雑記:「オレたち応援屋‼」をみた
ということで、先日表題の作品を見てきました。
「応援する側」の喜びに触れる優しさ
そもそもジャニーズ事務所の人たちに応援されてる(気になってる)我々にとって、彼らは応援屋を演じる前から応援屋です。
「自分ばかり勇気づけられて良いんだろうか」とめんどくさい悩みを持つことも少なくない一介のジャニオタにとって、応援することによって自分自身も前に進めるという剣持のセリフは救いになります。このあたりに脚本家の優しさを感じました。
ジャニー喜多川作品へのリスペクトも欠かさずに
若者内で真っ二つに起こる対立とキャットファイト、公権力に歯向かってかろうじて1人だけが先に進む…これらの流れは完全に「少年たち」であり、前者に至っては「DREAM BOYS」や、ジャニー喜多川自身の参照先である「ウエストサイドストーリー」へのリスペクトも感じさせます。
それに、ジャニー喜多川による舞台では物語から独立して行われる「ショータイム」のパートは雷神祭の踊りとして物語に取り込むアップデートまで図られているという徹底ぶりです。
テーマ選択の絶妙さ
初っ端から「呪いなんて非科学的だ」って白井に言わせるなど、(やや宗教的な部分も持つ)ジャニーズ事務所の作品としてのテーマの選び方の絶妙さにこのコロナ渦という状況も相まって、今こそ見るべきといえる作品に仕上がっていました。
呪いと科学の対立は、結果的に人為だったという形で科学に軍配が上がったように見える一方で、人為であることが判明したという形で解決を見たために、その先に祭りが実現したという事実は忘れてはなりません。非科学的なものが科学的なものに負けたことによって非科学的なものが人々の力になる機会が実現したわけです。途中何気なく挟まってくる白井の「応援するAI」の話もその結末を予感させるものとなっています。
そしてこのことは、今この状況で開催されている祭りすべてに対して言えることだと思います。一定の条件をクリアすれば問題ないと科学的な判断ができているからこそ、疫病退散という非科学的なスローガンを掲げた祭りが実現できるわけです。
また、作中では島の分断を恐れて祭りの実施に躊躇する生徒たちの姿も描かれました。結果的には祭りの開催に向けて準備する中で祭りが20年間中止されてきた理由にたどり着いて島民一丸となった祭りの開催が実現する…というごくごく一般的なシナリオを辿りますが、ここで注目すべきなのは、島民の準備風景そのものです。普段は畑、海などと違う場所で働く人々が同じ場所で同じものを準備する、この「すべての境界を越えていく」祭りの力が雷神島には強く感じられ、もっと言えば元々あったからこそ呪いの問題が解決してすぐに島民はひとつになれたんだろうか…と思ったりしました。
「もやい直し」を担う者としての応援屋
呪いの問題が解決する前から応援屋はバラバラだった島民(ボードに乱雑に貼られた応援屋への依頼ごとがその象徴でしょう)を結び直してきたことも特筆すべき点です。この便利屋的業務を嫌がっていた剣持が最終的には便利屋業務も応援の一環として受け入れるようになるのは、「結び直す」ことこそ自分たちのもうひとつの役割であると気づいたからでしょう。またこの点において、小柳先生の母は「もうひとりの応援屋」といえるでしょう。