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電車の中で大泣きした話
母は、寒がりだったのに、厳寒の2月に亡くなった。
亡くなってから、あわただしい日々が続き、悲しむ暇もなかった。
でも、初七日法要も済ませ、空港へ向かう電車の中でふとある風景を思い出し急に涙が止まらなくなってしまったのだ。
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実家のある市は、新幹線が通らない地域にあり盛岡駅まで高速バスに乗って行くことが多い。
そして実家の前の道路が盛岡行高速バスの通り道になっている。
生前のある時、帰省した際の帰りに高速バスに乗り家の前を通り過ぎるのをぼんやりと見ていると、家の前で母が私が乗るバスを見送るために立っていた。
私が乗るバスが通るまでずっと待っていたのか少し寂しげな顔をしていた母が私を見かけて手を振った姿を見た時何だか急に寂しくなって「お母さん、こんな風に私を見送るために家の前で待ってるなんて、ずるいよ。」と独り言を言いながら、ちょっと泣いたっけ。
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その風景を、母の初七日を終え、空港に向かう電車の中で思い出してしまったのだ。
「もう、あの姿を見ることはできない。あの家に帰っても母はいないのだ。」という事がひしひしと胸にせまり涙が止まらず嗚咽も止まらず、いい歳した大人が、電車の中にも関わらず子供みたいに一人でわんわん泣いた。
母を看取った最期の日まで毎日病院に通い、火葬でも葬式でも泣けなかった分溜まった涙を全部、流したみたいに泣いた。
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今も、家の前で少し寂しそうに立ってる母の姿を思い出す。
あの時は母何を思って、あんな風に立っていたのだろう。
たまたまあの日の座席が母の姿が見える位置だっただけで毎回あんな風に立っていたのか、それとも、単なる気まぐれで立っていたのか。
今となっては聞くことはできないけれど。
「あ?単にゴミ出しのついでにたまたま時間的に通りそうだと思ってあの日だけ立ってたのよ。」と言うかもしれないけどね。
それでも、なんでも、母の姿で思い出してしまうのはあのちょっと寂しそうに家の前に立つ姿なのだ。