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プロフィール

2024年は40歳になった節目で人生を振り返る機会の年でした。
私の人生の歩みをここでは簡単に紹介します。

Stella dialogue
「 星の対話 」
私は本気で人と対話をしたことが、今までの人生でどのくらいあったのだろうか?
「 対話 」「 コミュニケーション 」これは私が特に苦手な気がします。
そこと向き合うべく、星の力を借りて対話をしていければと思います。
ちなみに占星術は趣味です!

それぞれの項目はざっくりですが、気が向いたら個別の記事で深く掘っていければと思います。

あと、記事の内容は私の個人的な考え方や経験からになります。

※プロフィールは改善点が見つかり次第アップデートしていきます。

私のこと

仕事


今年(2024年2月)で40歳になりました。

ITエンジニアとして仕事をしています。
今年で3年目になります。
技術スタックは  バックエンドからフロントエンドまで、なんでもやります。
現在はWeb開発より、 データ分析関連に比重を置いてます。

幸い在宅勤務なので、子供達や家のこともマルチタスクで進行中。

好きなこと


占星術・宇宙・タロット・オラクルカード・先端技術・読書・アウトドア・ドライブ・音楽・映画・スピリチュアル・超自然・瞑想
コーヒー・ワイン・チーズ・オーガニック
人や自然との対話

家族構成


奥さんは私の6歳年上、子供達は上から小学校5年生(長男)、3年生(次男)、2年生(長女)です。

家族構成は簡単にこんな感じです。

因みに住んでいる場所は北関東です。

占星術


私は水瓶座の新月生まれ(合)
ASC:山羊座
MC:蠍座
ドラゴンヘッド:双子座

太陽と月が合の生まれです。マドモアゼル・愛先生が提唱する月理論「月の欠損」と合致する点が沢山あり、驚きと救いになりました。(2024年10月に気がつけてよかった!)

「I know  我、知る」
   がない

月の教科書

子供の頃から、他の子供達や大人の知らないことを沢山知ってました。
だから自分は特別だと思ってた、変わり者だと言われて嬉しかった。
何かをしなければいけない使命感のようなものを持っていた。
そのまま、大人になって今に至ります。

今は賢くなくていいし、バカで平凡でいい、無理に何かをしようとしない、ただ自分の興味の赴くまま堂々と自信を持って日々を歩んでいます。

月みずがめ座の月光反転法

悪びれずに自分のことを語り、人にも堂々と反対意見を唱え、気前もよくしてみる

月の教科書

上記、「月の教科書」からの一部抜粋ですが、しし座のような振る舞いを意識して生活することで気持ちが楽になりました。
というか、もとも自分は昔こんな感じの性格、雰囲気だったと思います。

その時の方が、覇気があって、バカだけど堂々としてなぜか自信がありました。

私にとって、「月の欠損」は自分らしさ、自分らしくあった時のことを思い出させてくれました。

これまでの歩み

長かった音楽人生


ありがちですが、高校生のころのバンド活動が私の音楽人生の始まりでした。
当時16歳、根拠のない自信があるんですよね、チャレンジャーですが、愚か者です。

自分ならビッグスターになれるのではないかと高校から帰ってきたらギターを毎日6時間ぐらいは練習し音楽理論も独学していました。

ギターや機材を買うためにバイト三昧の日々でした。

勿論、学業は全くできず、どちらかというとグレていた方でした。

両親は私に肯定的だった(母の方)ので音楽専門学校に通わせていただきました。
(母親のお兄さんが芸能関係の仕事をしていたのでそこは理解があったのかと思います。)

音楽専門学校を卒業した後はひたすら、ライブとバイトの日々で20代中盤くらいまでそんな感じでした。

プロミュージシャン?になったけど、何か違う…


音楽で飯を食うってこと、プロミュージシャンになるってこと、ここが目標ではあったけど、当初の目標でもあるビッグスターにはなれていないんだよねって、、、

大手音楽出版のコンポーザーやアーティストオーディションを通過して活動し、大規模フェスや人気番組に出演するアーティストに関連する仕事はできたけど、自分の求めていたもの(顕在意識の部分)とは何か違って、お金をもらって作曲、演奏もしたけどお金持ちになれたわけではなく、有名になれたわけでもなく、幸福感や優越感を感じることもなく空虚感、虚しさに近いものがありました。

それは、わたしがやり切れていなかったかもしれませんし、自分の技術や才能、年齢の限界を感じたり社会的価値観を意識し初めて、純粋に面白くなくって、モチベーションが上がらなかったのを今でも覚えてます。

