「内側へ向かう」という打開策
ENDRECHERI(堂本剛ソロプロジェクト)の新アルバムに収録され、デジタル配信もされている楽曲『GO TO FUNK』を聴いて思ったことを書き留めたい。
歌詞の引用は山括弧〈〉を使う。作詞者を明記していない歌詞はすべて作詞:堂本剛である。
アルバム名にも使われている“GO TO”という文言は、この1年半で大きくイメージが変わってしまった言葉の一つだ。「Go Toトラベル」が感染拡大の一因を占め、年末になってようやく中断されたことは記憶に新しい。
良き想い出も なんかほんと悲しい色やね…
って言ってるだけじゃ 人を失っていくから 人へと旅立とう
しかし、ENDRECHERIはここで、そうした旅行とは対照的な、人への旅を歌う。〈人を失っていく〉というのは、人間を人間たらしめているコミュニケーションが今まで通りにはいかなくなり、また文化芸術の「不要不急」扱いのように人間が人間らしく尊厳をもって生きることが軽視される中では、皆心当たりのある言葉であろう。この文脈で提案される〈人へと旅立とう〉というのは、自分の外側に向かうのではなく自分の内側にある心へ向かう旅のことを指すのではないだろうか。
ENDRECHERIは一貫して、人の魂の鼓動(心音に近い概念)を音楽として位置づけている。たとえば2018年にソロで出演した『SONGS』では、このような発言があった。
「今すぐ立ち上がれ」とか「生きてる人々すべてがスターなんだよ」とか、なんかそういうメッセージが多いものにたまたま最初触れたんですよね。そういう躍動感、人が生きているっていうことが鳴っているものをなんか聞きたかったんだなぁっていう。それからFUNK好きになっていったんですよね。
ENDRECHERIの音楽の軸であるファンクはそもそもブラックミュージックの一種であり、ベトナム戦争時の反戦運動や黒人差別への反対運動とも連動してきた歴史をもつ。そしてそれがENDRECHERIの思想とうまく重なることで、これまで良質な作品が生まれてきた。
人の生が鳴るものをFUNKとして捉える意味では、『GO TO FUNK』というタイトルも〈人へと旅立とう〉同様に音楽のある場所、つまり自分の内側へ向かう旅のことを示しているように思える。
部屋も街も笑顔も全て 恋心みたくね 急に変わってしまったが
ウダウダラダラ 落ち込んでてもさ しゃーなしだし 我に帰ろう
「こういう時でも希望を絶やさない」などといったクリシェに帰着させるのではなく、〈我に帰ろう〉という言葉をあえてプラスの意味で使っているのがこの部分の上手いところ。
あの頃なボクらを迎えに行こう GO TO FUNK!
これだけではなくサビでは「コロナ」という言葉のイメージも反転させており、これが非常に鮮やか。サビの〈あの頃な〉は、つまりコロナ禍以前のことであり、それを「コロナ」というコロナ禍そのものを指しているように聞こえる響きを使って表現するのが、言葉とそれに付随するイメージを自由に操れるという作詞の強みを端的に表しているといえよう。
あくまで私見だが、こういった言語感覚はジャニー喜多川の影響が大きいのではないかと思う。ジャニーは、主にグループの命名において「少年」「嵐」「Sexy」などの一般的な言葉を積極的に、しかも従来の解釈とは逆のイメージを併せ持った形で使ってきた。成年に達していない未熟さというイメージを持ちがちな「少年」という言葉を何者にでもなれるアイドル性の象徴として使い、台風や竜巻などマイナスの気象現象の総称として用いられがちな「嵐」という言葉を世界中に新しいエンタメの風を吹かせる意味で使い、蠱惑的なイメージを持ちがちな「Sexy」という言葉を魅力的であることやプロフェッショナル性の含有を表す言葉として使ったのである。また、意図していたかはどうか今となっては分からないが、「光GENJI」や晩年の「なにわ男子」「美 少年」などの命名では、「光源氏」「男子」「美少年」という言葉のイメージを自分が選んだ特定のメンバーの姿かたちで固定しようとしていたのではないかと思う。イメージと言葉を自由自在に操るこのような行為は日系2世であるところのジャニー独特のものがあり、その近くで手腕を見ていたENDRECHERIがこれをエンタメで言葉を扱ううえでの基本として身につけていてもなんらおかしくはない。余談にはなるが、スターダストプロモーションの若手「原因は自分にある。」は、当初「BATTLE STREET」として活動していたものの、途中でこの異彩を放つグループ名に変更された経緯があり、また「原因」という言葉をよりよいイメージに変えていくことをグループの目標として設定しているため、命名手法という点では極めてジャニー的であるといえるだろう。
