たしかなこと

深夜に小田和正の『たしかなこと』を聴く。何気なくテレビCMの中で耳にしている楽曲だが、改めて聴き直してみるとその深さに驚かされる。

雨上がりの空を見ていた 通り過ぎてゆく人の中で
哀しみは絶えないから 小さな幸せに 気づかないんだろ
時を越えて君を愛せるか ほんとうに君を守れるか
空を見て考えてた 君のために 今何ができるか

この曲を流しながら、ふとiPhoneのホーム画面に目を移す。

『エターナル・プロデューサー』の肩書きを得る代わりにこの世を去ったジャニーの名前と、自担の写真とを交互に眺めていると、自担がジャニーの忘れ形見のように思えてくる。

そんな自担のことを、〈時を超えて〉想い続けられるか。不安になることがある。

いちばん大切なことは 特別なことではなく
ありふれた日々の中で 君を
今の気持ちのまゝで 見つめていること
忘れないでいたいのは
何気ない瞬間に笑った君を
ずっと僕が見てること
何もしなくていいんだ いつも君の隣で
何年も 何十年も
優しい気持ちのまま見つめているよ

『むくのはね』作詞:玉置浩二

14歳のときに彼を応援し始めてから、5年が経つ。ジャニーがずっと舞台で訴えていた「幼い頃の想いを決して忘れずに大人になる」こと。成人になるのを目前に控え、自分はそれを実践できるだろうか……?そう考えるときに、僕にとってその「想い」の一つとは自担への想いなのではないかと感じる。「彼があと何年舞台に立ってくれるか」よりも「自分の中であと何年この気持ちが自分の中で続いていくか」それが問題だ。

あまりに愛が大きすぎると
失うことを思ってしまうの
自分がもどかしい
今だけを見て生きていればいいのにね

『愛のかたまり』作詞:堂本剛

この気持ちが一体なんなのか、分からない。これは紛れもない愛なんだと言い切ってしまえばむしろ楽なのかもしれない。でも、自分が抱いている自分だけの気持ちに外側の言葉でいちいち決着をつけようとは思えない。はっきりしないけど大切にしたい気持ちが自分の中にある、それがすべてだと思う。

それでも、あえて愛だと言わなくてはいけない場面があることもまた知っている。伝えられるうちにそうやってちゃんと伝えなくてはならないからだ。ジャニーに感謝の手紙を送ろうとして、結局送れないままジャニーは亡くなってしまった。この経験が今もなお悲しみを引きずる大きな原因になっている。

君にまだ 言葉にして 伝えてないことがあるんだ
それは ずっと出会った日から 君を愛しているということ

『シンデレラガール』には想いは永遠ではないがその壁は強い意志で超えられるというテーマがあったが、そうはいってもやはりよく分からないこの感情がよく分からないうちに消えてしまうのではないかという恐怖がある。

だれもがみんな嘆いてる
"恋の魔法には期限がある"
"時がたてば 宝石もガラス玉さ"
もしもそんな日が来たって
キミは朝の光にかざして
それを 耳元に飾るだろう
ボクはまたキミに恋するんだろう

『シンデレラガール』作詞:河田総一郎
あなたも わたしも 変わってしまうでしょう
時には諍い 傷つけ合うでしょう
見失うそのたびに恋をして
確かめ合いたい

『カナリヤ』作詞:米津玄師

こうした自分の想いの永遠性への不安と共に、果たして自分の人生には、この先彼を超えるほどの想いを抱ける人間が現れるのだろうかと途方に暮れることがある。

自分が大切にしたいのは、日々の生活にささやかな暖かみを添えてくれる人。派手なことはなくていい。むしろない方がいい。ちょっと幸せだと思える瞬間があればいい。本当なら、自分がどんな状態になったとしても肯定してくれる人もいい。でも、現代の日本では、まだそういう役割を恋愛相手のものとみなす風潮が色濃い。相手を必要とする以上、自分の中でその風潮が打破できても、自分以外に広まっていなければ意味がない。

恋愛による関係というのは、結婚等の制度やプロポーズ等の慣習を中心にどう足掻いてもその影響から逃れることができない「型」がはっきりしておりシステマティックすぎて、むしろ冷たさを感じてしまう。大切な関係性をそんなものに押し込めたくない。恋愛に還元されないけど大切な想いを抱ける人こそが理想だ。

相手は相手の中にある特別な気持ちで自分を想い、自分は自分の中にある特別な気持ちで相手を想う。それぞれの気持ちは同じ種類に括れるものではないが、なぜか特別で、ちゃんと想い合ってる、そんな姿に憧れる。しかし、まだそういう相手と共に生きるのはハードルが高い世の中だ。だから探す気も起きてこない。