当時住んでいた渋谷のマンションは代々木公園のすぐ近くで、気晴らしに散歩によくいってましたが、16歳の頃の根拠の無い自信は既になく大物プロデューサー、アーティストとして活動する自分の未来が見えてませんでした。

この頃、私は28歳位だったかと思います。

彼女の妊娠そして結婚へ


当時同棲していた、彼女(今の奥さん)が妊娠したのをきっかけに、逃げるように音楽からフェードアウトしていきました。

当時は何か、音楽から足を洗うきっかけや理由を求めてました。
(長年愛用したギブソンを事故かのように倒してネックお折ったり ギブソン … ゴメン(T . T))

自分の年齢や社会的価値観を特に気にしだした時期だったと思います。

私には年子の弟がいるのですが、当時ちょうど弟が結婚したりして、何か自分の中にある、社会と自分との違和感や今まで続けてきた音楽ではない新しい挑戦に自分の可能性を試してみたくなったのを覚えてます。

彼女の妊娠をきっかけに結婚して、夫、父親としてという新たな責任を背負うことで、自分に対して「今までのようにはいかないぞ」といった具合に危機感を煽らせて自分の尻を叩いたかのような、よくわからない決意だったかと思います。

渋谷での暮らしから奥さんの地元へ


長男が生まれたのが、私が29歳の時でした。
それを機に子育てをしやすいようにと、北関東の奥さんの実家の近くへ引っ越しました。

アルバイトですがまだ音楽の仕事を東京で継続してて、たまに通いながらではありました、、、が、やはり子育て家事などとの兼ね合いに無理があって音楽から足を洗ったタイミングでした。

新天地での生活が始まり、どこに何があるかわからないので、よくドライブしてました。

初めての仕事、出会い


自分にできる仕事は何があるか?

勿論、今まで就職なんかしたことないわけで、音楽か飲食系アルバイトしかしたことがありませんでした。

これから、家族を養っていかなくてはならないわけで、生活費やら何やらかかってきました。

「自分にできることは何があるか?」

いろいろな仕事を転々として、縁あってとある会社経営者の方と繋がることができ、掃除の仕事、配送の仕事、建築の仕事の3本を紹介していただき個人事業主として回していました。

新しいことを学んだり挑戦するのは、子供の頃から好きだったのでそれらの仕事は私の今までのライフスタイルとは全く異なるものでしたが、私にとってかけがえなのい経験になりました。

新しい家族の誕生


忙しなく、仕事と家事で日々が過ぎていきましたが、その中で次男が誕生し翌年に長女誕生しました。

特に次男の誕生の時は生まれて直ぐに保育器に入ってなかなか退院できなく、ホースが繋がれた痛々しい写真が奥さんから送られて来たのを覚えてます。

退院はできたのですが、病院通いが小学校に上がるまで続き、結果的に完治できました。

自分は生涯孤独で結婚や子供とは縁がなく、音楽と共に生きていくのかなと16歳頃からずっと思ってはいましたが、実際に結婚して3児の父となったことで、今まで自分がバイアスをかけて見ていたそれらのライフスタイルの当事者となったことで感じることのできない感情、価値観を発見することができました。

家族を持ち、父親になる経験ができてよかったなと今は日々感じてます。(本当^ ^)

プログラマーへの道


個人事業主として活動していく中で、肉体労働ではなく、頭脳を使った労働に興味を持ちました。

AIや機械学習、Pythonなどのプログラミングという名前をよく見るようになり、技術書やUdemyなどで独学を開始したのが、2018年頃だったと思います。

教えてくれる人も知見をもっている人も自分の近くにはいませんので唯一頼れるのは技術書と動画でした。

たまに、東京で開催されるAIやPythonの技術カンファレンスに足を運んだりして空気感などを感じに行ってました。

とりあえず、なんとかそれっぽい仕事に就けないかと思い html と css でWebサイトを作ってそれを頼りに、プログラミングスクールの講師を業務委託いただいたのが私の最初のIT系の頭脳労働でした。

ちょうど2019年の秋頃、covid-19 が世界中で猛威を振るう前くらいでした。
「未経験でもOK」のプログラミング講師を募集しているスクールがあって、ホームページの作成方法を教えるのが私の仕事でした。

それを他の事業と掛け持ちならが約1年ほど続けました。

工場で派遣をしながらITエンジニアを目指す


本格的にIT企業への就職を目指すために、自分の技術、能力証明の為のWebアプリケーション開発に専念するため個人事業主から撤退し、就業時間が割と安定している工場で派遣をはじめました。

まずは疲れないように学習用の余力を残しておく!
個人事業主で働いていた時は疲れて眠くて、学習どころではなかったです。
多分、糖質の取りすぎだったのかな?

