「みたいになりたい」

「ちゃんと見てきたほう」ではないという自負があるので伏字にしますね。

12月31日のコンサートを見て

「○○みたいになりたい」と後輩タレントが言うし、そう言うことをオタクも求めちゃうみたいな近年の傾向にやや違和感を抱いていたので、そういうものはもうできないですって言いきったとあるメンバーの挨拶は上手い表現だな~と思いながら聴いていた。

「○○みたいなグループが好きです」と言った時と、「○○みたいになりたいです」と言った時のニュアンスって全く違うよね。不用意に「○○とはこういう存在です」と定義づけつつそこに自分を近づけようとするのって、相手(のファン)に対しても自分(のファン)に対しても失礼さがちょっとある。定義だけなら理解する時にみんなやるものだから良いとしても、自分を近づけようとすることによって定義がはっきり固定されるから。曲げて美化することも失礼なことだ、と思ってる部分はある。

だから、自担がインタビューで目標にしてるグループを聞かれたときに「もちろん○○です!アイドルの王道を歩まれているし…」って言ってた時は若干ああ…ってなった。あんなに短くスパッという人ではないのでライターが諸事情で短めに書いたんだろうなーと思い込んで鎮めましたが。

自担の話

この論理があって、「自担に憧れています」ってあんまり言いたくない。自担は好きだけど、ああなりたい訳ではない。正確に言うと、ああなりたいという表現を使って自担のイメージを固定したくない。気に食わない部分も絶対あるはずなのに、それを無視して美しい部分だけを語ろうとする方法は、少なくとも長続きはしないと思う。(長続きさせようという考え方がおかしいとか言わない!)見たいものだけ見るのは別に良いと思うけど、見たくない部分は存在しないかのように振舞うのはいかん。

「○○ってすごいね!」のむずかしさ

○○って、本人たちも言及してるように結局アイドルグループとして見たら“そういう側”ではないはずなのに、売れたが故に、国民的スターとしての役割、事務所のトップとしての役割、事務所の王道としての役割、社長に近しかったグループの代表としての役割をやり切ったことがすごいなと思うよ。「自分」が出てこないというか。社長のお別れの会で弔辞を読んだ“長男”みたいな感じで、イメージに沿ったことを完遂したというか。それこそ初期からのファンが10周年以降の○○の姿を見たときに、どう思っていたかは気になるよね。

なんか「国民的」とか「トップ」とか「王道」とかそういうイメージを創りあげちゃうのって残酷だなと思うあまり、そういうコンテクストで語られる時の○○に対してはあんまり好きじゃないと思ってしまう部分もあって、難しい。アイドルグループとしての○○は好きだけれども。こういうことを考えたくないので、自担には紅白で大トリはやってほしいけど売れすぎてもそれは…とは思っている。よくないオタクだよね。

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