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居場所探し

自分の家が落ち着かなくて
肌身離さず、刃物を持っている次女。
家以外の居場所を探さねばと必死な私。

いつも子育てなどの悩みがある時
私は教育相談室の先生に話を
聞いてもらっていた。
その時の私はまだ、最終目標が
学校へ復学する。でした。
室長に相談をし、居場所探しは
次女や長女にとって、とてもいいことだと
思います。
ここからは長女の事も入ってきます。

今の娘さん2人の状況から言えば
長女は軽度の知的障がいがあります。
次女は精神疾患を患っていて、尚且
自閉スペクトラム傾向にある。
と、すれば、まず1つ目は学校の
特別支援級に在籍する手もある。
そこで娘たちのペースで過ごさせてもらう。
1日学校に居ろとは言いません。
自分の好きな時間に登校して
好きな時間に帰る。

長女は中2の4月から特別支援学級に
在籍することになりました。
次女も支援級に在籍させたいが
実績(お試し期間)がないので
市の教育委員会から保留との
結果を貰いました。

娘たちの学校にある特別支援学級は
1日居られる学級ではなく
国、数、英の授業時間だけ、支援学級に
来て自分たちのペースで勉強して
他は自教室で過ごさないといけないのです。
室長は1日居られないんじゃ、娘さんたちは
辛いですよね...

2つ目は、市立と県立の特別支援学校へ
転入できないか?
相談してみるのもいいかも知れません。
知的障がいの子や情緒的の子供たちが
その子たちのペースに合わせて学習しています。

そして次女に関しては
精神状態がこれ以上、悪化(幻聴などあるので)
すれば、入院しなければいけなくなる
可能性も出てきます。
そうなると、同じ県内ですが、かなり
遠くになるが、病院の中に学校があり
次女と似たような子たちが入院しながら
学校に通い勉強を学ぶ所があります。
親子離れて暮らすことになります。

当時、小6だった娘と離れることは
できるだろうか?と不安。

病院の事は最終手段と考え
それ以外で動いてみようと行動に
移しました。

長女と一緒に市立の特別支援学校へ
相談と見学をさせてもらいました。
支援学校の教頭先生も親身になって
話を聞いてくれ、各教室の案内を
してくれました。
案内をしてもらってる時に
生徒たちとすれ違ったり、授業している
風景を見させて頂きました。

授業内容にしては、
長女に関してはこちらの学校の方が
適してるのかな?と思いました。

一通り見学をし、面談室へ戻り
どうでしたか?と教頭先生に聞かれました。
学習面に関しては、こちらで学んだ方が
娘たち、特に長女には適してるのかな?と...
同年齢の子たちができる事が、長女には
できない事の方が多くて生き辛さを
持っているので。
ただ、娘2人がこちらに来たら
上手く言葉で表せませんが、浮いて
しまうのかな?とも感じました。

すると教頭先生は
結論から申し上げると
この学校では、軽度の知的障がい児の
受け入れがないこと。
見て分かるように、この学校は四肢体不自由の
子供や中、重度の知的障がい児の
子供たちばかりなんです。
強いて言うならば、今日お目にかかって
ないですが、次女さんの方が適してるのかな?と
思います。
何の力にもなれずに申し訳ありません。
可能なら、今通われてる中学校の
特別支援級で、このようにして欲しいと
要望を出してみてはいかがでしょうか?と
アドバイスを下さいました。

帰る時に、隣に県立特別支援学校があり
私はダメ元で電話で聞くことに
結果、市立特別支援学校の教頭先生と
同じ答えが返ってきました。
会話の最後に、県立の教頭先生から
この学校を何で知ったのですか?と
聞かれたので、ネットで検索したり
教育相談室の室長の助言があった事を
伝えた。

教頭先生は、失礼ですが
教育相談室の室長さんは今どなたが
されてるのか?と聞いてきたので
『〇〇先生です。』
教頭先生は、ひょっとして〇〇〇〇先生ですか?』と、聞いてきたので
『そうです』と答えました。

そうなんですか‼
〇〇室長は私の尊敬する先生で
お世話になったんです‼
そうでしたか...
私の方からも〇〇室長へ連絡させて
頂きます。
そこで電話を切りました。

〇〇室長は元、今長女が受験しようと
している、特別支援高校の元校長先生
だったのです。
意外でした。
でも少し希望が開けた気がしました。

結局、居場所探しは振り出しに
戻りました。
今の私にはこれ以上出来ることがない
結局は学校に戻るしかないのか...と
落胆しました。

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