今日もカフェでコーヒーを飲みながら⑬ 12.『終止符』(ピリオド)と『後遺症』(トラウマ)
M中学校での『いじめ』は、しばらく続きました…。
中学2年生の3学期に入ったある日…、
私は、授業中に居眠りしないよう、別のノートを用意し、黒板に書かれた事を書き取りながら、もう一方のノートに落書きして、眠気を抑えていました。
が…、
私の席の近くだったS野君が、何を勘違いしたのか、私がノートにS内君達の悪口か何かを書き込んでいると思ってしまったらしく、S内君に告げ口していたようなのです。
S野君から話を聞いたS内君は、席を立ち、私の目の前に来て立つと、授業中だったにもかかわらず、いきなり、私の机を思い切り蹴飛ばしました。
そして、ムッとした表情で、私を睨みつけると、
「お前っ、先公に何かチクろうとしてんだってなっ! ノートに何書いてんだよっ!」
と、声を荒げ、怒りを顕わにし、頭ごなしに怒鳴りつけてきたのです。
私は、何が何やらさっぱりわからず、何故、S内君に怒鳴られなければならないのか、どうして机を蹴飛ばされなければならないのか、考えれば考える程、理解出来ませんでした。
そして、蹴飛ばされて倒れた机や、その周りに散乱してしまった教科書やノートなどを呆然として見ているうち、頭の中が真っ白になっていきました…。
他の同級生達は、突然の事に驚き、私とS内君の周りを遠巻きに囲み、様子を伺っているように見えました…。
「おいっ、何とか言えよっ!」
S内君は、相当腹が立っていたのか、更に大声で怒鳴りました。
私は、S内君の顔を見ているうち、沸々と怒りが込み上げてきて、体がワナワナと震えてきて、思わず立ち上がり、
「…何、それ…?」
と、ボソッと呟き、キッ!とS内君を睨み返しました…。
この時の私は、相当頭に来ていたせいで、記憶が吹っ飛んでいた為、自分で何を言ったのか、全く覚えていません。
I藤さんや、他の同級生達から、後々聞かされた話によると…、
私は、涙を流して泣きながら、終始、S内君と睨み合ったまま、
「ふざけんじゃないわよっ! 私が何したっていうのよっ! 私をいじめて何が楽しいのよっ! いい加減にしてよっ!」
と、S内君に食って掛かるように泣きわめき散らしながら、反撃していたそうです…。
S内君は、私の豹変ぶりを見て相当驚いてしまったのか、唖然として、何も言い返せなくなり、黙ってしまったようでした。
一部始終見ていた他の同級生達も、皆、サーッと顔つき蒼ざめてしまい、誰も止めに入れなかったらしいのです。
ただ、K上君だけは、
「お前っ、S内に向かってっ…!」
と、私に食って掛かろうとしていたのを、I藤さんが必死で阻止し、K上君と取っ組み合いになり、その際に何ヶ所か傷を負ってしまったそうです…。
授業をしていた保健体育担当のY口先生は、授業を途中で放棄し、S内君と私を止めようともせず、慌てて教室から逃げ出したというのです。
職員室にいた他の先生方が教室に駆けつけて、S内君と私を止めに入るまで、睨み合いのような状態が続いていたそうです…。
その後、我に返った私は、S田さんと一緒にI藤さんを保健室に連れて行きました。
I藤さんが傷を手当てしてもらっている間、S野君と数名の男子が保健室に入ってきて、私とI藤さんに何度も頭を下げて謝りました。
S内君との一件がキッカケで、それまで私をいじめていた男子達は、
「S内とタイマンした女」
として、私を一目置くようになり、私をいじめなくなりました。
そして…、
中学3年生になって間もなく、新1年生の男子を何人か教室に連れてきたO田君は、私の方を指差し、
「いいか、お前らっ。あそこにいるお方が、この学校で一番強い女番長様だぞっ。絶対、怒らせんじゃないぞっ…」
と、変な事を吹き込む始末…。
また、S内君やK上君達に至っても、以前のようにすぐキレたり、自分より弱い人間に対して威嚇したりしなくなりました…。
小中学時代と長年に渡って続いた『いじめ』に、ようやく『終止符』(ピリオド)が打たれました。
しかし…、
『いじめ』に遭わなくなってからも、私は、『いじめ』による『後遺症』(トラウマ)で、極度の『男性恐怖症』と『醜形恐怖症』に陥ってしまいました…。
その為、高校受験の際、男女共学の高校ではなく、私立・公立とも女子校のみ受験する事にしました。高校入学後に、再び男子達から『いじめ』を受けるかもしれないという不安があったからです…。
高校入学以降、ピーク時のような『いじめ』はなく、ごくたまに、多少の『嫌がらせ』を受けたり、陰口を言われる程度の事はありましたが、男子達がいない分、それほどあからさまな『いじめ』をしてくる子達はいませんでした…。
その後、高校2年生になってから、諸事情により千葉県のY高校へ転校してからは、陰湿な『いじめ』に遭う事なく、卒業まで無事に過ごす事が出来ました…。