こころとからだの真ん中に立つ
減薬も勉強も休んでいるこの夏は自分の心と体に向き合うと決めていた。
自分の思考の癖、その裏側にある感情などを一つ一つ確かめる作業をしている。
自分の心に波風が立った時、どこからその風が吹いてきたのか?と心の中を感じてみる。小さなイライラが起こった時も、目を閉じて深く呼吸をしてみる。何に対してイライラしているのか?それはどうしてなのか?一つの問題を細分化していくと結局は自分の内側にある問題だと気づく。ほんの少しだけ物事を多面的に見る力がついてきた。
しばらく休んでいたボディーワークもコツコツと毎日続けている。
わたしには思い出せない記憶や自分で隅に追いやっている記憶がたくさんあるのだけれど、ボディーワークを再開してふとした時にそんな記憶を思い出すことがある。いいことも、普通のことも、あまり思い出したくないこともある。ただ、きっと忘れていた嫌なことを思い出を思い出すのは、少しずつわたしに受け止める準備が出来てきたからなのだと思う。
自分の背景にあるのが発達性トラウマだと気づいた去年の春に始めたセルフケア。
子供の頃は体を動かすことが好きだったはずだけれど、いろんな出来事が重なるにつれて体を動かす元気がなくなり、ついには寝たきりで動けなくなっていた。
去年の春はまだ車椅子に乗って外出することもあり、一番酷い時期は握力も2kgくらいまで落ちていたので、セルフケアのために四つん這いの体制を維持するのも大変だった。
その頃、中医学の勉強をしている仲間が増えてきて、同じ学院で中医学を学んでいるピラティスインストラクターの先輩に出会いピラティスの魅力について質問してみた。
「心にフォーカスしないこと」
その答えがわたしにはとても衝撃的だった。
わたしはひたすら自分の過去を自問自答し続けて、何なら考えないことが悪のように感じていたようなところもあった。
同じようなタイミングでお世話になっている漢方家の先生も過去と未来の言語を持たないピダハン族の話をしていたので、その時のことがとても印象に残っている。
体を動かすのはなかなか大変な時期だったけれど、先輩の教えてくれた「心にフォーカスしない」という言葉を支えに毎日セルフケアに取り組んでいた。そして、少しずつ今を生きるようになって、自分の病気のことも抗うのではなく少しずつ受け入れることが出来るようになってきて体調が好転し始めた。自分の感情や感覚がわかるようになってきた。
今も病気は全快というわけではないので、出来ること出来ないことはある。でも最近の生活は少し余白があって心と体の両方と向き合う時間も、両方を癒す時間もある。
考えることばかりでなく、しっかりと心と体の真ん中に立っていたいなぁと思うこの頃です。