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「家に住む」ということ

家に住む上で大切なのは「気づくこと」なんだ、ということに気づけたのは、久しぶりに富山で暮らすようになったのと、結婚したのと、シェアハウスを始めたからだと思う。

昨年富山暮らしを再開し、今年入籍して別居婚を始めた。それと同時に、東京で友人とシェアハウスも始めた。
イマドキの言葉でいうと「多拠点居住」とか「3拠点生活」とかいう表現になるので、自己紹介の時はそれを使っている。

どれも自分の家でありながら、どれも自分の家ではない感覚が非常に面白い。今は3分の1ずつ富山(祖母宅)と金沢(旦那宅)と東京(シェアハウス)で暮らしている。

富山の祖父母には「居候」と呼ばれている。
「何だかんだ言って孫と暮らせるの嬉しいでしょ」なんて言い訳しながら、富山にいる間は完全におんぶに抱っこ状態だ。ごはんは全部ばあちゃんに作ってもらっている。
それで時々、ゴミ捨てに行ったり掃除をしたり、余ったご飯をラップに包んで冷凍したりしては「〇〇しといたよ」とばあちゃんに報告してありがとうを強要している。
時々「ご飯作るの面倒臭い」という祖母に、私は「頭の体操だと思って頑張りなよ」と声をかける。

金沢の旦那には「自由人」と呼ばれている。
時々金沢に来たと思ったら、「家が汚い」だの「洗濯物溜めすぎ」だの文句を言って、イライラしながら家事をして、「ねえ、トイレ掃除したの気づいた?」とありがとうを強要する妻を彼がどう思っているかは知らない。
「気づかなくてごめんね。ありがとう」
それで満足した私は、「それじゃあ、また暇なときに金沢来るね〜」と言って金沢を去る。

シェアハウスのメンバーには「たまに来る人」と呼ばれている。
シェアハウスをする前、メンバー2人に確認したのが「家事分担」しなくていいのか、ということ。
たまにしかいない私と、常に住んでいる2人。お互いの家事担当を決めた方が、イライラが少なくなるのではと思ったのだった。
でも、2人の答えは「まあ、何とかなるっしょ」

思いの外、何とかなっている。
お風呂もキッチンのシンクも綺麗なままだし、切れた調味料がいつの間にか補充されている。
私も、みんなが仕事に行った後にしれっと部屋に掃除機をかけたり、ゴミ捨てしたり、洗濯回したりしてから出かける。

すると必ず「ふーみん、ゴミ捨ても掃除機もありがとう!」と言われるのだ。場合によっては、わざわざラインしてくることもある。シェアハウスでは「ありがとう」の強要はしていないのに、だ。
こっそりやったのにバレて照れ臭いと思いつつ、気づいてくれてめちゃくちゃ嬉しい。

他人と住んでいるから、変化に気づきやすいのかもしれない。
私のシェアハウス仲間が、他の人より思いやりに溢れているからかもしれない。

理由は何でもいいけれど、変化に気づけることが、同じ「家」に住む人たちを幸せにするんじゃないだろうか。

ばあちゃんの家事が当たり前になりすぎて、今日のご飯はちょっと味が濃いだの、頭の体操になるからご飯作りは毎日やろうだの声をかけている私。たまには休みなよって言ったことないな…

そういえば、ベッドのマットレスが柔らかすぎると言ったら高反発マットレスを注文してくれていた旦那。「ありがとう」って言い忘れたな…
たまに「〇〇したよ、ありがとうは?」って強要してくれてもいいのに。

家にいる時くらい、そんな気を張らずにくつろぎたいという人もいるでしょう。私もそう思います。一人暮らしなら思いっきりそれでいい。
でも誰かと家で暮らすとき、そのくつろげる空間を作っている誰かのちょっとした気遣いに気づけた方が、お互いに幸せな気がする。
それが血の繋がった家族でも、新しくできた家族でも、他人でも。

1年先、3拠点生活を続けているかもしれないし、どこかに1つの居を構えているかもしれない。
どうなっているかはわからないけれど、一つ屋根の下に一緒に住む人たちの気遣いに気づける人になっていたい。

すてっぴぃ@「ありがとう」の強要をし合える仲というのも、それはそれでいいけれど。






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中﨑史菜
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