母さんが長年待ち続けていたのかもしれない。キックベースボール大会までのこり5日となった日の夜、晩御飯の後にお母さんが僕にプレゼントを渡してくれた。今日は僕の誕生日ではないし、何だろうと思いながら袋の中を見るとそこにはアシックスの白の運動靴があった。とっても嬉しかったけど、お母さんの方がもっと嬉しそうな顔をしていた。
ついに明日がキックベースボール大会本番。僕も2週間の練習のかいもあり、3回に1回はヒットが出るようになったし、守備ではフライだったキャッチすることができた。もちろん僕以外のメンバーはばっちりで、こんな僕でもこれは本当に優勝できるんじゃないか?思ってしまうほどだった。そして僕は練習最後の打席に入った。キッカーボックスに入りふと足元を見ると、ついこの間新品だったアシックスの運動靴は、薄い茶色になっていた。靴ってこんなにも早く汚れるんだな、、、なんて思いながら僕は転がってきたボールに向かって助走を始めた。練習の集大成だ、ツーベースでも打ってみたいななど少し高望みしながら、僕は右足を大きく振り上げ力いっぱいボールを蹴った。
「ガンッ!!!」
鈍く低い音が僕の頭の中で響いたかと思うと、右足の指先に激痛が走り、思いっきり蹴ったつもりのボールはピッチャーの前をコロコロ力なく転がっていった。一瞬のことで何が何かわからず、とにかくボールは前に転がっているから一塁へ向かって走ろうとしたが、右足に体重を乗せたとたん鋭くとがった痛みと共に僕は地面へと倒れこんでしまった。どうやら僕は地面をフルパワーで蹴ってしまったようだ。周りに心配した友達が駆け寄ってきてくれたが、あまりの痛さに僕は何も言葉を発することができず、ただうずくまっていた。数分が経ちなんとか肩を借りてグランドの脇のベンチにまでたどり着いた僕だったが、依然として痛みが引くことはなく、心配する友達の声にも「だいじょうぶ、、、」と返事することがやっとであった。とにかくどう考えてももう一度ボールを蹴れるような状況ではないことは確かであり、僕は家に帰ることにした。今思えば学校の先生に助けを求め、車で送ってもらうこともできたが、そんな所まで頭を回す余裕はなかった。あまりに痛がる僕にみんなもどういう声をかけていいのかわからなかったようで、ただただ憐れむ視線に見送られながら僕は運動場を後にした。幸い学校から歩いて10分のところに家があった僕だったが、足を引きずりながら20分ほどかけやっとのことで家にたどり着き、恐る恐る靴を脱いだ、靴下の上からでもわかるほどに貼れていた親指は、靴下の下から現れたときには目を覆いたくなるような赤紫色に染まっていた。
お母さんがパートから帰ってくると、僕の親指を見て「これは折れてるなぁ」寂しそうにとつぶやき、そのまま僕を病院へと連れて行ってた。病院に向かう車中でも全く痛みが引かず、むしろ痛みが増していること、そして母親のテンションから見て骨が折れていることは確信へとなりつつあった。そしてそれが1日で治って、明日のキックベースボール大会に参加することは不可能であるということも受け入れなければいけない現実となって僕に押し寄せてきていた。
病院へ着き、診察をしてもらうと案の定全治1か月の骨折が告げられた。先生の話によると、今から大きなギプスをつけ、松葉づえをつかなければいけないらしい。ギプスをまいてもらっていると、一度は病院へ向かうの中で受け入れようとしていた、大会に出場できないことへの悔しさが僕の中で抗いだした。今すぐ手術をすれば治るのではないか、もし治らなくても左足ならキックできるんじゃないか、そんなことさえ考えている自分がいた。ただギプスをまいてもズキズキと痛み続けている親指に向き合うと、「やっぱりできないよなぁ」と弱気になってしまう自分もいた。でもどうしても諦めきれなかったので、診察を終えた僕は目にも見えないようなほんのわずかな期待を込めて「僕は明日キックベースボールできますか?」と先生に尋ねた。「それはさすがに無理やなぁ」先生は思いもよらない質問だったのかすこし笑っていた。帰りの車で母が僕にかけた言葉は「今日はおいしいもんたべよか。」それだけだった。
キックベースボール大会当日。右足にスリッパをはいて教室に入った僕にみんなは驚きの表情で寄ってきた。みんなの反応から見るに、昨日僕が歩いて帰っていったので、骨折までは考えていなかったようだった。他のクラスの中には、面白がっていじってくるくる友達もいたが、今まで運動をしてこなかった僕のこの奇跡のような2週間を間近で見ていたチームメイトやクラスのみんなは、いくら僕が明るく振舞っても、その奥に隠された悔しさ寂しさを感じ取っていたようで、朝からクラスの雰囲気は少し下がってしまったようだった。
