日々を営みパンを売るお姉さんとの出会い
朝起きて、何となく出掛けたいなという気持ちだったので、何の計画性もなくご飯を食べて家を出た日曜日の朝。
しばらくは出掛けないつもりでいたけれど、少し前から気になっていたパン屋さんが土日のみの営業だったので行ってみることに。
本当にいつも落ち着かないというか、どうしてこんなに放浪癖があるのかを誰か教えてほしいけど止められないのだから仕方がない。
初めての場所はいつもドキドキワクワクするけれど、場所が山の中だったので本当に合っているのか違う意味でドキドキしてしまう。
お店の看板を見かけてからもすぐには場所がわからず、草刈りをしているおじさんたちに窓を開けてお店の場所を訪ねる。
こういうコミュニケーションが好きだから、やっぱり田舎からは離れられないなぁ、とつくづく思う。いつもゆるゆる生きていたい。
パン屋のお姉さんは、初めてのわたしにも気さくに話しかけてくれてたくさんのお互いの色々な話をした。
とてもまっすぐで正直でキラキラしたお姉さんは、嘘がなく心から人生を楽しんでいるようだった。その芯の強さが眩しすぎるくらいに突き刺さった。
暮らしを大切にしたい、と思っているわたしなのだけれど、お姉さんやパンやそこにある空間は『暮らし』というよりは『日々を営んでいる』という感じがした。
そうか、なるほどなぁ。。。とわたしは思ったのだけれど、「暮らす」というのは何となく直線的なものでそこにあるイメージだけれど、お姉さんから感じたのは明らかに自分たちが自分たちで生み出しているイメージだった。
落ち着いた暮らしがしたい、と思いながらも何か自分の中でそれがピンときていなかったのは、自分が求めているものが暮らしではなく営みだったからなのかもしれない。
シュタイナー教育についての活動もしているというお姉さん。
「陰極まれば陽になるし、陽極まれば陰になるし、中庸でいたいよね」
と話していて、そうだよね〜!と2人で笑った。
「結局最後には許すしかないのよね」
と話した日曜日でした。