「生んでくれてありがとう」が親離れの挨拶
一説によると子供から「生んでくれてありがとう」と言われたら、子育てが終了するそうだ・
私が母に「生んでくれてありがとう」と言えたのは43歳の頃だったと記憶している。
え?私は40歳をとうに過ぎるまで親離れしていなかったのか。
甘ったれだな。
それが言えたのは、母が上京し私ら夫婦が住む家に一泊した後、上野駅に向かう母の見送りに同行した山手線の中だったと思う。
今しか言えない気がして親からどんな返事が返ってくるか怖くて震えながら
「生んでくれてありがとう。」と言った。
なぜ、そんな簡単な言葉が長い間言えなかったのかというと
私は、母からしたら生まれて欲しくない子、愛してもらえない子だとずっと思っていたから。
母が私をお腹に宿した時、兄はまだ1歳になったばかり。
舅、姑、弟4人が同居する家で家事や長子の子育てで疲弊しきっていた母はすぐ子供が生まれることは望んでおらず、タイミングが合っていたら生まずに済まそうと思っていたが、時期が過ぎて生むしかなかったと聞いた事があって、仕方なく生んだ子だし(他にも色々な要素があり)余り愛されていないのだろうなと思いながら育ったのだ。
母と話す時何気ない会話でも
「私が生まれない方が良かったのではないか」というニュアンスの事を言うと母は「なんてことを言うのだ」激怒した。
「だって、生みたくないのに生んだんだから生まれない方が良かったんでしょ?なんでそんなに怒るの?」と不思議でしょうがなかったし、子供だった私は「本当の事を言われたから怒ってるのだ。」くらいに拗ねた気持ちで思っていた。
しかし、今振り返ってみると、母が怒った理由は違うのではないかと感じている。
母はもしかしたら、私に対して自責の念を持っていたのかもしれない。
私は生まれて3か月で肺炎になりしばらく入院した。(乳腺炎になった母から私は初乳をもらえず、免疫力が無かったのだ。)
小さな私の太ももに💉を何本も打たれて腫れあがり痛々しくて可哀そうだったと母から聞いた事がある。4歳で大病をして長い間入院もした。
「私が弱い体に生んだばかりにこんな大変な思いをさせた。私が生んだことでこの子に辛い思いばかりさせてるのではないかと」と小さな私を見て感じていたから私の「生まれない方が良かったのではないか」と言うニュアンスの発言に過剰に反応したのではないか。母が母なりに愛を注いだ存在に
「なぜ私を生んだのだ?」と怒りを向けられたと思うのは、辛かったかもしれない。
話を戻す。
「生んでくれてありがとう」
と震えながら言った私に対して、
母の返事は
「こちらこそ生まれてくれてありがとう」
だった。
私は生まれてきても良かったし、
母は私を生んで良かったのだ。
あれから私たち母娘は親離れと子離れができたのだ。
と、完全に言えるわけではなく、まあ、適当にお互い甘えたり怒ったり喧嘩したりと、母がこの世を去るまで、母娘の色々は続いたわけだけど。
今一度「お母さん生んでくれてありがとうね。」とあの世の母に、改めて言う事にする。
母があちらの世界に行ってずいぶん経つけど、まだ心の親離れは終わってないみたいだなあ。