救済ソングの布教

Lil miracleの歌詞「毒林檎なんていらないよ」は流し読みすると「それで苦しまなくても君には気づけるよ」って白雪姫に伝える話に見える。

だけど、「鏡に聞くまでもないんじゃない?」と合わせて読むと、白雪姫と自らの美しさを比べざるを得ない環境に身を置いて苦しんでる魔女を救おうとしている話になるので、自分はこれを救済の曲と呼んでいる。

鏡でいうと「輝いたのは鏡でも太陽でもなくて」が思い出されるけど、ここでいう鏡は主人公(歌詞中の「僕」)を映しているもので、そこではあくまで「自分より相手が大事になる」恋愛のプロセスを描いている。

一方でLil miracleはヒロインが美しさを確かめる道具たる鏡すらいらないぐらい美しいよって言ってて、相手の自己肯定感を徹底的にアップする恋愛の型を描いている。ここでの鏡というのは「他のヒロインになり得る存在とヒロイン本人とを比較する」「ヒロインがそれを気にしないで生きていく選択をしづらい」という意味では(特に男性優位の)“世間”の隠喩ともいえるわけで、こういった部分にシンデレラガール(「門限」は家父長制の暗喩ともとれる)とかGlad to see you(「いま君が夢に見てる将来のその隣で」)と同じ流れを見ることができる。「いつも僕は君だけの王子様」という歌詞は、世間が突きつけてくる交換可能性を否定する意味でこの曲のもつメッセージをより強くする。

ダイヤモンドスマイルの「嫌いな自分 好きな自分 素直に言えたらいいね」も近い。こういう救済ソングになってくると、もう彼らが「愛を与える者」としての王子様、というかもはや神的なものに見えてくるし、享受する側の属性とかも関係なくなってくるので、いずれ堂本剛的な(半ば主客一体の発想に基づいた)博愛主義と合流して、強靭な「王道」になる未来に期待したり。

従来のジャニーズってイメージ程「ど真ん中王子様」のグループってなかったんだけど、あえて男性アイドルのイメージに含意される王子様性を過剰に引き受けることでカバー範囲が広がって「2020年代」のステージに進めている感じがする。

ただ王子様!王子様!ってのを押し出してくるんじゃなくて「もしもボクに魔法が使えたなら」とか「白馬なんて乗れないけど」とか年齢相応の不完全さを歌詞に入れてくるから本人たちから乖離しているということもなく、そのあたりが上手い。

「京成王子」もそう、というか彼自身がその文脈の先駆者。ジャニーズの「過剰さ」を受け入れるだけの土台を創りあげた功績は相当デカい。


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