話を戻すが、この〈あの頃な〉をENDRECHERI個人の考え方で解釈すると、パニック障害の経験を反映した『Panic Disorder』や、突発性難聴の経験を反映した『突発LOVE』(後にKinKi Kids『Topaz Love』として発売)など、こういった生きづらさを音楽に昇華し、賑やかに打ち鳴らすものやみんなが一つになれる基盤に変えていこう、または自分が作る以上自分の生を反映したエンタメにすべきだというスタンスがここにも表れていると捉えることができる。
誰かがルールを破れば
その穴から 哀しみが溢れ出し
あっという間に 溺れてく
ENDRECHERIは、次に〈誰かがルールを破れば〉と言葉を紡ぐ。あくまで自分の内側に向けた旅をしようと提案する前半の文脈を考えると、これはそれと対照的に自分の外側に向かって行こうとする行為(たとえば会食や旅行)の自粛のお願いという〈ルール〉を破ってしまうことを指しているのではないだろうか。
〈穴〉という表現は、今聴くと東京オリンピック・パラリンピック開催時の「バブル方式」の不完全性を連想させるような表現だが、外側へと向かって行く行為があることが間接的に感染拡大に繋がり、誰かの痛みが増えてしまうことを暗示しているように感じられる。
ボクらは何度でも そのミスを犯す
って言っても ルールなんてもんもない
それすら 誰も気づけない?
上の解釈の続きを考えると、ここではそもそも自粛のお願いという〈ルール〉自体元々はっきりとしたものではなく、行動はあくまでも自分たち自身の良心に委ねられているが、それすら気づけない、つまり曖昧な〈ルール〉を信じたままそれを破る誰かを責めるだけで、自分自身の良心ときちんと向き合っていないんじゃないかと問題提起しているように読み取れる。
少し具体に寄り過ぎた解釈になってしまったが、これは、自分の外側の〈ルール〉に依存するのではなくて自分の内側への旅をしてそこにだけ従って生きようよ…という、前半部分のメッセージに達する一つの論理の道筋を示しているように思える。
だから 終わりも見えづらい
此処で何やってんだ ボクら…
自分の内側への旅つまり『GO TO FUNK』をしていないことこそが、コロナ禍の終わりを見えづらくしているのではないか、そしてこんな手前のところでごちゃごちゃ争って立ち止まって和解の境地へと達せない人という生き物は情けないという強いメッセージを発信しているこの箇所。
人という生き物の情けなさや和解の志向というテーマは、コロナ禍以前にリリースされた『ヒ ト ツ』『HYBRID FUNK』や、1度目の緊急事態宣言中に作詞した『新しい時代』(KinKi Kids名義)、さらには後述する『勃』、それ以外にも多くの作品にも見られるものであり、ENDRECHERIの思想の中心を占めるといってもいい。
信じているよ 涙目に浮かべた この地球(ふね)が愛に着くのを…
『新しい時代』
ぼくらは傷つけ合うばかりさ… どうしてだろう
ぼくらと世界は そこに立ち尽くすよ…
どうしてだろう どうしてだろう
愛しているよと言えることを奇跡と呼ぶのは… どうしてだろう
いつならば ぼくら いつならば ぼくら ひとつへ…
辿り着くのだろう… 辿り着けるだろう…
『ヒ ト ツ』
ひとがひとであることを悔やむような
悲しい歴史をひとは止められないでばっか
殺す 殺さない いたぶる
いずれ 死ぬ 道中にも関わらず
『HYBRID FUNK』
嗚呼 もう此処でボクが真面目にやっても GO TO BANG! ww
嗚呼 もう其処でキミが真面目にやっても GO TO BANG! ww
続いての部分では〈BANG〉という言葉が使われているが、この言葉のニュアンスを掴むには、内側に向かう〈FUNK〉と、外側に向かって破裂する〈BANG〉を対照的に捉える必要があるだろう。風船をイメージすると分かりやすいように思われるが、外へ外へ向かおうとする力を膜で無理に抑えつけたところで、膨らみ続ける風船は結局破裂してしまう。ここでいうそれはつまり自分自身の心の破裂でもある。ここには、「だからこそ内側に向かうべきなんだよ」という、前半から一貫したメッセージが隠れた形で反復されている。
あの頃な平和が欲しいんだろう?
