昔の日記にいいことが書いてあったのでメモしておこう
このnoteの概要は
この「昔の日記」は、2023年の2ヶ月程度に記述したもので、その形式は
・うまくいったこと
・うまくいかなかったこと
・改善できる点
を眠る前に書き出すというものだ。
「うまくいったこと」は、嬉しかったこと、やってやったぜと達成したことを、どんな事でも「〇〇できた」という語尾で列挙する。するとあら不思議、自己効力感が上がっている。
「うまくいかなかったこと」は、仕事ミスっちゃったとか、今日いやなやつに会っちゃったとか、心の隅っこのほうで、うっ、とほんのちょっぴりだけど思った気持ちをも、素直に受け取って棚に置いておく、という作業。心の整理整頓をする。
寝る前に書き出すので、一日あったことを脳内に溜め込まず入眠できる。また、日頃の気づきや学びをいちど振り返っておくことで、次回から端的に人生に活用できる。
読み返すことなんかないと思ってなんでもかんでもおもちゃ箱にぶっこむみたいにして書いていたけれど、今読んでみると案外、なるほどな〜となったので、このnoteを書いた。
この日記形式を2ヶ月程度でやめてしまった理由は、Evernote(無料プラン)に記録していたので、デバイスがかわったりパスワードを失念したりまごまごしている間に、レモネードづくりにハマって忘れていったという流れ。
この日記形式をこのnoteに書き移さなくてはいけなくなった理由は、Evernote(無料プラン)のノート冊数が上限に達してしまって仕事ノートが書けなくなったからである。
上限冊数あるの厳しいな。読書記録を去年末からEvernoteでしてきたが、上限冊数あるなんて知らなかった。「読書メーター」はレビュー文字数に上限がある。
と思って今回、レビュー文字数上限のない「ブクログ」を登録してみた。楽しみ。
いい言葉
昨夜これ(日記)で振り返ったら本当にすっきり起きられた
ひのなおみさんのボイシーが、また良い話だった
AIは文章を作れるようになったけど、自分の気持ちを観察してはくれない。自分の気持ちは自分にしか観察できない。これを文章化することができる人は希少だ
マンガを売ろうとしたら、買った2年前よりずっと安値になってしまった。経年による価値低下は、思っているよりずっと速いと思った
自分の能力が最大限生かせなくなる時期も、思っているよりずっと速いと思う
売りたい本は待たずに売る
外を歩いていたり車を運転しているときに、この瞬間にもダンプに轢かれて視界がばんっと消えるような人生の終わり方もありえると思った。そのとき、こんなに頑張った人生だから報いてあげよう、なんて魔法をかけてくれる人は、どこにもいない
スケジュール共有の必要性を理解しない同僚に、それを解説することをずっと妄想していながら、そんな場面は一度も訪れなかった。だれかを説得しようと思考しているもののほとんどは、実際には起こらない。
誰かを説得するために人生があるのではない。自分が幸せでいるために人生がある
水曜日にビールを飲んで、睡眠が浅くなることへの恐怖があります
昼と夕方のスーパーは並ぶので行かない
ひのなおみさんのボイシーで「ライターさんも完璧な人なんていない。完璧になってから仕事する、なんていつまでたってもなれない」と話していた。私のためにある録音だなと思った。これはマジですごい
仕事で滞りそうなところを「仕事が滞りそうだ」という意味で上司に相談できた。滞ってからでなくても相談していいんだ。
昨日は同僚が爆速で仕事してくれたので、仕事を渡すスタンスが私も身についた
ビール飲んだ翌日は思考がゆっくりになりがち
それを夜まで引きずって23時超えがち
朝のランニングを犠牲にしがち
人生初、窓開けたまま出掛けてしまった
色々やりたいことがあるのはわかるけど、21時になったら俎板の上の鯉として風呂入れ(マンガ読む)
時間が限られているので、この量のタスクの全てはやりきれないので、いちいちがっかりしない
眠くなってからの自分を助けると思って行動しよう
ポケモンカード売れるらしい
ひのなおみさんのボイシー「疲れを持ち越さない」がまた良いことを言っていた。自然の中を歩くとか
昔のことを思いだしてつらくても、前向きに、「思いだしても別にいい」と思えた
幸福は逆境の中にあるという言葉を知った
一文でも書いていないと、自分の力があるとは思えなくなってしまって当然だ
ホラーや恐いという感情は、ちょっと先の未来に自分の身の安全を損ねるなにかアクシデントがある、と勝手に予測することから始まると思った
人生の初期から、私は一歩先のことを勝手に予測して、恐いと判断したら前に進まない癖があった
無駄な時間を過ごしたと思わない。すべては必要な学び
洗い物?この作業が結構好きであることに気が付いた
呪術廻戦をもいちど読んでから売るよりも、売ってからその時間でBlue Giantを読む方が充実しない?これに気づいたのは大きかった
いつでも早く寝る
眠くなりながら仕事をするより、ぱっちりと爆速で仕事して定時で上がるのがよかろう?早く寝る
本当にやりたい事をやってから、ちょっとやりたい事をやる。いや、ちょっとやりたい事はなるべくやらないようにする
けど睡眠をそれに優先する
自分を律する方が、次の日の人生が格好いい
楽しいこともやりたくない事も、時間が無限にあると思うと取り掛かりにくくなる
出してからインプットする
もっともっとシンプルに暮らす
どんな事をするときも、目標時間を立てる
会社の愚痴を言ってしまった。転職後も取引先になる可能性があるのに
人のマイナス面は、言わない。自分が変わりたいと思っている人しか変わらない
受講も、とりかかってみると簡単なことだとわかる。やってみれば大丈夫
帰宅後にnote書こうと思って、twitterアップしている間にいつの間にか閲覧モードになっていた
スケール練習がおろそか
いったん飛び込んでも、また元に戻れる
いったん飛び込まないと、リスクを引き受けることはできない
きのう何食べた?を再読する
ネガティブを消すのは没頭だ(若林さん)
友人の娘ちゃんにピアノを渡せた
ピアノを弾きたくて仕方なかった頃の気持ちを思いだした
まるフェスでは本当にいろんな人と話をした。いろんな人とのご縁があったんだなあ、この数年で。
カレーの話ができた。あの頃は「カレー作るって言っちゃったけど、つくるの面倒だけど、言っちゃったし、カレー作るような人間に憧れるだけなんだけどな」と思っていたけど、手を出してみれば案外作れるものなのだ。案外美味しい。コーラも、やれば作れるものなのだ。
やっぱり部屋探したらどうだい? すめば都だし、その部屋にピアノもソファも机も絨毯も持っていくんだよ?
