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オーストラリアに住むまでの7年間について

20歳のとき、私は夢に出会ってしまった。

バイトしかすることがない典型的な大学生だった私は、時間を潰すため喫茶店で過ごしていた。
そこで、入学当初仲が良かった同級生と数年ぶりにばったり鉢合わせた。
正確に言えば、同級生とその友達である留学生と、である。

話を聞くと彼女は留学していたようで(私がぐうたら大学生活を過ごしていた間に)、初めて自分の身近な人が英語を使いこなしている姿を見てめちゃくちゃカッコいいと思った。
それまで英語を喋る人というのは自分にとって、なんだか遠い世界の人という感覚があり、特別な体験が出来る人は超絶恵まれてるに違いない、と自分で勝手に線引きをしてしまっていた。
しかし、案外そんな「線」なんてなく、やろうと思えば私にも出来るのかもしれない。
この出来事をきっかけに、人に影響されやすい性格の私は「外国に住むという未知の体験」に漠然と憧れを持つようになる。

それから目を覚ましたように留学について調べ始めるが、費用の問題や、就職時期をずらさなければならないなど、当たり前であるが留学のハードルが高く、何よりそれらのハードルを乗り越える勇気もない。
普通に大学を卒業して、何となく企業に勤めるという目には見えない「何か大きなもの」が自分の頭上にどんよりと重く覆いかぶさっていた。
外国に住むという特別な経験はやはり、「向こう側」の人間がすることなんだな、と。

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結局留学は諦めたものの長期休みを利用し、友達と海外旅行に行くようになった。
ほとんど話したがなかった英語も、ボディランゲージに頼りながら少しずつ話せるようになった。
どれもが新鮮で楽しかったが、あくまでも旅は流動的な行為であり、"お客さん"としての経験を超えられない。

外国に住むってどんな感じなんだろう。
自分とは違う見た目の人と会話をし、市場で見慣れない食材を買い、信号のない大きな道を歩く。
そんな自分の当たり前ではない、誰かの当たり前を体験してみたい。
いつしか、外国に住むことが自分の夢になっていた。

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大学を卒業すると一人旅をするようになり、台湾で宿泊したゲストハウスで台湾人とオーストリア人のグループと仲良くなった。
彼らはタイへヨガ留学をしていた際に出会い、オーストラリア人の少女が台湾まで遊びに来たとのこと。
留学して出会った友達とまた別の地で再開するなんて日本人の感覚からすると、特別な経験のように思えたが、ヨーロッパでは長期間旅に出ることは普通だそう。
休みの合間を縫って1泊3日(1泊は機内)という超弾丸スケジュールで台湾に来ていた私には、彼らがとても遠く眩しく見えた。

なぜ彼らには外国に住む体験が簡単にできて、私にはできないんだろう。
お金や環境を言い訳に、夢を諦めては、ダメだ。

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それから1年後、勤めていた会社を辞め「日本語パートナーズ」という東南アジアで子供たちに日本語を教えるプログラムを受験し合格。
働きながら、タイに1年間弱滞在する機会を得ることができた。
社会人3年目、ようやく外国に住むという夢が叶う。
しかしコロナウイルスが流行し、日本語パートナーズの派遣が中止になってしまった。

いつ収束するか分からないコロナウイルスに時間を奪われる日々。
夢を叶えたいなんて甘っちょろいことを言っている間に、人生を前に進めている友人を見ると歯がゆく、自分だけ泥水の中で足を引きずりながら歩いている感じがした。

家から出ない日々が日常になると、あんなに切実に願っていた外国に住むという夢が、ウソみたいに冷めていく。
これまで自分を支えてきた夢がゆっくりと腐敗していき、自分が変わっていってしまうことが怖かった。
もう無理やり夢を叶えなくても、地に足をつけて夢というしがらみから逃げてしまってもいいのかもしれない。

それでも学生時代から7年、海外に住むことだけを考えてきた。
夢を見てきた時間を、過去の自分の想いを無駄にしてはいけない。

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2022年9月、ようやく私は夢を叶える。
場所はオーストラリア。

海外に住んでみたからといって、自分が変わるとは思っていない。
行ってみて「大したことなかったな」と思うかもしれない。
それでも7年もかけて、知らない土地の風景の一部になっている自分はちょっとカッコいいかもしれない。と思っている。

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