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脳内にたまった記憶を解放するためにつけた日記(1/18~1/20)
2025.1.18
おちついて作業ができた一日だった。
私が一日のうちで、やることだらけで心があっぷあっぷするタイミングはだいたい2回あって、ひとつ目は職場のお店のオープン準備。もうひとつは、帰宅後だ。
どちらも、やらなきゃならないことが沢山あり、それらをすべてクリアする必要があり、クリアしたいという自分のニーズがあり、待ち時間というものがなくて周囲の物たちは私の作業が完了することをむしろ待っている。お店のオープンする時刻とか、掃除されるべき箇所とか、開店前に外で待っているかもしれない人々とか。帰宅後はまずキンキンに冷えた部屋を温めることから始まり、お風呂掃除、ごはん用意、お湯沸かしたりゆたんぽ入れたり、洗濯物をたたんで、米粉の食べ物の研究。そういう無数のものが、私のことを、待っている。その期待が苦しい。
楽をしようとすればできるけれど、私はできあがった結果が好きなのだと思う。食事の種類を制限して簡潔にしようとしたときには、満足感がなくてお菓子を食べてしまったりした。数日前に自分にアドバイスした「お煮かけパターン」も、まあまあ破っている。そして本を読む時間が増えずにいる。
そんな中でも、過敏性腸症候群を是正するための、自律神経に関する活動だけはよくよくこなしていて、えらい私なのである。あの、腹痛や下痢の痛みと苦しみ、吐き気とたたかうことを思えば、この程度のことは努力にもはいらない。すなわち、
・熱すぎないお風呂にゆっくり浸かり、神経を緩める
・寝る前に腹式呼吸の時間をとり、副交感神経を優位にする
・脳内を解放するため日記をつける
の3点である。
いままでしっかり気にかけていた、食事の栄養バランスや毎日のランニングは、しっかり手を抜いている。ただでさえ時間がないのに、メニューを増やしてすべてクリアできる訳がない。ランニングをしないことには多少の罪悪感があるので、駐車場まで遠回りしてすこし長めに歩いたりしている。それで時間が足りなくなって忙しい忙しいとなるんじゃないの? いやいやどっこい、そうはいかない。
ばかみたいなところにたっぷり時間をかけるんだ。つらいかもしれないが、時間をかけなきゃならない時もある。
これは私が大事に大事にしている、「ねじまき鳥クロニクル」の叔父さんのセリフである。
今日のトイレ事情もあまり芳しくはないけれど、あいかわらず急激な症状はでていないので70点としよう。朝はやはり便意のない日が多い。おなか専門のクリニックで処方されたのは、酸化マグネシウム系の便秘薬だった。便秘薬をつかったことがなかったので(昔から便秘傾向があったのに、こういうところは慎重になって飲んでいなかったりする臆病者なのである)、翌日お腹が痛くなったりしたらどうしよう、と一日目の夜はドキドキしながら飲んだけれど、結局何も起こらなかった。特別便通がよくなった感じもしない。
しらべてみるとこの薬剤は、腸内で水分を吸着し、便の水分量を多くするので蠕動運動が活性化することにより、排便を促すものらしい。便のなかにこの薬剤があると、そのような効果が得られる。ということは、飲み始めてからそれが便の最終段階にたどり着くまでは、飲む前の状態がつづくということなのでは。腸内での物の滞在時間は一般的に24〜72時間、私の場合はもっと長いので、気長に待つ。飲み始めてから4日が経過したからそろそろ効果を期待したい。
便秘薬はともかく、便秘が長くつづくとお腹が張って苦しいし、下痢になったときの吐き出し量が多すぎて苦しくてつらいのが思い出されて、怖くなる。食事中もたのしめない。これを食べて、また貯めてしまうことになる、と思うと食べたくなくなるので、おいしさもなにもあったもんじゃない。美味しいと思うけれど、一瞬次にはそのことが頭をよぎる。
人生でやりたいことはいっぱいある。グルテンフリーのお菓子にはまだまだ可能性が秘められていて、発掘し放題の状態だと思うし、その出来上がりを食べるのは、失敗も成功も私は案外楽しい。小麦のものが食べられないからこそ、「食べられる焼き菓子」ただそれだけが、私にとっての価値なのだ。
お菓子の研究に時間を使いたい。それでも楽しく食べることができなければ、本末転倒だ。朝の貴重な1時間を、トイレにこもって、下痢になるな下痢になるなと念じる以外、この地球上で私にできることなどないのかもしれない。
きっとよくなる。私の自律神経はまだまだちゃんとやっていける。今はちょっと看病が必要な時間なのだ。このわりとよくできた、よく周囲の環境に適応してきたえらい自律神経は、死ぬまでちゃんと機能しつづけてくれる。そう信じている。
2025.1.19
それではここで、過敏性腸症候群 IBSへの対策として私が立てた行動目標を再確認すべく、転載したい。
消化管症状の辛さはQOLを著しく下げるものであり、私はこの症状の改善をしたいと思う。
改善については、腸をどうにかするのではなく、その上位を司る自律神経に働きかけることとする。
方法1:ぬるめの風呂
ぬるめの風呂が副交感神経を高める。
面倒くさがらずお風呂に入って本を読む。
方法2:呼吸
腹式呼吸で、ゆっくり吸ってゆっくり吐く。
副交感神経が高まるべき時間帯、睡眠前の30分を当てる。
方法3:日記
自律神経と「自分の心がけ」がどれくらい相関するか、あるいは全然関係ないかもしれないが、日記をつけて脳内にたまった記憶を解放する。
うつ病の人が医者に日記をつけるよう勧められた事例にならう。
昨夜も実行した。
実行した結果が、今日の寝坊につながっている。本がおもしろすぎてお湯がぬるくなるまで入りつづけてしまった。寝る時間が遅くなり、朝が遅くなる。
