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【エッセイ・写真の話】ポートレート再考。あるいは猫の気持ち。


タイトルの再考と最高が掛かっているのはさておき、結局僕は人間の写真を撮るのが好きだ。

初めて触れたカメラは社カメ(会社のカメラ)。CANON EOS 7D。取り回しにくいがなんでも撮れるいいカメラだった。社カメは7Dでほとんど統一されていたとはいえ、当時はまだSONYが強くなくてCANON・NIKONがブイブイ言わせてた頃だったと思うので妥当な入り口だったと思う。

今ではSONY一強。時代の流れは恐ろしい。

話が逸れたが僕がカメラに触ったきっかけは記念写真を撮る仕事だった。多分わかる人にはわかると思うけど、あえて言うなら観光地とかで「ハイ、チーズ☆」的なアレ。

そこで働き始めた時に研修してくれた先輩が面白い方で、こんな切り口で教えてくれた。

「カメラマンは光を操る魔法使いだ」

今になってわかるけど、これは一風変わった愉快な比喩であり、的を得た教えだなと思う。

その現場での仕事は気を抜くと作業になってしまいがちだったが、例の絵本的な比喩がどれだけ僕を支えたことか。「カメラマンは魔法使い」すごいパワーワードだ。魔法使いプリキュアなんてのもいるし、俺たちはプリキュアだったのか……?

閑話休題。

そんなこんなで僕は今も写真を撮り続けている。懲りずに人ばっかり何年もよく撮っているものだ。

写真というのは本当に奥が深い底無し沼だ。撮れば撮る程自分の写真が良くなっていくし(後日見返すとそうでもない)、学ぶこともたくさんある。特に僕は実践で学んできた為、感覚的にやってたことを言語化されていたら「確かに」と思うケースが多々ある。

例えば人物撮りの基本。目線外しは空けている方を向いているのが良い。この文章どういう意味か伝わる?

人物じゃなくて悪いけど、この写真。猫が広い方のスペース(右)を振り返っているか狭い方のスペース(左)を見て歩いているかでずいぶん違う。

空間(余白)を作ることによってその猫が何かを見ているような写真になる(顔も険しいし縄張り争いしているボス猫が向こうにいるのかもしれない)。

しかしもしこの写真が左空きだと窮屈な印象……違和感を覚える。あえてそういう違和感を覚えさせるようなテクニックもあるかもしれないが、今は基本の話だ。

この写真は撮り始めて一年の頃とかのやつなので、まさに感覚的にやっていたのかもしれない。

個人的に被写体がどういう気持ちなのかを想像させる写真、そして共感覚を起こす作品こそが良いものだと思う。本や音楽や映像も然り、人の柔らかい心の奥を押すのはいつだって想像の力なのだ。大袈裟な話だけど。

早い話、同じ人間という種の被写体を見た方がそういった共感的想像力(村上春樹は共震って言ったかな)を刺激しやすいから僕は人物を撮ることに魅力を感じるのだと思う。猫の気持ちは猫にしかわからないだろうしね。

冒頭で触れた光の魔法についてもっと書きたいこともあるけど今回はここまで。駄文を読んで頂きありがとうございました。

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