落第作⑦
死のうかどうか、人を苦しめ法外の金を得て惨めな死に様を世間に晒そうか、などと考え、そしていざ極限の精神状態になってしまうと、やっぱり公園で寝たりしていた疲労の蓄積が顕になってきた。そんな中、ベンチに座っていると目の前で老人が倒れたので、「大丈夫ですか」と声をかけて、ダメそうなら手を貸そうと思ったが、「大丈夫です」と返され、彼は1人で普通に起き上がった。そのままぼくの隣に腰掛けて、80歳前後と思しきその老人は、最近ソフトバンクでスマホを買ったのだけれどやっぱりパソコンと比べるとCPUが悪くてね、それに高いし買い換えようと思ってるんだけど、auに行こうと思ってるんだけどオススメある?と訊いてきた。命や人生の大切さについて考えさせられるきっかけにはなってくれないみたいだった。
「CPUの性能はキャリアではなく端末のほうにあるので、値段も含めて検討するなら、最近は格安SIMでも通信速度はわりと安定してますし、mineoとかUQの格安SIMを契約して、高性能の端末を個別で購入する、というのが、値段的にもパフォーマンス的にもいいんじゃないですかね」
どうやらかなりしっかりしているらしい老人だったので思ったことをそのまま言ってみた。
「ああそうかい。いいこと聞いた。そいじゃとりあえずauショップに行ってみますわ。駅前にあったからね。auショップ」
なんだか色々どうでもよくなりかけてきた。
どうでもよくなりかけはしたがどうでもよくなったわけではなかった。気持ちや思考の変化を求めてまた別の公園に移動した。
肉体的にも精神的にもかなり追い詰められている中、貞造くんからTwitterのDMでメッセージが来た。貞造くんというのは去年飯場で出会った3つ下くらいの太っちょだ。
〈勝てないクエストがあるから来て〉
という、スマホゲームに関するメッセージが来て、クソ野郎が!と思った。が、年下には優しくしなければならない。〈死ねボケ〉と送りそうなのを堪えて、〈今ちょっとそんな場合じゃないわ〉と返信した。
クソ野郎が!と思ったのは、既に家出をしていることを伝えてあるにも拘わらずそんなメッセージを寄越すからだったが、辛うじてそれを口にせずに済んだのは、クソ野郎だということは最初からわかっているのだから高を括っていたおれも悪いと思える謙虚さがまだ残っていたからだった。
貞造くんは去年ぼくが飯場に入って1ヶ月ほど経ってから入ってきた後輩で、妖怪たちの巣食う地獄みたいな職場の中で、〈若い奴きた!〉という感じで救われた気持ちになったのだが、漫画も映画も小説もスポーツも政治もなにもかも(と言ってしまっていいくらい)世の中のことにまったく関心が無く、「好きな漫画はワンピースくらいっすかね」と言われた時に勝手にショックを受けて、とりあえず旨い飯でも食ってくれと思って現場の駐車場から車を出して一緒に飯を食いに行ったのだが、色々話を聞くに、仕事が無い日はパチンコ屋で1円パチンコをやって、仕事がある日は仕事の後帰って寝るか、1パチやって寝るか、YouTube観て寝るか、の三択が主で、好きなことというのが本当に一切無い20代だというのがわかって、今思い返せばかなり勝手な話なのだが、20代の男がそんなに無味乾燥でいい筈がないというぼくのわがままな願望によって、ぼくの9倍くらいの期間大阪に住んでいる彼を初めて味園ビルに連れてってみたり、本当に旨い魚介だしのラーメン屋に連れてってみたり、小説を貸してみたりした。
そもそもなんでぼくが飯場にいるんだということを今詳しく説明するのは難しいが、色んな理由や経緯があって半ばやけっぱちになって見ず知らずのボクサーに勧められて尼崎の飯場に入ることになったのだが、正直その頃、間違いなく人生で一番つらい状況にあったのにもかかわらず、死にたい気持ちが反転して、いっそ、ここでしかできなさそうなことをやってみようと、久しぶりに個室というものを持つことになったぼくは、群像新人文学賞に向けて執筆をしていた。構想があまりに膨大であったので規定の枚数に収まるかどうかという不安があったのだが、まったく違う形の障害がぼくを襲ったのだった。
どうやらぼく的には単なるエゴで、しかも人権を蔑ろにした形である〈こんなつまらない20代はいてはいけない〉という感情に任せておこなった様々の行為が、彼にとっては迷惑どころか僥倖に感じたらしく、しかもそれがまったく勘違いされた形で受け取られて、なんかすごく親密な距離感で接してくるようになってきた。