本を持ち込んではいけなかったのだ。とくに、村上春樹「ノルウェイの森」の前半の佳境に入るような部分なんて。
12月末にうつうつとした気持ちになって、眠れない眠れない、不眠症には家族歴があるし、などと暗いことを書いたのも、あの頃は漫画をお風呂に持ち込んでいた。犯人はこれだったようだ。漫画は一冊を読むのにそう時間はかからないから、終わりまで行こうと粘ってしまう。それで夜が遅くなり、遅くなると頭はアホになるので夜ににつかわしくないスケジュール立てやSNSサーフィンが始まってしまう。自制しようとしても止められない。それで寝坊に拍車をかける。
睡眠に関していえば、いままで自覚はなかったのだが、私の健康状態は100点かもしれない。
自分にとって適切な睡眠時間を知りたいなら、目覚ましをかけずに数日をすごし、安定した睡眠時間になったらそれだよ、と友人が教えてくれた。私の場合、朝から勤務の日もめったに目覚ましはかけず自然に目が覚めるにまかせている。寝る時間にずれがあっても7時間半が経ったころ目がさめる。夜更かしをしてしまうと寝つきは悪くなるが、大抵はすぐ入眠する。
その友人は動画を見ながら寝落ちして、翌朝は目覚ましなしで起きれないと言っていた。ハードワーカーなのでさもありなんかもしれない。
だがしかし、どんなに睡眠上手だといったって、おなかが痛いのはいやなんだ、もう。
***
おふろに本を持ちこむと読みつづけてしまうので、薄いフリーペーパーで読みたい箇所なんか数ページしかないようなものを持ちこんでみた。今度は興味のない箇所まで読みつづけてしまった。
それでもまあ、入眠時間がおそくなることは、よしとしよう。三つの目標を守っているだけでもえらいし、目標をふやせばふやすほど守れなくなることが多くなる。多め多めに見ていくことも、気を大きくして自律神経に余裕をもたせるという意味では大切だ。
今日は職場に常連のお客さんや関係者の方がぐうぜん、たくさん来たので、へんな感覚に陥った。「私って、社会のなかで生きているなあ。生きることができるんだなあ、私にも」。一緒にはたらく仲間、同じ会社の人、よく話すお客さんや、ときどき見かける人。初めてだけど話が合う人、いっしょにお店を作っている別の会社の人。
人間関係について、すごく硬い「くくり」が昔はあった。あの子はおなじクラス、その子は隣のクラス、というくくり。学区や、塾のくくり。大人がつくったものだけれど、その壁は私には、とても分厚くて実体的に見えた。その感覚は二十歳過ぎてからも少し続いた。
今は、いろんな人と、ゆるくつながっている。私には家族がいないから、帰ったらそのつながりはいったん切れる。それで自分の頭のなかであの人やこの人を思い出して、ふと我にかえって、まわりにはだれもいなくて、私は自分のための食事を用意してコンロの前に立っているんだけれど、人々がたてるざわざわとした話し声や物音の余韻がその周りにまだ残っていて、明日もこんな感じだなあと思うと、一人だという感じがしない。
一人ってなんだろうな。家族がいたって、そこはかとない孤独を感じている人もいる。家族がいるからこそ、あまりに性格のかけはなれた彼らと自分を比べて、孤独よりもひどい気持ちになっている人もいる。幸せな家族にかこまれて、それぞれのもつ幸せがふわふわとより集まったような素敵な家族もいる。それはもしかしたら外にいるときに共犯的につくる空気で、家のなかで家族っきりになったらもっとしんどい関係なのかもしれない。
私は、一人でいることは好きでも嫌いでもない。自由ではあると思う。時間の自由、お金の自由、行き先の自由。けれど友達といると、それらは縛られても、別の自由が顔をだす。話しかけていい自由、笑っていい自由、ほうっておいてもいい自由。
どちらにも、とても価値があるように思う。
どの状態がしあわせである、なんていう方程式はないような気がする。むしろ、これを書いているこの晩がすこし暖かくて過ごしやすかったり、おちついた音楽がかかっていたりすることの方が、気持ちに影響して、しあわせの感覚を生じさせたり消したりしているのではないだろうか。「幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ」みたいな話だったり。「手を動かそうという意識が生じて手を動かすんじゃなくて、神経伝達が起こってから手を動かそうという意識が現れる」みたいな話だったり。
なにかを思うときには、思うまえからもう決まっている。「暖かい夜だから、今日一日のできごとを思い出して、しあわせって何かなと考えて、結局なんか、なんにでも価値があるように思って、自分がそれを駆使できる立場だなあと思って、しあわせになる」。それを要約するなら、「暖かいから、しあわせになる」ただそれだけなんじゃないだろうか。
2025.1.20
1月の3分の2がおわった。
一年の18分の1がおわったってことだ。一年が18ヶ月だったらちょっと生きやすいかしら。12ヶ月とくらべるとボーナス感がある。でも、あまりたのしくない人生を生きている人にとっては長すぎる。
1ヶ月に1つ目標をたてて進めるとしたら、18個進んだらとてもいいように思う。
18種類の誕生月があったら混乱するし、天上における太陽の通過路である黄道上に18個は星座がない。幼稚園のイベントは大半が誕生日会になりそう。
カレンダーが18枚になるから、画家やイラストレーターはたくさん描けて楽しいかもしれない。めくる方は、しょっちゅうゴミが出ていやかもしれない。
でも一年が365日であることに変わりはないから、20日で一ヶ月が終わるとしたら、次から次へと月がおわって、心だけが加速度的に焦るかもしれない。やっぱり12ヶ月くらいがちょうどいい。
今日はしあわせだー!
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