今考えていること:やりたい事全部やっとかないと病に倒れた時に死にたくなるから、全部やるといい。
昔からの風潮として、目的が一緒なのに同じ方向を向けない、というものがあるらしい。
普通、人は何時でもどこへでも出かけるものだ。どこへ出かけるか四六時中見張られてる心中を察する。
結局、インプットの数でアウトプットが決まる。私がしかめ面をアウトプットするのは、それだけの量のインプットが過去にあったからだ。今朝は曇りで、暖かく、水路の水は豊富で澄んでいて、穏やかな空気が流れていた。その情報の渦の中を掻き分け泳ぎながら、考えた。この景色のあらゆる場所に目を向ける事ができる。けれどそこから何処を拾い出して意識に上らせるかは、今までのインプットの色に染まった、あるいは似通ったものの方が、ゆうに楽に自然に選ばれる。私にはあまり選択権がない、と気づいた。
今日、私が何処へ目を向けるかは、インプットのプールの状況で自動的に決まる。ネガティブな過去ばかりに囚われていれば、今目の前に、そして自分の外側にある景色からも、おなじ波長の要素しか受け取れない。しかし悲観する事はなくて、ネガティブな水の多いプールなら、もっと🏊♀️浅い場所の、いま、直近で触れている思考から、ポジティブな部分を拾い出せばいい。
今日、どこに、目をつけるか。それは能動的にできる。矛盾しているようだけど。そして私には、人一倍のポジティブ力がある。
家については、今の所で全力で節約する案もあったけど、私にとってカフェや温泉、遠出に定期的に出かけることは避けられない出費だ、これを我慢していたらその事ばかり考えて他の何もできなくなる、という事に気づいた。現状の支出を確かめて、それより2万くらい浮く進路へ進みたい。
どうやったってうまくいくさ。それに、どうやったってなるようにしかならない。どうやったって終わりが来る。それだったら、長すぎる目で見ずに、今、この3,4年をどう暮らすか、どうワンダーに過ごすか、を考えたらいい。きっといい道が見つかる。
旅行の翌日は頑張らないことを前提とし、昼寝時間も自由とする。真面目に働こうとしない
ピアノ練習手順を書き出す。スケール練習は丁寧にする
今日早く寝る
とにかく私は、今を生きづらいと感じ、今の状況から抜け出したいと強く願っている。生きづらさについて自覚を持てるようになったことは、自分の成長の一つなのではないだろうか
Twitterでいう冗談にAちゃんがつきあってくれるという幸福が、ここにある
すごく泣いた。書類を正確に書いて提出することさえ、私はできない人間なんだと思った
とつぜん、私は一人なのだと悟った感じに陥った。居場所がない子はおもしろいとHさんが言っていたけど、こんなに辛いのだったら、面白くもなんともない人間でもいいから、子供の私に居場所を作ってあげたいと思った。
本当は7月1日に退職届を提出しようと思ったけど、まだ踏ん切りがついていないのだな、結局印刷もしていない。7月に提出したら9月末に退職、10月にスペインを想定していたけれど、10月スペインの線はなくなって、春の線が濃厚になった。けれど、昨日も今日も明日も仕事中に無意味な労働に直面してみれば、これをあと数ヶ月も続けていくことなど、私にできるのだろうか、と思った。
悲しみに説明をつけることは簡単で、育ち方だとか、人との出会いのマイナスな面が影響したとか、無意味な仕事をしたくない性格だとか、ホルモンバランスだとか睡眠不足だとか、HWで近くにいた求職者の男性がすごく肌に合わなそうな喋り方をしていたせいだとか。占いを朝見ていれば、占いのせいにだってきっとできる。
泣きそうになりながら仕事をしていてもいいことはない。仕事を休んで美味しいものを食べたり面白い本や映画を見る、ゲームをすることもいいのだけれど、悲しみに沈むときは、それらが一時期のごまかしだと信じきっている。
そういう時の対策として、温泉に行くというのは一つの、最良の案かもしれない。
まとめ
生命力とは熱源である。
悲しいときも、鬱々としたときも、泣けて泣けて仕方ないときも、きっとからだのどこかが冷えきっていて、暖かさを求めている。それは抽象的な「人のやさしさ」とか「慮ってくれる言葉」とかではなくて、純粋に温度、℃のことだと理知的な私は考える。
そういう意味で、ネガティブに襲われた時の対策として、温泉に行くというのは一つの、最良の案かもしれない。
この日記の効果かどうかは知らないが、スペインには行ってないけれど、去年は歩みえなかった道筋を、今年の私は無事に歩んでいる。いくらか生きやすくもなっている。
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