そして、工場で働いても疲れました。
ただ時間は安定したのでそこはよかった!

工場から帰宅したら家事を終わらせた後に独学と開発が始まりました。

その時、私は37歳くらいでした。

遅咲きです!

普通は多分厳しいんですけど諦めません!といった具合で根性出しました。

プログラミングは独学ですが、既に下積みは(実務なし)約3年くらいはあったので後はやり切れるか?どうかでした。

当時派遣で働いていた工場の業務内容は金属加工です。プレス機を使って鉄の板に穴を開けたり、曲げたりします。
作業はシンプルですが、奥が深くて楽しかったです。
まず一緒に仕事していた社員の方が素晴らしかった(良い人でした!)
私よりも6歳若かったかな?

プレス機はかなり危険で安全装置はついてるけど、ヘマすれば指をなくす可能性もあるので体調管理や睡眠不足は一番注意を払うべきポイントでした。
(配送業やってるときも居眠り事故の危険はあった)

工場で肉体労働していると腕が上がらなくなるんですよ。朝、みんなでラジオ体操するんですけど、みんな腕が上がってなかった、、、( ・∇・)

40歳目前にして初就職そして転職(正社員)


当時38歳で所謂、社会人経験なしです。
10社くらい面接をしたかと思います。

全て東京の企業でした。どうしてもIT企業は都心部に集中してます。

それでも、なんとか内定が決まって、晴れてPythonプログラマーとして正社員で働けるぞ!と期待していたのですが、Python を書けていたのは最初の3ヶ月くらいで、それ以降は私の興味の無いかなりレガシーな技術での保守でした。

面接の時にPython エンジニアとして雇用されたはずだったのにと、、、

ほんとに、申し訳ないと思いならが、入社3ヶ月で退職させていただきました。

それから、タイミングよく次の会社が見つかり、ITベンチャーへの転職が成功しました。

そこで最初に任されたのはチャットボットアプリの開発でした!
「コレです!コレをやりたかったんです!」

Python JavascriptDockerAWSGitHub  ワクワクしながら今っぽいそれっぽい技術使って開発しました。

モノづくりは私が子供のころから得意な分野です。

絵画、彫刻、作曲、プラモデルなど、だけどプログラミングやIT開発はそれらとは違いますね。

基本的には真っ黒な画面にコードを書いていく、指先はキーボードに集中、目はディスプレイのコード、書いたコードがちゃんと動いて意図する結果を表示してくれるかエラーになるか、、、まずはここから!

IT開発は基本的にインターネット上で動かす構造物を作りあげるモノづくり!
だから、頭の中でその構造や動作をある程度イメージする必要があり技術への理解と開発能力が必要になります。

特にクラウド開発が主流になった今ではその構造体を頭の中でイメージできたほうが開発は進めやすい、とはいえ、人間は器用不器用さまざまで、さらにミスも事故もする、それらをなるべく回避するためのお助け技術もあって、そこまで知見が深くなくても容易に開発保守が進められるようにもなってますね。

さらに、技術の移り変わりが激しいので日々、技術のキャッチアップは必須です!

技術的な話をすると終わらなくなるのでこのぐらいにします。

双極性障害を発症


正社員として2社目に転職して、Webアプリ開発は得意でしたが、まだ知見のない領域であるデータ分析関連の業務について1ヶ月くらいで双極性障害を発症して概ね6ヶ月くらいはダウンしてました。

2022年の暮れあたりでした。

まあ、それに至る要因はいろいろあったのですが、睡眠不足が一番よくなかったかも。。。

ひたすら、辛かったです。

その時、自分はバカで無能で役立たずなんだなと感じ、死を意識し始めた時期でもありました。

その時私を支えてくれた家族、両親に対して、ひどいことを言ったことは今だに申し訳なく感じます。

この時こそ「月の欠損」の影響が著しく現れたのかと思います。
私の場合、太陽と月が合(新月生まれ)の水瓶座です。

私の調子がいい時は月が太陽のように輝いている時、マドモアゼル愛先生がおっしゃるように、太陽のエネルギーを月が吸収して、偽物の水瓶座として輝いていた時。

私自身が感じた「月の欠損」の影響が出てる時の水瓶座(私自身)

