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「痛みは《いつか》強さへと変わるよ」~『弱虫ペダル』関連の色々をみて

※だいぶ公開時期を逸していますがお許しください。



ツイートに流すにしては内容が長くなりそうなので記事にしますが、言ってることのレベルはツイートと変わらないのでご容赦を。

初めて目にしたことば

「すごく過酷でしたが、お互い助け合いながら、支え合いながら撮影できる現場って、なかなかないと思います。このご時世に通ずることもあると思いますが、頑張ってよかったな、という報われた気持ちです。そして映画を観てくださっている方々に感謝したいです」と笑顔を見せた。

前の閏年にいわゆる「担」になってからというもの、色んな発言を目にしてきましたけれども、あのひとが報われたって言ったのはたぶん初めて。

たくさんの意見があると思いますが、皆さんに認めてもらえるように、いっぱい努力していきたいと思います

デビューの時には、上のように「認めてもらえるように」って言い回しをわざわざ使ったりとかあくまで「あの相手に対してこうありたい」を重んじてきたひとが、今こうやって自分の努力そのものに対しての表現を使ったっていうのがもう結構感慨深いことで…

2016年8月12日。

担降りブログに書かれるような、「今も好きではあるんだけど担当ではない」みたいなアレってあんまり理解できないでいたんですが、それってこういう時訪れるんだなーと思いました。すっと「これは区切りだな」なんて思ってしまったりしました。オリンピックがあったら4年ごとに切り替え~とか思って降りてたかもしれない。いや降りないけど。

「報われた」

なんでこんなに個人的に「報われた」を取り上げるのかって、やっぱりそれは、「報われる」に簡単に直結する道を選び取らずに努力する所があのひとの持つ強さだからだと思ってるからで。

ーー収録について。
永瀬廉さん 人見知りが出てしまいました……。でもTOKIOさんとご一緒させていただくのは久しぶりでしたが、今回も楽しく盛り上げてくださってうれしかったです。TOKIOさんがますます好きになりました!

それこそ、比較的天然寄りなところも、案外人見知りなところも、そういうのをはっきり最初から(収録中とかに)キャラクターとして表に出してしまえば、弱点になり得るそれらを容易に強みに転換することができるでしょう。でも、あのひとはそれをしない。

あくまで不器用さは不器用さのままにとどめようとする。それは、もちろんグループ内で自分にしかできない役割(「しっかり者」)を強く意識しているからこそできることだし、片時たりとも向上心を捨てない人間性が表れている部分だな―と思います。不器用さを《すぐさま》強さに変えてしまったらその時点でその不器用さは克服されなくなってしまうので。

また、ちょっと真面目な発言をしたときや、番組の流れで弄られたときには、自分大好きっぽい発言をしてすかさず笑いに変える技術っていうのも関西Jr.時代にしっかり身につけているんですよね。

こういうのって、もう数年見ている側からすると明らかに照れ隠しでやってるのが分かるわけですが、一般の視聴者の中には、それにそういうキャラクターなんだと思っちゃう人もいるわけで。そのあたりの誤解が生じちゃうのも、前述の簡単なキャラクター像の構築技を使ってないことの裏返しなので、なんか「らしい」な、と思ったりもしたりします。そりゃ誤解は嫌だけど。

そもそもあのひと自体が、努力してる、打ち込んでるエピソードを恐ろしいほどに喋らない人なので(メンバーの髙橋海人くんとかがよく雑誌でそこらへん触れてくれるのでありがたい。)、何に力を入れているかが一切分からないんですよ。最近だと「VS嵐」に出演した時に、トークの中でジムに行ってるエピソードが出てきてビックリしたこともありました。

その一方で、ものすごく素直な人なので、いろいろメイキングとかをよく見ていると、この時疲れてるなーっていうのが分かるし、このあたりが誤解(というか正確に言えば曲解の口実)に繋がってるような気もします。色々書いてる自分自身もそれこそ2016秋冬とかはちょっと「ん?」ってなったりもしましたがだんだん見ているうちにその裏にあるものが分かるようになってきたので、別に本人の課題とかじゃなく、素直な性格をどう見るかというこちら側の問題かなーと思います。