けっこう遅い時間に公園に呼び出されたり、休日に用も無いのに呼び出されたりして、過去の恋愛遍歴などを語られるというようなことをされるようになった。このまま依存が高まる気配はなんとなく感じ取ってはいたので、「おれは小説を書いていて、講談社に、原稿を送ろうと思っているから、1ヶ月くらいは付き合えないわ」というようなことを言ってみたのだが、そんなことおかまいなしで「公園行こうぜ」と言ってきたりした。
今まで1冊も本を読んだことがないし、そもそも表現や創作全般にまったく興味関心が無い貞造くん相手であったので、あまり具体的にちゃんとした説明をする気にはならなかったのだが、確かに、「講談社の賞に原稿送るんだ」「えっ、講談社ってジャンプ出してるとこっすよね」「それは集英社」という会話をしたのだったが、まったく意味が無かった。
そこまで相手の状況を考えないような人間は無視してしまえばいいのだが、無視できない個人的な理由があったのだった。
それは中学を卒業して少し経った頃、中学で陸上部の後輩だった男から連絡が来て、度々一緒に遊ぶようになりながらも、当時美術館や古書店街やミニシアターなどに行くのが楽しかったぼくは、『はじめの一歩』の話しかできない彼と一緒にいるのに段々と飽きてきたし、兄がいないコンプレックスのあった彼は、コンビニの夜勤で月に20万以上稼ぐぼくに夜勤前や夜勤後に会いたいと言ってきたため、段々と、〈そこまで身を削れねえよ〉という思いが募り、ある日の誘いを受けたときに〈ごめんめんどくさい〉というメールの返信をし、それでも食い下がってきた彼が〈いいから来て!〉というメールを送ってきたんで、さすがに限界だぜ、と思ったぼくは待ち合わせ場所まで赴いて、「ごめんほんとにめんどくさい」と、ほんとに面倒くさそうな顔で発語して、親に捨てられたような顔で「わかったよ」という捨て台詞を吐かせ、ひどい感じの別離を迎えたのだった。
その時点では悔いや後悔は無かったのだが、それから5年以上経ってFacebookで彼の写真を見つけたとき、日サロに通って筋トレしまくりました、という感じの水着姿の彼はとても気持ち悪い笑顔で映っていて、まったく理論的に破綻している話なのだが、その写真を見た時、もう少し丁寧に接していたらよかった、と思ったのだった。
そんな、過去の人間関係に対する贖罪の気持ちを、ぼくは勝手に貞造くんに向けていた。そういったエゴを自覚していたので、彼のエゴを受け入れようと思った。
恋愛とは呼べないような恋愛遍歴の話を聞いたり、痩せてた頃の顔写真を見せられたり、小学校中学年くらいの文章力で書かれた彼の半生が綴られたノートを読んだりしているうちに群像新人文学賞の締切が迫ってきた。
締切前日、5回くらい書き直してから5枚くらいしか書いていない状態だった。
〈きょうは仕事の後マジで引き篭もります〉と貞造くんにメッセージを送った。生き甲斐の無い若者にはとりあえず〈マジで〉と言っておけば伝わると思った。
一晩で腱鞘炎になるのではないだろうかというペースで、原稿用紙に向かった。200枚超になりそうなプロットの小説だったが、それはどう考えても無理だった。添削も推敲もせずに脱稿して、〈文章はかなり稚拙で誤謬も多いが底に秘めた力のある作品〉という評価を得られないだろうかというわけのわからない願望を抱きながら書いた。深夜、60枚にさしかかろうとしていた時、貞造くんからLINEが来た。スマホをマナーモードにしていなかったのは、愛からのメッセージだけは逐一チェックし、返信することを欠かさなかったからだったが、この日ばかりは一晩くらい、愛にもわけをちゃんと説明して1日連絡を絶ったほうがよかったかもしれないなどとも思った。
〈辛いものって好き?〉
これが愛からのメッセージであれば、まあぼくが辛いもの好きなのは知っているのでそんなメッセージは来ないはずだが、来たら来たで、そこまで心を乱されずに〈ブート・ジョロキア!〉などと返信をして終わっていたのだが、夜の11時に貞造くんから〈辛いもの好き?〉とLINEが来たのだ。悪い予感しかしなかった。無駄に優しいぼくは、〈辛いものというより、辛くて旨いものが好きだ〉と返信した。
午後11時20分、部屋のドアがノックされ、開けると醜い顔のデブが現れて、コンビニの袋を渡してきて、彼なりの気遣いだったのであろう、さすがにそこから部屋の中で話し込むということはしなかったが、ぼくは残り5枚の原稿を、辛くてまずいスナック菓子を食べながら書くことになった。あいつ、殺す、とかは思わなかった。ただただ不運と自分の精神の弱さを恨んだ。