運命論とか信じてないけど
モノクロだったこの人生に君が
好き勝手 足した色が好きだ
きっとこれを薔薇色と呼んだりする
そうなんだよ 映画のようなシーンは
一つもないけど何故か特別で
何気ない日々に花を飾る
そっと君が気づかないくらいが
ちょうどいい

『運命論』作詞:KOUDAI IWATSUBO
あたしは君のメロディーや
その哲学や言葉、全てを守り通します。
君が其処に生きているという
真実だけで 幸福なのです。

『幸福論』作詞:椎名林檎

そういう不可思議な感情の種類をはっきり特定せず、あくまで「推す」という行為だけを指して感情表現に換えるのがちょうど良い。恋人とか兄弟とか友人とか、そういう特定の何かに準えられるようなものではなく、でも裏返せばそれら全ての「大切な人」を網羅した存在がアイドルだ。アイドルはファンの皆に対して向き合っているだけで、気持ちは一方的なものだが、それがむしろ重荷にならず、ただ単に日常が華やかになるという点で理想的で、これを超える関係性は無いのだ。

彼にはどうか幸せであってほしいと、ただひたすらに願っている。どんなことが起きても、どうか君だけは救わろ……と。

君は空を見てるか 風の音を聞いてるか
もう二度とこゝへは戻れない
でもそれを哀しいと 決して思わないで

『たしかなこと』を聴くときは、このように大抵一人称を自分に重ねてしまうのだが、部分的に二人称の方を自分に重ねてしまうことがある。

忘れないで どんな時も きっとそばにいるから
そのために僕らは この場所で
同じ風に吹かれて 同じ時を生きてるんだ
自分のこと大切にして 誰かのこと そっと想うみたいに
切ないとき ひとりでいないで 遠く 遠く離れていかないで
疑うより信じていたい たとえ心の傷は消えなくても
なくしたもの探しにいこう いつか いつの日か見つかるはず

〈自分のこと大切にして〉〈切ないとき ひとりでいないで〉〈なくしたもの探しにいこう〉、すべて呼びかけのように聴こえるのだ。

彼は彼自身を大切にすることを忘れない人だ。公私を厳格に分けて、しっかり自分のための時間を設ける。心が折れそうな時は、ボロボロに折れる前に自分から折って立て直すことを考える。それに、彼は決してファンを手放さない。ラジオやその他のインタビューを通じて、どんな境遇にいる人も必ず拾い上げる。いなかったことにしないし、必ず一緒に歩いて行こうとする。

だから、これらの言葉は、アイドルとしての彼が、アイドル活動を通じて自分に伝えてくれている価値観そのものなのだ。

◇ ◇ ◇ ◇

『たしかなこと』を聴いて、湧き上がってくる気持ちのままに記事を書いていたら深夜2時半になってしまった。深夜テンションで書き殴った文章は大抵翌朝に撤回したくなるが、深夜の気持ちもそれなりに「ほんとう」だと思うので残しておきたい。

あなたの生きる時代が
迷いと煩悩に満ちていても
晴れ渡る夜空の光が震えるほど
眩しいのはあなた

『あなた』作詞:宇多田ヒカル

確かなものなんて無いと突きつけられながら生きるコロナ禍は、正直息苦しい。ジャニーの不在を実感してはすぐ涙を流す自分の脆さも辛い。でも、彼がいる限りはきっと大丈夫。

探しても 探しても 見つからないけれど
確かなことは きっとどこかにあるよね
やるせない想いは 君の笑顔に消えた
街は今 たそがれて僕らを包んだ
いつか 夢の近くまで行けるのかな
でもそれはまだ ずっと先のことみたいだ
初めて君を 見つけたあの日
突き抜ける青い空が ただ続いていた

『僕らの街で』作詞:小田和正

確かじゃないことを確かだと信じられる、そうして明日を生きようと思える、それは君のおかげだ。自分の名前すら分からなくなったとしても、君を初めて知った日のことを忘れることはない。心の底からそう思う。

ねぇあなたも本当は そんなに強く
ない事を 僕は知ってます
僕がしてあげられる 事なんてなにも
ないけれどその心いつも 抱きしめてます

『beloved』作詞:浜崎あゆみ
望みは何かと訊かれたら
君がこの星に居てくれることだ
力は何かと訊かれたら
君を想えば立ち直れることだ

朝陽の昇らぬ日は来ても
君の声を疑う日はないだろう
誓いは嵐にちぎれても
君の声を忘れる日はないだろう

『荒野より』作詞:中島みゆき

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