このひとのタイプとは逆の、「何に力を入れているかは言うけどそれを受けての感情の動きは見せない」っていうのはよくいるタイプだと思いますし、これって思いのほか評価されがち(本来は何に力を入れているか言わず、それを受けての感情の動きも見せないのが理想なはず)だけど、あのひとのタイプだとあんまり妥当な評価を得られないので、なんかそこらへんも含めて「報われてほしい」という思いがすごく強いですね、個人的には。

「報われる」というと、数字的・商業的な問題で、「恋人にしたいJr.ランキング」で数年にわたって大賞まであと少しのところだったりとか、主演を務めた映画の主題歌がシングル切られないとか、そういう部分も結構挙げられるところではあるんですが、別にそういうところは求めてることの主軸ではなかったんだなーとみたいなのをこの「報われた」発言で感じましたね。結局は本人がそう思えるかどうか、だからね。

“自然体”を生きるということ

最初の方に、あのひとが「あの相手に対してこうありたい」っていうのを重んじてるってのを書いたんですが、これって“自然体”な部分(とファンが受け取っている部分)でもそうで。

それこそラジオ番組とかブログとか、ああいうところではかなり“自然体”に寄った、等身大の人間としての姿を感じられる場所ではあるんですが、あれは言ってみれば「相手のためにパーソナライズされた自然体」のようなもので、アイドルとしての自然体が出てるんですよね、すごく。通常一般時の「王子様枠アイドル」イメージとは少し異なる、「リア恋枠アイドル」イメージとして、ほんとうの自然体と緩やかにつながるもうひとつの像を提示しているなと思います。その2つを結びば、その先にそれとなくほんとうのリアルっぽいものは浮かんできますしね。

とにかくこのひとはこういうスイッチの切り替えがすごく上手いし、どれだけのスイッチを持ち合わせているか、選び取っているかをあんまり感じさせない。これは、大学に通ってたり、そういう私的な領域も重んじてきたうえ、関西時代や大学の友人を大事にしてきたからなんだろうなーと。

「A-Studio」出演時のこの言葉がもうまさに…って感じです。

永瀬廉のモットーというのはご縁と情なんですね。縁を大事にして、情があってやるというのは、いつも八方美人だとか言われるんですよ。八方美人なんていうのは、そのほうがすごく大事で、たまになんぼでも近づいても、もういい、もういいと言われているのに近づいていくと、情が生まれる。この情が生まれることがすごく大事で、これを諦めずに何遍も何遍も自分はこの人面白いな、この人はこうだなっていうのをいくと、この人は八方美人だとか思われないんですよね。するとこれ人生にとってすごく大事な出会いが来るんですよね。縁は努力ですよ。縁は努力をもって、その人といかに近づくかということが大事ですね。中途半端な気持ちで近づくというよりも、やっぱりそういう本当の情をもって近づくところが廉の良さだと思うんですよね。
―永瀬廉について、笑福亭鶴瓶

おわりに

とか真面目っぽいことを書いてきましたが、ギャルみが強いところも、雑誌の「国宝級イケメンランキング」で1位を取るひとなのに「ペロい」って言葉がやたら似合ってしまうところも、いろいろひっくるめて、このひとだなと思うばかりです。

すぐギャルピースする

なにかとペロい

とにかく今感謝したいのはあれですね、7年前から楽しみにしてた「2020年の夏」というものを、スポーツ漫画の実写化映画で取り戻させてくれたことですね。めちゃくちゃ勝手な感情ですが。

あのひとの主演作品はこれまで3作品ありますが、どれも実直だけどどこか不器用な主人公を演じていて、特に今作ではここまでビジュアルをほぼ封印してもその素質が損なわれないっていうのがもうこのひとのすべてだなーと思います。特に『FLY! BOYS, FLY!』と今作は似ていて、持ち前の実直さが、その主人公とは逆に「器用ではあるものの、一生懸命になる理由を見失いそうになってる」人を大きく変えていく、みたいな構造になってましたし。主演作の主題歌『君にありがとう』と『Key of Heart』にもらしさがよく出てるなと思います。発表時の「坂道はこいつじゃないだろ!」っていう暗澹とした空気が、鑑賞者が増えていくにつれて徐々に変わっていってるのも納得です……。

…ということで、『弱虫ペダル』公開おめでとう記事でした。

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