  • 自分は賢いと思ってた

  • 何でも器用にこなせると思ってた

  • 社会に的合できるいいこちゃんだと思ってた

  • 周囲の空気を乱さずに平和にやり過ごしたかった

  • 他人に嫌われないように本音を言えなかった(イエスマン)

  • 自分は特別だと思ってた

  • 人生に何か特別な意味があり、特別なことをしなければいけない使命感を持っていた

このような意識に囚われ始めたのは、就職活動をし始めて正社員になり
「優秀な社会人にならなければ!」
という気持ちが強かったと思います。

  • ミスをしてはいけない。

  • バグやエラーを出してはいけない。

  • 「わからない」と言ってはいけない。

  • 「できない」と言ってはいけない。

  • 逃げてはいけない。

最終的にダメになり、精神病院に泣きながら電話して予約をいれまし。(自分がこんなことになるとは(T . T))

その後、しっかり休んでなるべく自分が容易にこなせる業務や開発に携わり復活をすることができました。

ITエンジニアにはよくあることみたいですね(T . T)

次男に何があった?緊急入院へ


私の双極性障害が落ち着いて、2023年の暮れに次男が小学校から帰ってくると足が痛いと言うので「ぶつけたか、ひねった?」と聞くと「やってない」というんです。

それから1〜2日経って次はお腹が痛いと言い始めて、風邪か?熱はない。
既に夜で小児科は閉まっているので、緊急外来で診ていただいたら、その時のドクターが素晴らしい方で

「このままだと風邪の診断になってしまいますが、他に気になる症状はありますか?」

と聞き返していただき、多分関係ないと感じていた数日前の足の痛みを伝えたら。
ドクターの様子が変わり「ん?」といった具合で何かに気がついた様子でした。
足を見ていただいたら、ほんのわずかだけど、赤いプツプツがありドクターは

IGA血管炎の可能性もありますね、今日はステロイドをだしますが、後日、必ず病院で診てもらってください」

と聞き慣れない病名だったのですが、小児に発症する稀な病気のようです。

ステロイドを出していただき、腹痛も治り、赤いプツプツも消えて、次男は元気を取り戻しました。

後日、ドクターの診断を元にかかりつけの小児科で診てもらいたかったのだけどお休みで、しかたなく総合病院で診ていただいたのがまずかった。

ステロイドが効いているので、腹痛も赤いプツプツも抑制され、IGA血管炎の症状との診断ではなく風邪薬を処方していただきました。
(IGA血管炎のこと、ステロイドのこと伝えたのに(T . T))

案の定、風邪薬は効かず、元気だった次男はその日の夜に腹痛を訴えだしました。
私は様子を見る為に経過観察をしてましたが、翌朝に容体がさらに悪化し嘔吐と血便の症状が極度に出た為、病院に電話しまたが感染症の疑いでなかなか取り合ってくれません。
なんとか頼み込んで了承していただき、昨晩から痛みで寝られず、脱水と出血でぐったりしている次男を病院に担ぎ込みました。

受付で待っている時、次男の具合に見るに見かねた病院関係者の方が優先的に取り合っていただき検査をして、IGA血管炎の為すぐに緊急入院になりました。

概ね2週間と少し入院して、ぎりぎりクリスマス前には退院することができました。

「健康になれて本当によかった!」とつくづく感じます。

次男が見る見る弱っていく様子、嘔吐や血便の臭いは私の人生に特別な経験と感情、考えさせらる機会を与えてくれました。

次男はどちらかというと、泣き虫ですが、痛みには強いのか?一度も涙せず弱音を吐かず、苦痛に耐えてました。

2023年はこんな感じで家族みんな揃って年を越しました。

ここまで生きてきました。


2024年11月現在
自分の歩んできた人生やこれからの人生について、向き合うことが多い年でした。

仕事メインの年ではありましたが、家族との時間も潤沢に取れて、朝食も夕食もみんなで食べられる

朝は子供たちを学校に送りだせ、午後は家で子供達の帰りを待つ

学校の行事にも参加できている

子育て家事はとりあえず⭕️とします。

あと、子供の頃から常に感じる

「 何かやらなければという使命感 」
「 自分は特別な何かがある 」

といった事柄について調べて行く中で(2024年10月)占星術に出会い、興味を持つ事になりました。

本当の自分とは何か?潜在意識の中で自分はどうしたいのか?