『GO TO FUNK』の最後はこの言葉で締められる。
ここまでの文脈を振り返ると、『GO TO FUNK』しようよという提案の根拠は、①今失いつつある人としての尊厳を回復するため ②内側に基準を持つようにすることで〈終わりも見えづらい〉状況を打破するため ③自分が破裂しないようにするためという3点にまとめられる。
先程書いたように③は主題の隠れた反復になっており、また①と③がそもそもメッセージとして類似していることをふまえると、この3点からは『GO TO FUNK』が「自分自身の内面の安定」と「世界的なこの状況の終息」に繋がるという2つのニュアンスが読み取れる。つまり、ここでいう〈平和〉とは、自分と世界それぞれにとっての〈平和〉ということであり、それを実現させるには自分の内側へ旅立つ=『GO TO FUNK』するべきだと述べているのではないだろうか。
見方を変えれば、この曲は、文化芸術が「不要不急」扱いされることも多い中で、FUNKを奏でる=『GO TO FUNK』することの意味を説いている作品としても捉えられる。これらの歌詞の力を通じて『GO TO FUNK』というタイトルは、音楽の演奏と自分や世界にとっての〈平和〉とを結びつける強力な接着剤になっている。
他に配信されている楽曲
記事執筆時点では、アルバム『GO TO FUNK』からは3曲のみがデジタル配信されている(10月6日に全楽曲解禁される予定)。他の曲にも軽く触れておきたい。
まず、『勃』である。
そもそもファンクという言葉自体「強い匂い」を意味しており、また音楽としても生を反映するものである(とENDRECHERIが捉えている)以上、「小さな死」と呼ばれることもある行為をはじめ、性というテーマが登場することは多いため、これだけがかなり特殊な曲というわけではない。自分の躍動性を最大限肯定するプロセスを描くために、「勃」というタイトルが出て来るのは自然なことであると思う。
この楽曲の歌詞は、特に怒りを感じさせるものになっている。
人が人を 無痛で傷めつける
そうやって「生きてる」を識らないで
想像は放棄って? 無自覚な演説って?
命で 命を 游ばないで
「想像は放棄」「無自覚な演説」など、強い表現でこの時代を批判している。ジャニーズ事務所所属タレントがここまで自分の言葉ではっきりスタンスを表明しており、またジャニーズ事務所自体そういうことが出来る事務所であることを知らない人も多いのではないだろうか。
人は人を 愛する生き物よ 攻撃する生き物よってさ
こんな説明じゃ ほかの惑星たちから
どっちなんだよって 爆笑される
我々を宇宙視点で俯瞰し、地球人がいかにちっぽけなことで〈攻撃〉しあっているかを理解し、一つにならなきゃと述べるのは、晩年のジャニーが帝劇公演『JOHNNYS’ World』や『JOHNNYS’ IsLAND』で見せてきた構図そのものであり、きわめて王道的な表現である。
では次に、『ENDRECHERI POWER』について。
ENDRECHERI POWER きみのその奥で Vibe
ENDRECHERI POWER NARALIENS Erotic pain
サウンド面での面白さに満ちたこの曲も、『勃』同様、エロティックな言葉が並ぶが、これは音楽を媒介にして君と僕の生(≒性)が内面的に繋がる感覚を直感的に言い当てた歌詞である。
〈NARALIEN〉という概念は、生まれ育った奈良での自分自身こそ本当の自分自身であるというENDRECHERIの自意識が反映されたもので、2年前にはこのタイトルでアルバムをリリースしている。東大寺での奉納演奏を行うこともあるENDRECHERIは、そういった信仰の場が多い奈良という空間と、人知を超えた空間である宇宙との間に連続性を見出し、この概念を生み出した。古い時代を象徴しすぐ足を運べる空間でもある奈良と、新しい時代の象徴かつすぐに足を運べない空間である宇宙をシームレスに繋ぐこの概念は、時や場の断絶を無効化し、すべての連続の中に自らが立っていることを実感させる。
Let's ring garnet sand
鉱石などの特殊な「石」もENDRECHERIが多用するモチーフである。このモチーフも、鉱石が発掘される地底(原初の象徴)と、隕石の飛来元であり小惑星等から鉱石が発掘されることも多い宇宙(未来の象徴)とをイメージ上繋ぐ意味で大きな役割を果たす。
Keep on SUPER ANCIENT FISH grooving
