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幽谷のファンタジア

ファンタジア


ここは何処だろうか...乾いた風だけが吹き抜けてゆく。迷い込んだのは時間か… それとも意識なのか…

荒涼とした谷間には、まだ次元の破れが発光しながら浮遊している。物音ひとつしない不気味な世界のなかで、心臓の鼓動だけが迫ってくる。私の心臓が身体の外にあるように感じられ、私が私であることを繋ぎとめているのは、いまにも壊れそうなこの鼓動だけのように思われてくる。

息を殺していると… 風が鳴くのが聴こえてくる。まるで谷が啼いているように思えるのは、あの洞穴のせいだろうか...しだいに谷全体が生き物のように脈打ち、赤い洞穴からは時折白い噴気が漏れ出してくる。それはまるで記憶の残り香のような体温を感じさせ、なにものかの寝息のようにも、鼓動のようにも思えてくる。ここは記憶が眠る谷なのか… 私がここに迷い込んだのか、あるいは次元が私を貫いたのか...物音ひとつしなかった谷はいま、しずかに記憶の言葉に満ちてゆく。まるで私を待っていたかのように...

かつて此処を通ったもの、ここに立っていた樹々の幻影...此処はあらゆる生命体の記憶が眠る処なのかもしれない。私は意識体になってその言葉に身を任せていた。

荒涼とした風景はその記憶の吐息によって色味を帯びてくる。樹々が芽吹くように生まれてくる言葉は、しだいに記憶の花となって満ちてゆき、太古の泉から湧き上がってくる気泡が生まれては消えてゆくように、花は咲いては消えてゆく...

次元の揺らぎのなかで咲いた花… 耳で聴く花… 肌で味わう花… 香りに彩られた言葉によって、かりそめの姿を現わした記憶はいつしか移ろいゆく...命のひみつを語るかのように咲いては消えてゆく...解き放たれた香りはひとつひとつの言葉となって物語を歌ってゆく...

この宇宙のなかに花ひらいた地球がいのちのファンタジアであるように、この地上に咲いた私たちの命は奇跡のファンタジアなのかもしれない。

次元の重なりのなかに芽吹いた夢は、ゆらぎのなかで変容し、明滅のなかにひとつの花びらを残していった...。


Art MAISON INTERNATIONAL  Vol .24 掲載作品


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