その日の始めの会は、大会に向けた決起集会のようなものだった。出席を確認した先生がクラス全体に向けてのエールと、僕が骨折をしてしまったことを伝えた後、マサルが「みんなで円陣組もうぜ!」と提案した。もちろんその声に反対するものはいず、机と椅子を教室の後ろにもっていき、教室の中心にみんなで集まった。そしてみんなで円になった後マサルが「ケンジに声出してもらお!」と提案すると、みんなは特に驚いた様子もなく、笑顔で僕の方に視線を集めた。円陣なんてものを組んだのは僕は人生で初めてだった。言葉ではうまく表せられないが、世界が少しスローモーションになったような気がして、僕はこのままここからみんなの顔をずっと見ていたいと思いながら少し恥ずかしながら声を出した。
「がんばるぞー!!!」
僕のチームは順調に勝ちを重ねていっていた。僕はベンチの中でも1番キッカーボックスに近い位置に座っている。急遽当日に監督に任命されたのだ。監督と言っても声を出して応援し、頑張っているみんなを笑顔でベンチに迎え入れるくらいしかできない名ばかり監督だけどケガしても居場所があることが嬉しかった。みんなが楽しそうにグラウンドを駆け抜ける姿を見ると悔しかったし、僕もヒットを打って歓声を浴びてみたいなぁという思いが何度も込み上げてきたのは正直なところだったけど、得点をとった後にみんなとハイタッチをするたびに不思議とその悔しさは薄れていった。今までスポーツをしてこなかったからわからなかったけどハイタッチにはすごい力があるんだ。もちろんだけどハイタッチをしているときに怒った顔の人はいない。みんな笑っていたり、興奮していたり。なんだか体中のエネルギーが手のひらで重なり合い、そのエネルギーはそのまま僕の体内へと流れてくる感じがする。そんなハイタッチを重ねるうちに僕たちは決勝まで駒を進めた。
決勝戦の前でもう一度みんなで円陣を組むことになった。
「ケンジもっかい頼むわ。」
正直、僕はその言葉を待っていた。朝の会の時は正直驚いたが、今の僕は円陣の声掛けが僕の使命かのように思っていた、というよりも声を出したかった。みんなの活躍を見てきて、僕も何かしたかった。このハイタッチでたまったエネルギーをぶつけたかった。2週間僕だって頑張ったんだ、毎日放課後練習し、家に帰ってからも壁に向かってボールを蹴った日もあった、ダイエットとまではいかないけどポテトチップスの量も減らした。そして何よりみんなに感謝を伝えたかった。下手くそな僕にボールの蹴り方を教えてくれたみんなにに、ケガしても監督として僕をチームの一員のままにしていてくれたみんなに。あと忘れちゃいけない、今僕の左足にある茶色くなった靴を買ってくれたお母さんにも、、、。
僕は全ての思いを乗せて人生で一番の大きな声を出した。
「ぜったいかつぞーーーーーー!!!」
気合を入れなきゃいけないのに、僕の目からは大粒の涙がこぼれていた。悲しいわけじゃないのに、足が痛いわけじゃないのに、理由はわからなかったけど僕は声を出して泣いた。でも、みんなは笑っていた。その顔が優しくてまた涙があふれた。
僕は目を擦りながら整列に向かうみんなと反対方向のベンチへ足を進めた。ふと顔を上げると、観客の中にお母さんがいた。同じように泣いていた。
その顔を見て僕は思った。
運動っていいな。
僕は中学でサッカー部に入った。初心者だから試合にもなかなか出られなかったけど、スパイクは何足もボロボロにした。でも楽しかった。あの時赤紫に腫れあがった右足で何度もボールを蹴った。そして中学最後の試合でついにゴールを決めて、あの日と同じように僕はチームメイトとハイタッチをした。
なんてかっこよく締めくくりたいが、最初に言ったように今でも僕は運動が嫌いだ。実際あのキックベース以来運動をしていない。大会が終わって1か月たち、ギプスを外した僕にはあの日の感情は十分に残っていなかった。もちろん感動や運動っていいなという気持ちは残っていた、ただそれらは僕を運動の世界へ飛び込ませるほどの力は持っていなかった。帰宅、冷蔵庫見る、なんか食べて飲んでゲームという僕のルーティーンは僕を再び運動から遠ざけた。
最後の1枚のポテチを食べ終わった僕は、塩が付いて少しざらざらした指先を舐めて、ゲームを一時中断し、冷凍庫のアイスをとりに重い腰を上げた。
完