ENDRECHERIというプロジェクト名は、元々名乗っていたENDLICHERI☆ENDLICHERIという名前を再始動にあたって一部変更(LI⇒RE)したものであり、この部分ではその由来であるアフリカの古代魚・エンドリケリーを取り上げ、鉱石や奈良とともに、古い時代との連続性を表している。
つまり、この曲のテーマは一貫して「つながる」ことであり、タイトルの『ENDRECHERI POWER』とはすなわちつながる力のことと捉えられる。最初に挙げた『GO TO FUNK』同様コロナ禍にリリースする楽曲としての文脈が存分に活かされ、ここでは特に「つながることが難しい」コロナ禍の側面に焦点を合わせて書かれた楽曲だといえるだろう。
余談
現在まだデジタル配信されていないが、『愛を生きて』も興味深い楽曲だった。
というのも、それはサウンドの方向性が、マイケル・ジャクソンの『Another Part of Me』を彷彿とさせるものだったからである。ENDRECHERIの表現が、『Another Part of Me』が使用され、かつて東京ディズニーランドにも存在したアトラクション『キャプテンEO』に近づいているように感じられたのだ。
『キャプテンEO』ポスター
『キャプテンEO』は、マイケル・ジャクソン主演、ジョージ・ルーカス製作総指揮、世界各地のディズニーパークで観られるなどというまさに大衆文化の極みのような作品である。そして『Another Part of Me』に込められているのは地球、愛、平和、音楽の意義といったテーマだが、そのテーマは単に『キャプテンEO』のストーリーにちなんでいるだけのものというわけではなく、他のマイケル・ジャクソン楽曲にも通底するものである。
ENDRECHERIを芸能の世界へ誘ったジャニーは、米国ショービズを代表する一人であるマイケル・ジャクソンの作品に大きな影響を受けているとされ、それを意識した演出を数々の作品で取り入れてきた。
ENDRECHERI『LOVE FADERS』ジャケット写真
一見すると、ミュージカルを至高のエンタメとするジャニーとファンクを活動の軸とするENDRECHERIの立ち位置は異なっているように思われる。しかし、実際にジャニーが制作してきたミュージカルはショーに近い要素があり、とりわけ晩年の作品では地球、愛、平和といったテーマを扱う場面が多かったことをふまえると、奉納演奏で『ファンタジア』の如く噴水や火を多用し、アイドルとして大衆文化の中心に立ちながらその影響力を誰かを救うために使うことを意識し、楽曲の中でマイケル・ジャクソンにも繋がるそのようなテーマを同様に扱ってきたENDRECHERIはきわめてジャニー的な作品を世に送り出してきたといえるのではないかと思う。
事実、ジャニーの追悼歌として、後輩が主演を務める舞台のためにENDRECHERIの書いた『You…』ではこのような一節があり、永遠の少年性の追求や反戦をはじめとするジャニーのスタンスが表れた舞台の内容とよくマッチしていた。
愛が必要と 愛などいらないよと争う そこに放とう
We’re the ones...
蒼い船で待ち合わせて 僕ら命(たび)へ出た
奇跡の果て廻り合った いまを愛そう...
You…思い出して...
幼い日の心を 美しい瞳の自由を
誰もが未来(あす)を知らない夢をみてる
叶えられるよ 僕らは
涙零れ咲かすだろう 希望という名の花
Let's go to earth 青く輝く あの星へ帰ろう
Our place of birth 美しい地球は
かけがえない 僕の故郷
Let's go to earth まだ見ぬ明日へ 今恐れず進もう
願いをひとつに集めて
さあ未来へ光を照らそう
(参考)『Let's Go To Earth』作詞:EMI K.Lynn
※『JOHNNYS’ World』『JOHNNYS’ IsLAND』シリーズで使用された曲。
In your life 未来を見つめ
二度と戻れない 今日を生きよう Heart to Heart
In your life 大人になったその時
忘れないこの思い In your mind
止まらない熱い思い 幼い日 夢に見た星たちを
追いかけながら大人へ
(参考)『In your life』作詞:長谷川雅大
※『JOHNNYS’ IsLAND』シリーズで使用された曲。
異端のように見えるENDRECHERIだが、本当はジャニーズのど真ん中を歩んでいる正統派なのだ。『愛を生きて』は、これを強く感じさせる楽曲だった。