読書が好きで、沢山の本を読んできましたが先月読んだ マドモアゼル・愛先生の「月の教科書」が特に自分の人生のパターンとしっくりくるところが多くて納得できるものでした。

本に書いてあることは、私自身(太陽と月が水瓶座)の特徴とほぼほぼそんな感じで、月に翻弄されずに生きる実践の仕方は頼もしいものです。

そして、私の人生の中であったさまざまな不可解な現象や、占星術やスピリチュアル、超自然といった、科学や物理的法則などのエビデンスで説明がつかないようなことを私自身が賢ぶって拒絶した時期もありました。

何としてでも科学的に物理的に解を求めようと、そこへ着地したがる感じですね。

(子供のころから超自然は当たり前だと思ってましたが、今もそう思います)

私の仕事は常にシステムが冪等性(ITの分野では重要で何度実行しても必ず同じ結果がでる)であることが求められます。

しかし、生物、宇宙は変化しつづけている認識で冪等ではない

電気や電波、素粒子、波動は基本的に目に見えないが人体や宇宙には常に存在しさまざまな物質と共鳴し触媒として作用を引き起こし変化をうながしている

以下、私と同じような事象、感覚を経験した人もいると思いますが、科学的でない、だけど事実ではあります。


私は何かに守られていると感じた出来事は 2011311日に発生した東日本大震災の前夜に体験したことです。
今まで感じたことのない大きな長い耳鳴りが続いて、布団に入って目を閉じた瞬間、草原の中にポツンと白い家があって、窓があり、カーテンの隙間から私の方を白い顔の人が私を見ていました。
寝てるわけでもなく、夢でもなく、こんなの初めてで、すごく怖かったのを覚えてます。

それがずっと気になって、震災当日に脅威に直面しました。
多分、私の身に何か危険があることを知らせてくれたんでしょうね。

以降、そこそこ揺れる地震が来る前は国内外で発生関係なくほぼ耳鳴りがなるようになりました。(脳や耳に疾患や異常があるわけではない)


この頃は太陽フレアの影響?で普通の耳鳴りとは違う、かなり周波数の高いノイズが頭の中で鳴るようになりました。
この事象が発生した時に大体調べると Active や Major flares になってることがあります。

多分、ストレスや疲れ、老化などから余計に過敏になってるかもしれないですが。。。
これはわからない。


2023年の夏、家族で山にハイキングにいった時、聞いたことはあったのですが直面したのは初めてでした。
風や他に人がいないのに不自然に揺れるロープ、木と木の間につる下がっている補助用のロープですが、ハンモックに人が乗って不自然に揺れているような事象でしたね。

私は直感で「 妖精がいるんだな 」とすぐに思いました。

私が子供達に「 妖精があそこにいるよ 」と言って、そこに近づくとピタッと止まりましたね。
もしやと思って、スマホを取り出したのですが、やはり、起動できずです。

空は晴れていて、夏の空です。
恐怖を感じることはなく、何とも不思議な体験でした。

ほかにもいろいろあったのですが、ここまでにします。

冥王星水瓶座時代へ


人は適切な行動(学習量や努力量、運動量)を取る事で冪等な結果を望んでいるが、それでも冪等にはならない、結果や答えは一つにはならないわけで、だけど、今までの社会は人に冪等であることを強要していたように見えます。

私は、子育てしている親なので子供たちを見ていて思うのですが、同じ学習量、運動量、睡眠量、栄養量、愛の量を子供たちは得ているのに、成績も体型も性格も冪等にはならないんです。
そんなの当たり前なのですが。。。

人間は冪等でない、そんな当たり前のことを気がついているのか?いないのか?だれか言った訳ではないが、社会は標準化された無言の圧力と無理強要をしてくるわけです。

サーキットでスポーツカーとオフロードカーを勝負させる感じ?
「遅いなぁ、努力が足りない、もっと頑張って、頑張りが足りないんだよ!スポーツカーのように早く走りなさい!」
といった具合ですね。これは極端ですが、逆も然り(笑)

それぞれ違う輝きを持って光っていて、結果も答えも違うわけで、それぞれの個のポテンシャルをどうやったら最大限に発揮することができるかを特に感じるわけです。

自分の持ち味を活かす方法、場所やタイミングを掴めればもっと、人生が生きやすくなるんだろうな!と昔から思っていました。

それでも、本意でないことに流されたり、惑わされたりするのが、かなしいかな人生なのですね。。。

ここに来てようやく占星術に触れることができたのは私は幸運なことだと感じます。

2024年11月20日に水瓶座に冥王星が完全に入りますが、時代がどう変わっていくか楽しみです。

「月の教科書」を頼りに

私はバカで平凡に、堂々と自信をもって新時代を歩もうと思います。










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