鳥と剃刀

中学を卒業して、知りもしないし好きでもない所謂ジャパニーズロックンロールバンドをやることになり、嫌気がさした頃にバンドをクビになって自分のバンドをやり、でもほんとは歌いたいことなんて無かったし、あったとしてもわからなかったので、既存の楽曲のコピーしかせず、なんとも恥ずかしい日々に時間やお金を費やしていた中で、何度か対バンしたミッシェルガンエレファントのカバーをするバンドのライヴにお呼ばれして行ってみたときに、パジャマで頭ボサボサで遅刻ひて現れた男が居て、それが猫背不眠症(その時はワガユージさんソロ)だった。悪夢のような歌に聞こえたが、とても心地のいい悪夢だった。ミッシェルガンエレファントのカバーをやった人は「あいつ遅刻しといてなんの挨拶も無いんだよ」と文句を言っていたが、ぼくから見たらそれも含めて浮世離れした彼の生き様が魅力的ですらあった。

ワガユージさんは川蝉というバンドをやっていてぼくはすぐにバンドのライヴを見に行った。スリーピースの彼等が音を出す前、会場ではエリック・サティのジムノペディが流れている。沈黙を破るかのようにディストーションのきいたギターとツインバスのドラムとうねるようなベースが鳴り出す。今まで押し込めていた暗い感情が骨や皮膚を通って頭まで昇ってくるようだったし、そしてそれはそんなに醜いものではない、醜いものだったとしても目を開けてそれを見ても大丈夫だ、とそう思わせるものだった。
音楽を言葉で表現するのはとても難しい。しかも売れる前に解散したバンドである。読む人と共有できるものが少ない。ただ1つ明確に言えることは、この川蝉というバンドとの出会いで、幼い頃「見る」ことしかできなかったぼくがやっと、声を発することができるようになったということだ。

それから次第にジャパニーズロックンロールの人たちとは関わらなくなった。自分が本当に惹かれるものが見つかって、他に時間やお金を使いたくないと思った。川蝉のベースのヨウさんは社交的でよく話しかけてくれたりして、「せいじくんもバンドやってるんだよね?よかったら今度ライヴある日教えてよ」と言ってくれたりしたのだが、カバーですらない、コピー(したい)バンドであることがあまりに恥ずかしくて、生返事をしたままやり過ごして、そしてぼくは自分が作ったバンドを脱退した(マインドレイプというバンド名だった)。
ワガユージさんはいつも赤いパジャマを着て、前髪が長かったこともありぼんやりとした顔に見えて、その風貌もあってか僕の中で彼は神格化されていった。何度もライヴに行き、何度も過去の自分を殺されて快感を味わった。当時はそういうことを思わなかったけれど、女性が本当に好きな人に抱かれてエクスタシーを覚えるのはこういう感覚が極大化されたものなのではないかな、と思ったりする。何度も何度も同じ曲を聴いて、ときどき新しい曲を聴いて、先のことなど考えず刹那的なその音に身を任せていた。
川蝉の色んなライヴに行き、必然、アマチュアなのでワンマンというのは殆どなく対バン相手がいたが、当時のぼくには川蝉以外で琴線に触れるバンドは少なかった。
自分の血の中で歌が流れる感覚はこの時初めて味わった。
そんな中で川蝉の新しいアルバムが発売されることになり、下北沢のベースメントバーでレコ発が行われることになった。
トリである川蝉の前に、赤いちりめんの服を着た細身の男が現れた。つま先立ちで寄り目になって彼は、太鼓のようなドラムにのせてシンプルなギターフレーズを弾きながら、
〈あんたの悲しい過去なんて あんたの悲しい過去なんて あんたさあそんなことよりも もっと大事なもんに傷がついた〉と歌った。今から14年前くらい、初めて尾崎世界観を見た日だった。
カマキリみたいだと思った。
小学生の頃昆虫が好きでよく学校の裏庭で昆虫を観察していて、その時に見た、交尾中のかまきりの雌が雄を頭から食べるところを思い出した。強烈に残酷で、愛のようだと思った。
川蝉を初めて見た時、心臓を鳥に撃ち抜かれたような思いがしたが、クリープハイプを初めて見たとき、すっとからだの神経が剃刀で切られるような感覚になった。声もそうだったし、目もそうだった。
ぼくは鳥と剃刀に殺されるために街に赴いたし、殺された自分の死骸を風葬するために街を歩いた。
ワガさんは〈空に堕ちそう〉と歌って、尾崎さんは〈バイバイ〉と歌った。

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男の虚線
基本的に無駄遣いします。